何かに怯えている私。

思えば小さい頃から、臆病者だったなと感じます。
挑戦という言葉とは縁がなく、安定という言葉と共に生きてきたという方が、自分にしっくりきます。

ターニングポイントってものが人生にはあると思うのですが、私の場合は、その人生における選択は、間違ってもいなく合ってもいなく。
それは、ターニングポイントでの選択を、ある意味適当に行ったからだと思います。

適当にというのはもちろん、何か挑戦の道に進むなどということはないです。
自分の身の危険に迫るようなことは避け、自分の守りに徹していたというのが適切な表現なのかもしれません。

むしろ、ターニングポイントが存在すらしていないのが真実なのかも。とそんなことを考える休日でした。


私の外見は変わっていなかったとしても、内面は、1年前や2年前とは少しかもしれないですが、変わってはいます。変わっているはずだと信じたいというのが本音です。


1年前の今日は、ちょうど大学の実習の直前で、翌々日から始まる実習に対しての恐れや不安と戦っていました。

その時は、自分が臆病で弱い人間ということを受け入れていなくて、前日に空元気で装っていて。そんなメンタルで挑んだ実習は、見事に自分が壊れてしまった3週間でした。

その実習はある意味ターンングポイントだったかもしれません。
初めて、自分が壊れることを体験したし、あーやっぱりダメだったかと、終わってからは泣きまくったし。

ダメとかダメじゃないとかは、人によっての基準があるでしょうが、私はその時、自分はダメなんだという判断を降す事しか出来ませんでした。


臆病者なりに頑張るってことを学んでいなかった。


臆病者は臆病者の範囲内で頑張るのが適切なのでしょう。
範囲を超えてしまったら、意味がないのでしょう。


今、携帯のカメラロールを見て、過去を遡っていたら、自分の笑顔が不自然だということに気付きました。
この半年くらいで私は、本当の顔と嘘の顔を見分ける技を持ったみたいで。

1年前2年前、もっと前の5、6年前まで見たけれど、どれも本当の顔ではないように思えてしまいます。
それが真実かは分かりませんが、1度そう思えてしまったので、もう後戻り出来ません。


私は臆病です。
そうはっきりと言ってしまえたら楽なのだろうと。

友達と遊ぶ時、友達の結婚式に呼ばれた時、友達や家族からいきなり電話がかかってきた時。
全部に対して、ビクついています。

その心を持ってしまった以上、もう後戻りは出来ないのです。




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