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店員にセクハラ発言をする大学生にみた「お客様は神様」という昭和脳の話

「ごはんを食べなさい!」

ダラダラと食べるのを見兼ねてママが注意する。親の教育が悪いのはその通りであるが、長女も次女も食事に対する興味も意欲も低いのだろう。やれ頭が痒くて気持ち悪いだとか、やれ眠たくなってきただとか、小さなことに文句をつけて食べようとしない。 

なんなんだろうね。

「残さず食べるマナー」ですらできないので飲食店に行けば、店員にも周囲のお客様にも迷惑をかけてしまいそうなことが気になりすぎて、子どもができて以降は全くと言っていいほど行かなくなってしまった。

親になって、とにかく人様に迷惑かけたくないと思うようになった。何しても愛おしい、かわいいと感じるのは血の繋がりをもった自分たちだけであって、他人からすると「このガキウザっ。親はどんなシツケしとんねん」と思われるのがごく自然の感覚だろうと。

僕が親になったから、一つ一つの行動に対して客観的な目をもつことができるようになったからかもしれないが、店員に絡む輩をみると本当に恥ずかしく感じる。

居酒屋に行った時に、隣の座敷が大学生の集団になることがある。男ばかりの10人程度の飲み会が一番タチが悪い。

酔った勢いで悪ふざけして「どぎつい下ネタ」を言って、ぎゃははは!と笑ったかと思いきや「店員さん、今の会話もしかして聞こえてました?」「ちょっと待て!お前それは完全にセクハラやから!ぎゃはははは」
と、店員さんにだるく絡んでたりしている輩を見たりすると、もうね、、、 

当然、しらふの店員さんは全くそのノリについてこれないわけで、全く関係ないけど同じ空間にいる僕も何か申し訳なく思って、心の中で「こんな嫌な思いしているのに、僕ら客のために働いてくれてありがとうね、ごめんなさいね」と思ってしまう。

店員に迷惑をかけるあれこれ

「遠慮のかたまり一個残し」。
調べると意外だったが、これって言い方が地方によって違うようで関東では「関東の1つ残し」、熊本では「肥後のいっちょ残し」、佐賀では「佐賀んもんのいっちょ残し」 と呼ばれているようだ。

居酒屋で複数人で飲んでいる際、大皿料理が微妙に残ってしまうということがよく起きる。
最後の1個を「最後のコレを食べたい人がいるかもしれないよね」と誰が食べるかで牽制し合った結果、1個だけ料理を乗せた大皿がテーブルの上で存在感を発揮してしまう。

店員さんの目線でこれを見ると、1個残しの大皿があるせいで新しい料理を置く場に困るし、さっさと空いた皿は片づけたいもの。
持ってきた料理片手に、声をかけながらどうにかスペース確保して、四苦八苦しながら新しい料理を置くことになる。

これは店員さんの手間を増やしてしまっていることは事実ではあるが、まだ理解はできるだろうし、人の心理を考えると「迷惑行為」かと言われると、別かもしれない。

僕が気になるのはここからだ。
「これもう一杯」といった形で注文するおっさんがいる。

こんなに沢山いる客で、あんたが飲み干しかけたグラスみてさっきは何を注文したかなんて覚えているって、何のハードゲームなんだって。

「おれも、同じもの」って言うのだって、まだ全く違う色のドリンクを飲んでいる場合であれば優秀バイトには判断がつくかもしれないが、水割りを飲んでいる時などは伝票をワザワザ見て確認しなければならずに確実に手間が増える。

注文する側がメニュー表をみて名称確認して言えば良いやんって。普段、職場ではそうやってるでしょ、って。

あとは「上座、下座」問題。
正直、席なんてどこでもいいだろって。エライ、エラクない、といったことでいちいち席順を考えるのも鬱陶しい。
「田中さんは、あちら。さぁさぁ、奥へ!」
「いえいえ、鈴木さんこそが奥でしょ!」
「いやぁ、田中さん差し置いては。どうぞどうぞ!」
なんてやり取りをしているのをおしぼりを置こうとしている店員の目を見たら
「どーでもいいから、さっさと座れよ」と感じているのが分かる。

