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誰もがアーティスト🌟/仕事について

今朝、壁に張り付けたような狭くて小さすぎるありがたいキッチン(キッチンの悪口はあかんので、ちゃんと持ち上げとく)に立ち、ふと昔のことを思い出した。

そういえば、30歳代の頃、一度、「看護師を辞めて調理学校に行くことにした!」といったことがあったんだったーと思い出した。パンフレットなどもこそこそ集めていた。

しかし、予想通りの親からの静かな反対・・・泣きの手紙も渡され、あっけなく流れた。

なぜ料理をしたかったのか・・・。
料理ができるようになりたい!というのとはちょっと違っていた。
今思えば、あの時、”表現”をするものが欲しかったのかなぁと思う。

料理で自分の世界を表現できるって素敵だなぁと思った。
本当は、料理じゃなくてもよかったのだと思う。

結果的に看護師を続けて緩和ケアの勉強をしに行けたことも私の今を作ってくれている。
逆にあのまま料理学校に行っていたらまた違った人生だったかもしれないとも思う。

ちなみに看護師を辞めようと思ったことは過去に何度かあった。
その時ですら看護師は愛すべき最高の仕事だと思っていた。
看護師の仕事を嫌だと思ったことがただの一度もない。
ただ、好奇心旺盛なのでいろんなことを経験したかっただけ。
看護師を大好きな私が別の仕事をした時どんなコラボレーションが生まれるのかを経験・・・いや表現してみたかったのだと思う。
何かの表現できる場を外側に求めていたのかもしれない。

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いつか表参道あたりで「看護師ってあなたにとってどんな仕事ですか?」とインタビューされたら顔出しNGでと条件を出した上でこう答えると思う。(一人で勝手に妄想入ってまーす、はーい、皆さん、お気になさらず)

「私にとって看護とは“創造”或いはとても”クリエイティブ”な仕事です!」と得意顔だけどモザイクがかかった私は答える。

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病院での経験のほうがまだまだ長いけど、訪問看護の世界で働くようになってから10年経った。

訪問看護は、一般的には1時間くらいの時間を1人だけで訪問するパターンが多い。
受け持ち制のところもあればチーム制のところもある。チーム制の場合は、何人かの看護師がチームを組んで今週は私が訪問して、来週は○○さんが担当ね・・・みたいな感じ。

訪問看護は誰にも備わっているクリエイティブな魂を自由に解き放たせてくれていると思っている。
もちろん病院でも可能だけど訪問看護の方が自由度が高い印象がある。

その人にケアする内容は、ケアマネージャー立案のケアプランのもとケアしていく。

例えば、洗髪というプランが立っていたとしよう。

目の前の人が最高に気持ちよくなる方法について自分の中であれこれイメージを膨らませる。

長らくお風呂に入っていない人には、ベッドの上でもなんとか洗髪をしてあげたい。訪問看護は病院のように物品が揃っていないので家にあるものをあれこれ工夫して使ってやっていく。もうその時点でクリエイティブ!

バスタオルをクルクルと巻いて円座のような形を作り、おおきなビニール袋の中に入れて洗い流す場所を作る。バケツに排水するなり、吸収力抜群のオムツに活躍してもらうなりする。
折角気持ちよくなるのにそこらじゅう濡らしてしまっては、気持ちも半減するので濡らさない工夫を丁寧にしていく。

お湯は、2リットルのペットボトルに入れる。穴をキリで空けたキャップか園芸ジョウロにするペットボトル用のキャップをつけてシャワーにする。

ヘッドスパ気分も味わって欲しいと思えば頭のツボ押しもしたりなんかする。
「極楽ー」といってくれる。
美容院に行った時もタダでは帰らない私。
美容師さんの散髪のスキルやタオルの拭き方を盗む。
シャンプー後、耳をタオルで拭く時にすごく気持ちのいい拭き方をした美容師さんがいた。
今、その拭き方を真似っこしている。

