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「通勤」をやめて失ったもの。

"通勤" をやめて、もうすぐ2年がたつ。
新卒で就職した頃から、いずれ家で仕事をしたいと思っていたし、実際やってみると原稿を書く合間に洗濯物を干したり、好きなときにご飯やおやつを頬張ったり、波の音のBGMをかけて離島にでもいるような気分に浸ったりして、会社員のくせにずいぶん気ままに働いている。満員電車で窒息しかけることもなければ、Amazonからの荷物を受けとり損ねる心配だってない。実感しているその良さは、パッと思いつくだけでも軽く30個くらいは言えると思う。

そのくらい今の働き方は気に入っていて、やめるつもりもないけれど、家で働くことで得たものがある分、失ったものもやっぱりある。


隣の席の先輩とのちょっとした雑談や、無意識に耳に入ってくる同僚たちの会話。そこから知る仕事の裏事情やプライベートのあれこれ。近くに新店ができたとか、街角のさびれた定食屋が意外とおいしいとか。会社にいるだけで得られていた情報が実はたくさんあって、今思えばそれは仕事にもわたしの生活の中にも生きていた。


そして何より恋しいのは、仕事を終えて家に帰るまでのあの時間だ。疲れ切った自分を労わるために、ふらふらと飲屋街の路地に迷い込んでいたあの時間。道端にポツンと置かれた看板に導かれ、雑居ビルに隠れ家のような喫茶店を見つけたあの時間。飲む約束をした同僚が仕事を終えるまで、職場近くのコンビニで陳列された商品を何往復も眺めていたあの時間。「いつもありがとね」と言ってくれるようになった店主が、帰り際に柿を持たせてくれたあの時間が、恋しくて仕方ない。


すれ違うサラリーマンやOLは皆どこか居酒屋の匂いをまとっていて、それは決して気持ちのいいものではなかったけれど、今となっては少しうらやましい。

もちろん、今でも仕事を終えて街に出掛けることはある。でもそれは、あくまでも「出掛ける」のであって「帰るまでの時間」ではない。 オフィスビルをでた途端に感じる風の心地よさや、これから明日の朝まではすべてわたしの思い通りなのだと心浮き立つ感覚も、家の近所のコンビニまで辿り着いたときのあのなんとも言えない安心感も、仕事おわりの帰り道にだけ存在しているものだった。


あの時間と感覚を取り戻したくて、休みの日にバイトでもしようかとぼんやり考えるくらいには、ひどく恋しい。そしてふと我に返り、相変わらずないものねだりな自分に呆れている。なんでもない日常のひとコマほど、失くしたときに愛おしくなるのは何故なんだろう。会社で働くみんな、その時間はみんなの特権だよ。


ー書きながら聴いた音楽
・haruka nakamura / Arne
・仙台市 定禅寺通の蝉の声と雑踏


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