注文を決めるにしても、互いに遠慮しあってなかなか決まらないというのも無駄である。
最初のオーダーなんてもんは、パパッと見て「コレ!」というものを3~4品ほど頼んじゃえばいいのだ。 
決まるまで店員さんは呆然と立ち尽くす。忙しくて色々やらなければならない状況下で、待たせてることに少しでも気遣いはないのかと思ってしまう。

たとえばセルフレジで自分がモタモタして後ろの人を待たせている状況であればどうだろうか。「あ〜、待たせてしまってる」と感じて「申し訳ないな」と、そわそわするはずである。 

そう考えると飲食店の店員に対しては「客なんだから待たせても良い」「待ってあたり前である」という感情がどこかにあるのだろう。

もはや「お客様は神様」の時代ではない

たかだか2、3千円程度で、王様でもあるかのような態度で店員に接し、ちょっと腹が立ったからと汚い言葉を投げつけ、家に帰っても気持ちが収まらなかったら責任者に脅迫じみた電話をしたり、 誹謗中傷を書き込んだりする。

自分には決して危害を加えることのないであろう店員をターゲットにして、普通ならしない高圧的な態度を許されることによって虚栄心を満たしているわけである。 

こうなってくると多くのアルバイトが「変な客の多い職場では働きたくない」と考えはじめる。ある程度「客を選ぶことのできる仕事」に行きたくなるだろう。

今の時代、そんなところで働かなくても、雇ってくれるところはいくらでもあるんだから。こんなに景気が悪化したコロナ禍でも有効求人倍率みると「求職者」よりも「求人募集」の方が上回っている。 

ただでさえコロナによる景気悪化をダイレクトに受けて従業員を切ってきた飲食業界だ。
コロナ収束後に、採用に苦労するのは明らかであるが、そうして雇ったアルバイトに辞められると、代わりを見つけるのが至難の業である。 

これまでの時代は「お客様は神様」だったので、多少の無茶や態度、クレームでも受け入れてきたけど、 最近は「客よりも店舗で働いてくれる従業員が大切な時代」になってきた。 

そうなると結局、損をするのは利用者側である。

小売・コンビニや、飲食店、病院やタクシー。
こういった「客を選べない」職種が従業員を集めようと思うなら高給を維持しなければならないし、なんらかの形で「客を選別する」という方針に変わらざるを得なくなるのだ。

海外(特に先進国)では売り手も買い手も対等である

独身時代に40ヵ国弱の国を旅してきたが、お金を払うものが高い地位に立つのが当たり前という考えは日本独特の文化だと思う。

これを「おもてなし」と言うのかはよく分からないが、誤解を恐れずにズバっと言うと、立場毎にコロコロ態度が変わる事自体が、多くの日本人を不幸にしていると思う。

海外(特にヨーロッパ)では、普段どおりの人間対人間のお付き合いといった感じで、どちらが上とか下とかの態度や言動は微塵もない。

スーパーマーケットのレジ従業者は、椅子に座ったままで商品を手に取り、バーコードを読み込ませる。会計が済むと互いに「ありがとう!じゃ、またね!」と挨拶をして分かれていく。アメリカだって、店員同士でお喋りしながら楽しそうにレジ打ちしている。それに対して日本みたいに仕事中に無駄話している、あいつらは不真面目だとクレームするような客はいない。

日本では、お金を払うものが高い地位だと勝手に上下関係を作って「完璧さ」を求め、大変な剣幕で店員を怒鳴り散らし、毎日毎日気が遠くなるほどの怒りがあちらこちらで噴出している。今では大企業はその対策としてお客様センターを設置して何かあれば平謝り。
こうなると誰も幸福なんてない。

心が満たされず毎日ピリピリした気持ちで暮らすことになるのだ。 

昔ある演歌歌手が言った言葉「お客様は神様です。」がそもそもの元凶の一つである。この言葉の裏に隠された意味というか思想が、多くの日本人を不幸にしてしまっていると僕は思う。

いかなる状況であっても、接する相手は同じ人間である。
お金を払うものが高い地位、何をしても許される、完璧なおもてなしをして当然である、といった傲慢で窮屈な考え方で生きていくなんて、これからはムリゲーな上、得策でさえないと思った今日このごろでした。

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