見出し画像

人を想うことで自分が助かる

もう何もできない、そういうときはそれでいい。
だけど、ほんのちょっと、もしできそうならば、心がモヤモヤする、不安に駆られるときにこそ、誰かのことに思いを馳せてみる。
それは何も大きなことじゃなくっていい。

例えば自分の言動を、あれでよかったかなとかぐるぐる考えるループに陥ったとき。
それは自分の心に全集中し、同じ反省を繰り返しているので心が疲弊する。
"反省は一回でよく、反芻するもんじゃない"と教えてもらったことがある。
しかしなかなかそのループから抜け出せないことはある。
でも心の向きをほんの少し変えてみて、自分ではなく誰かの心配に向ければ、自分のぐるぐる思考から一旦距離をおける。
例えば小さな子どもが目の前で転んだら、"大丈夫?"と即座に声をかける。その瞬間自分のことは忘れている。
人は人の心配をしている時は自分の悩みから離れられる。もしくは放たれる。
人のことを考えているうちに、自分の悩みはどうでもよくなることもある。
(辛い方の)ドキドキバクバクから、心の舵を取り返すこともできる。
それは感情と自分の間にポッと空間ができるから。
(どの感情も自分自身と近すぎも遠すぎもよくない。近すぎると感情に振り回されちゃうし、遠すぎると感情に蓋をしちゃうから苦しくなるし、感性も育ちにくくなりそうだ。)

もちろん、考えることは悪いことではないし、それが必要なこともある。
考え過ぎが功を奏することもある。
ただ特に考えても仕方のないことを考え続けることで、心が消耗するのは避けたいものだ。

しかし、ここで難点がある。
優しい人は、相手の範疇まで心配を広げて、今度はそれに心奪われることになりかねない。
でも私たち1人1人は、人生という土俵に各1人ずつ立っていて、他の誰もそこには立ち入ることはできない。
周りの人ができるのは声をかけて、応援することだけ。その人が何かと闘っているとしても、その闘いに参戦はできない。お互いに。
だから真心や言葉を届けた後はその人の範疇で、その人がその人の力でやるしかない。
その人が何か行動を起こすとか変わるとか。それも相手の自由だし。
そのあとは相手の範疇だ。それを超えて心配してしまうと、自分も相手も(心理的に)縛ってしまう方向に向かうので注意が必要だ。
ここは冷静に、自分ができることはここまでと潔く後は見守るくらいのことしかできないと心しておく。
(そうは言っても家族等の場合は自分事に繋がる場合があるので、難しいけれど。)
そういう前提で相手を思う。
寄り添うっていうのは、相手との距離を縮めることとイコールじゃないらしい。これも教えてもらった言葉。
時には距離をとりながら、寄り添うこともできる。
(だからさらに言えば、好きな身近な人だけでなく、そうでない人にも、寄り添うことはできるんだ。もちろん大切な人には心の距離を、相手の問題ない範囲で縮めることはある。)
例えば、ずっと心配し続けるんじゃなく、"あ、心配だ、がんばれ"って思い出すように、それくらいフラットでいいかも。

ここで私の尊敬する中居正広さんの、"緊張"についてのお話を紹介したい。
ある番組で、「自分はあがり症で、人前に出ることは苦手。芸能人の皆さんは緊張を克服するためにどうしていますか?」と視聴者の方から質問があり、彼は下記のように話している。
友人の結婚式のスピーチをする際のことを話に挙げて、こう続けた。

スピーチをして『良い話をしたね』という評価を求めていたら、俺も緊張する。
明日の俺たちのあいさつは"良いこと"を言うのではなくて、本当に俺らと仲良かったわけだから、そいつのために『おめでとう』という気持ちがあれば、噛もうが、話がグズグズになろうが全然大丈夫。
だから、俺は緊張しない。そこで俺がもし、"
SMAPの中居"として行ったら俺はしっかりとした話をしないといけない。面白い話もしないといけない。"評価のため"に行くと思うから、準備はして緊張すると思う。

中居正広氏(ある番組にて)

まさにこの話は自分がどう思われるのかの評価を気にする余地もなく、相手を思う真心で心がいっぱいだから、緊張しないって話だと理解した。
私はこの話で、自分中心ではなく相手中心に思いを馳せると視野が広くなり、こころもどっしりかまえていられるのだなと教えてもらった。
私は彼のようにまではできないかもしれないが、緊張や不安に心を浸食されない秘訣を学んだ。

自分中心ではなく相手中心。
(これは自己犠牲で相手の顔色を窺うという極端な話とは全く別である。これはむしろ他人軸ではなく自分軸で生きるお話。話が脱線するが、そもそも相手がどう受け取るかはお任せするしかない。その上で自分の意図する形で言葉や思いが届かなかったら、コミュニケーションをとりながらそれを訂正して謝ったり、譲歩してもらったりと落としどころを見つけるのが人とのかかわりなのかなと思う。)
もちろん自分のコップが枯渇しているなら、まずはそこに愛を注いでからでいい。
自分を大切にすることは重要。
その上でせっかく持っている優しさの使い方を正しくそれがいい形で、誰かや自分にとって活かされるように願う。

長い目、大きな視点でみたら、人に向ける思いやりは自分を助けることになる。
自愛、愛他は全部繋がっている気がしている。

自利と利他はバランス。
でも本当は利他は自利で、自利は利他なんじゃないかな。
自利ばかりでも利他ばかりでもいけない。
どちらかばっかりに偏ってきたと思えば、その都度調整しながらでいい。

以上、他を思うことで、自分の負の思考や感情のループから脱出(もしくは空気を間に入れて少し俯瞰になれる)作戦を書いてみました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?