美容院でよくしてくれるように温かいタオルが首回りにあれば尚、気持ちいい。
仕上げに温かいタオルで顔も拭いたらちょっとしたお風呂上がりみたいな気分にもなれる。

ドライヤーでふわっふわの髪に仕上げる。ドライヤーしている間って美容院でも気持ちいい。温かい風が当たり美容師さんの手櫛も気持ちいい・・・そんな心地よさを感じて束の間でもいい時間を過ごさせてあげたい。

同年代のお客様で白髪を気にする人には、カラーリングをお手伝いすることもある。私が寝たきりになったらやはりそれはして欲しいと痛切に思うから。
看護師の仕事ではないと言われるかもしれない。
でもカラーをすることがその人の若さや活力やプライドを保つものになるとするならお手伝いしたいと思う。プライドって大切。

なんなら・・・髪も切らせて頂いている(笑)
本当は、訪問看護師の仕事ではない。
散髪屋さんや美容院に行けないかたは、本当に喜んでくれる。
介護度によっては訪問理容サービスなどを利用される方もある。
プロに任せるのが一番いいとは思う。
でも「途中でトイレに行きたくなったりする時に困るから看護師さんがいい」と体の事情があり頼めない人もいる。

私は、しょっちゅう髪を切るので下手かもしれないけど速い。
だから1時間の訪問内でもそれほど支障はない。
髪を切る看護師と思っている人もいるようだ(笑)
髪を切って気持ちがいい感覚を味わってもらえるなら気分も上がり免疫だって上がるかもしれない。

この1時間という枠の中でどれだけのものが提供できるのかとワクワクする。
今日は、同じ1時間の間に余分にこんなこともできて喜んでもらえたと思うとそれだけで嬉しい。
基本のケアは決まっていてもある程度はその人の裁量に任されている部分もある。
受け持ち制ではない場合、同じチームの人と足並みを揃えることも大切だとは思う。

あの看護師専属が良いわーということにならないよう、自分が提供したケアで喜んでもらえてメンバーも負担なくできることであればどんどん共有していく。
そして、そのお客様(患者様)のケアの質を上げていく。
それをすることでチーム全体或いは組織全体で伸びていける。

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人は、誰かを喜ばせる時にとてもクリエイティブになると思う。
喜んでくれると自分も幸せ。

例えば、絵を描く人たちは、誰かを喜ばせようとしているわけではなく自分の中のものを絵という形で表現しているのかもしれない。
結果、人を喜ばせてくれている。
きっと順序はどうでもいいのだと思う。

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看護に限らず、仕事は自分のクリエイティブな才能を育ててくれる場所だと思う。それは仕事の種類ではなかったのだと今は思う。
その人が、どんなふうに目の前の仕事と向き合うのか・・・。
そして、その仕事を通して誰もが持つアーティスティックな才能を表現していくことで、喜びが生まれていくような気がしている。

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私は、ハワイの問題解決方法である「ホ・オポノポノ」が好きで、それに関する本もよく読んでいた。
今年に入って「ホ・オポノポノ」のzoomでのワークショップがあり、「アーティストとして生きる」というテーマだったので自分の思いとマッチした為、受けてみた。Momilani Ramstrumさんという方が講師だった。

その中でとても印象的なフレーズがあった。

したいこと・・・芸術でも仕事でも。
自分の内側を整えることでアーティストとしての自分が現れてくる。
自分の目的を探究しなくていい。
自分のリズムを整えていくと向こうから“表現”が○○さんのところに行きたい!と言って現れる。
アイデンティティそのものがあなたを探しにくる
アーティスト(創作者)としての自分を取り戻し、クリーニング、内省を通じ過ちを悔い改めこの人生を楽しみ、自分の才能と天職の才能を表現していく

あちらから探しにきてくれるんだってぇ!!

皆さんにも眠るアーティスト達を起こしましょう。

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