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そもそも論

社会では、そもそもなんで?と思うことが多い。「そもそも」を深掘りしていくと、「結局意味ないじゃん。」と気付くこともしばしば。

「そもそも学校に通う必要ある?」
「そもそも働く必要ある?」

こうした「そもそも論」は初級編。

この世の中、そもそも論をすっ飛ばして、なんとなしに生活が続いていく。

そもそも大学に行く必要はある?そもそも企業に就職する必要ある?そもそも東京に住む必要ある?そもそも定住する必要ある?

気付けば、そもそも論はすっ飛ばされ、結局途中で気付くのだ。

「そもそも、なんでこんなことしてたんだっけ?」と。

なんで働いてたんだっけ?なんで勉強してたんだっけ?そもそも?

忘れていた「そもそも論」に気付く日が、いつかやってくる。だったら、先に自分の中にある「そもそも」を深掘りした方が近道ではないか。

自分の身の回りにある「そもそも」について、ふと考えてみる。なんとなく生きていると、そもそも論をスルーしてしまうことの方が多い。かといって、そもそも論を追いかけすぎても、疲れてしまう。

ときおり、自分の中にある「そもそも」を見直す。実は目の前にみえるこの世界はこの世界でしかなく、絶対的な存在。けれど、「人間」というフィルターを通したこの世界は、歪んでいて、ぐちゃぐちゃで、合理的ではないことに気付く。

そもそも論を深く考えていくと、この世界についてほんの少し詳しくなったような気になる。

そして、悪い大人たちが作ったゲームから、抜けだせるのだ。

そもそもなんでそんなことしているの?何でそんな場所にいるの?どうしてする必要があるの?

僕はこの世界が不思議でならない。そもそもなんで?と思うことだらけ。だから僕は、毎日のように、本を読んで、映画をみて、文章を書く。すると、頭の中にある「そもそも」が減ったり増えたり。

そもそもなぜ、あなたはこのエッセイを読んでいるのだろう。あなただけの「そもそも」の中に、人生のヒントがあったりして。



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