小説家に会いに行ってきました。
先週の土曜日、小説家の薄井ゆうじさんが開催した「小説一日講座」なるものに足を運んできました。理由はもちろん私の小説「寿司ロールとサーケで乾杯!」を読んでもらうためであります! これまでボランティアの方々には様々なご感想を頂戴し、現在、それらを参考に推敲を進めています。そんな中、一人くらい現役の小説家の方が私の読者に加わったら面白いかなと思い、講座に参加してみることにしたのです。
小説と建築の親和性
さて、一夜限りの授業が始まりました。内容を要約すれば、小説は建築と似ている、というもの。薄井さんは、大江健三郎氏が20年ほど前に文芸誌に掲載した小説に関する論文を引き合いに出し、解説を進めていきました。
小説の物語を組み立てることは、家やビルを組み建てるのと同じような思考をもって臨むこと。つまり、まずは骨組みをしっかりさせて、細部を綿密に計算して作り、物語の隅々まで埋めていき、そして全体に歪みがないように辻褄を合わせる。そうです、建築学と文学はとてもよく似ているのです。
みなさんは、どう思われますか?
薄井さんはさらに、小説を書く上で大事なことが2つあると、おっしゃいました。
1 嘘をつかないこと
これはあくまで小説の中で、自分の気持ちに嘘をつかない、という意味です。本当に自分はこれが好きなのか、このストーリー展開は本当に自分が望むものなのか、この主人公は本心からそう考えているのかなどを、自問自答しながら書いていく。書き手の本音とは逆だけれど、ハッピーエンドにした方がウケそうだから、などという「きれいごと」では小説は成立しません。
2 意地悪な気持ちにならないこと
これもあくまで小説の中で、という意味です。薄井さんいわく、世の中には、嫌いな上司の悪口や、夫や妻に対する不満を書き綴っている小説が意外と多いそうですが、これらは厳密にいえば小説として成立しえない。つまり、小説の中では、現実世界で嫌いな人に対しても優しい心で、相手の立場に立ちながら「敵対者」の心理も描いていく。そうすることで優しい膨らみが作品に生まれる。なるほどと、思いました。
さて、私の出版プロジェクトはどうなっていくのか、ますます楽しみになりました。
薄井ゆうじさんにお会いして好感が持てたところは、彼がいわゆる文学賞原理主義者ではないところです。
文学賞原理主義者とは、私がつくった言葉です。世の中の現役小説家の中には「文学賞を取って初めて書き手として認められる」と考える人がじつに多くいて、私がこれまで会ってきた作家のほとんどがそうでした。「賞を取っていない人が物を書くことについて意見するべきではない」「賞を取っていない小説など、小説とは認めない」などなど、驚くほど凝り固まった考え方をする小説家たちが、世の中とても多いのです。
しかし現実には、たとえ一握りとはいえ、noteやカクヨムの投稿から注目が集まって本になった小説もありますし、友達同士で共作した小説が自費出版で運よくヒットしたという例もあります。また、それとは反対に、文学賞を受賞してデビューして、作家たちからいわゆる「認められた」小説家になった人たちが、編集者とうまくいかずに出版社との縁が薄れて、結果的にセルフ・パブリッシングに活路を見出しているケースも少なくありません。というか、こちらのケースは多く、個人的にもよく知っています。
薄井さんは私から見て、賞に固執するような考え方の人ではないようでした。一夜限りの講座の受講者の中には、「賞を獲るぞ、獲るぞ」と意気込んでいる人も何人かいましたが、それはその人たちの生き方なので、私は何も言いません。受講者の中にはセルフ・パブリッシングですでに何冊か出版されている人もいて、売り上げをどう伸ばしていくか悩んでいるとのことでした。互いに初対面なのに話が弾み、SNSの活用法やセルフ・パブリッシングの媒体を見極める話などで、時間を忘れて互いに話し込んでしまいました。
そんなわけで、とても有意義な土曜日を過ごさせて頂きました。この出版プロジェクトを始めてから、嬉しいことにnoteのフォロワーが増えました。募集中の小説ボランティアに参加するのは躊躇するけれど、私がやっていることに興味があるという方は、今後もぜひ「スキ」をお願いいたします。この出版イベントをみなさまとシェアして参ります。
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