ハタチそこそこでぎゅうぎゅうな人生
弟の面倒を見ているだけで
何故、
いじめに繋がるのか…
長女だから弟の面倒を見て当たり前
長女だから我慢して当たり前
確かに当たり前かも知れないが
弟が小学校高学年に上がるまで
遊びに行きたくても弟も宿題を終わらした後に
"一緒に"遊びに行く。
これが弟の面倒を見るというルール
何でもかんでも"一緒に"
弟はとても自由でわがままでやりたい放題
小さいから仕方がない。
では済まされないほど
学校に来ず、行方不明になっては
警察から連絡が入るのがほとんど毎日
その度にしっかり面倒見ていないと
怒られる私
さらには弟が"一緒に"というだけで
友達から遊びたくない
弟が付いてくるから邪魔
ましてや弟は問題児の為
遊んでいても不安で心から楽しめないのだ
そのため放課後は
友達からの誘いを全て断り
リビングで弟を見ながら
ひたすら勉強ばかりする毎日になっていた
すると
突然いじめが始まった
誰も私に遊びの誘いをしなくなり
学校でも遊ぶことがなくなり
陰口を言われ
弟に何かある度
私のところに来る先生達
その度に友達との距離が広がり
白い目で見られる毎日
小学生ながらにもう友達というものが
何か分からず、同じ空間に居る人間
とだけ認識していた。
トイレに入れば
上から使用済みの生理用品を投げ込まれ
給食になれば楽しみのデザートは
私だけいつの間にか無くなり
体育のペアはあまりもの
修学旅行なんてどう楽しめというのか?
と私はしんどくなっていく毎日だった
ある日突然友達に誘われて
放課後遊ぶ事になったが
遊んでやるから喜べ
と言われてめいいっぱい
首を絞められた。
それは小学校2年生の時だ
そこで、私は自傷行為に目覚めた
バレてはダメだと子供ながらに思った
最初は自ら殴ったり、皮膚を引っ掻き
しんどさがピークに達すると皮膚を焼いては
泣いていた。
いじめがエスカレートし、
掃除道具箱に閉じ込められたり
階段から突き落とされるようになったりと
命の危機を感じるたびに
リストカットなどで血を見て
生きていると自分を落ち着かせていた
そんな毎日からやっと解放されると思った
小学校の卒業式
まだまだそんなもんじゃ解放なんて
許されなかった。
中学校こそ本当のスタートだった。
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