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イエベとかブルベとか、分類わけされてたまるか。

世の中にたくさん分類わけする言葉が存在する。SかM、イエベかブルベ、性格診断、右脳派か左脳派、など。

今までは自分が何派か知るのが好きだったから、診断は積極的にうけたし参考にしていた。自分は○○なのだと知ることに安心感があったのだと思う。自分が何者なのかのヒントが得られる感覚が欲しい。よりわかりやすく自分という人間を”言葉”や”文字”で表して、理解してもらいたい、多くの人に知ってもらいたい、そう思っていたのだと思う。

ただ、最近は分類わけされないことに安心感が芽生えてきた。その自分の中の変化がとても嬉しい。そんな幸せな気持ちや自分としての疑問を発信していきたい。

”分類わけされること”に安心感があった私

 昔から、自己分析とかタイプ別診断とか占いとか好きだった。正直今でも好き。自分が何者なのか、何が似合うのか、なにがやりたいのかがわからなかったから、外部からの意見を参考にして”自分”というものを形成したいと思っていたからだ。自分がなんで生きているかわからない、自分のことなのに「君は何者なの?」と聞かれた時に答えられないなんて、なんだかとても耐えられなかったのだ。ハッシュタグが欲しい、アイデンティティをちゃんと相手にわかる文字で表したい。と焦っていた気がする。

 診断とか分類わけされることで、自分の特徴が言語化され、自分というものが何か形作られた感覚があった。これで自分に似合うコスメや服がわかる、自分が適した仕事がわかる、自分の見せ方がわかる。そんな安心感と自己理解が深まった前進感が味わえた。診断結果に基づいて服を買ったり、化粧品を買ったり、社会の中の自分の役割を決めてみたりした。

”分類わけ”って誰のなんのためにあるの?必要?

 分類わけに従って行動してみて得られる感覚は、「確かになんかあっている、気がする。」という、そんな感じ。でも、実は他の自分が該当していない分類項目も自分に当てはまっている気もしたりしていたが、そんなこと考えたらキリがないと思い、そこに目を向けることはやめていた。それより、私はこれなんだ!と信じられるものがあって嬉しかったのだ。そして、その分類に該当する人に合った「正解とされる進むべき道」のようなものが用意されていたから、それに乗っかればよくなると思っていた。

 生きることについて本気で考え悩み向き合い始めてから、「分類わけされていると安心する」という価値観は変わっていった。

そもそもその分類わけのフレームを作っている人の意図を考えたり、数個の分類わけで人を表すことができないということ、そして何より自分は常に変化し続けるということ。

変化し続けるし変化し続けたいから、何かの枠に囚われる感覚にすごく嫌悪感を抱くようになった。人は変われると知ってから、枠にはまってそこから何も変わらなくなるかもしれないというほうがよっぽど怖くなった。

そして、自分の頭の中や感じていることを『多くの人にわかりやすく説明する』ということがとても難しく感じた。自分の中ではとても貴重な素晴らしい感覚なのに、文字や言葉にするととても軽く聞こえてしまう気がすることがあるから。その感情を大切に思うから、こんな軽々しいものじゃなくてもっと深いものだと思っているし、その適切な表現が見つかるまで外に出したくなくなったりもする。

 そんなこと考えていると、自分を適切な言葉で表さなければならないという感覚も無くなってきた。べつにわかってもらえなくていい。自分だけが自分の感覚を大切にできればいいし、なんなら自分でも自分のことをわかりきることはできないのではないかと思うし、わかりたくない(わかるように変化しなくなる)のが嫌だとも思えてきた。

今後どう生きるか

 そんな心の変化があってから、私は枠にはまらないで生きようと決めた。誰かに理解してもらおうとすることを手放してみようと思う。

わかられてたまるか。私は自分が思っているよりももっと深くてもっと面白くてもっと色とりどりなんだと思いたいのかもしれない。

だから、特に女子に言いたいことは、

ブルベとかイエベとかどうでもいいから、自分がいいなと思うもの選べええ!

サポートタイプだから自分のことを後回しにするのは間違いだあああああ!

好きな!色の!形の!服を!着ろ!

こんなところだろう。

といいつつ、パーソナルカラーとか骨格診断は参考にして生きている。そんな矛盾ある自分がとても好きである。

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