毒親育ちと、慢性疲労症候群

50代女性。 母親によるネグレクトと過干渉。父は無関心。3歳上の兄は、母そっくりのモラ…

毒親育ちと、慢性疲労症候群

50代女性。 母親によるネグレクトと過干渉。父は無関心。3歳上の兄は、母そっくりのモラハラ人間。やりたいことも時間もお金も搾取され、毒親という言葉もない時代、翻弄されるがままに無理を重ね、慢性疲労症候群に。50過ぎての解毒、病の克服に向けた生活をシェア。PS7からじわじわ回復中。

最近の記事

慢性疲労症候群の方たちへ

慢性疲労症候群は、本当に辛い病気ですね。 私は、PS7~5を行ったり来たりしています。 1日のうち「普通でいられる時間」が、数時間あります。 この時間は、見るものすべてが眩しくて輝いています。 自分が、生き生きしているからです。 何でも出来そうな気がするし、些末な用事でさえも それが出来る自分に感動します。 思うように動けるだけで、嬉しくて仕方がないのです。 「明日は、銭湯に行ってみようか」 「ずっと行けなかった所に、行ける日が来るかもしれない」 と、思考も自然に前向きになり

    • 32年来の症状が消失 その治療法【慢性疲労症候群/CFS・筋痛性脳脊髄炎/ME・うつ病・パニック障害・自律神経失調症・原因不明の病】

      私は、2016年 45歳の時に慢性疲労症候群を発症しました。 愛していた仕事(技術職)を失いました。 いっぱい勉強して、寝る間を惜しんで練習して、たくさん仕事して、さあこれから独立してやって行こうという時でした。それが一転。 PS8で、ほとんど寝たきり。 何年も、絶望と模索の日々が続きました。 精神科に半年間、入院もしました。 まともに取り合ってくれる病院がない、治療法もない。 治したい一心で、煎じ漢方、Bスポット(EAT)高濃度ビタミンC点滴など、様々な療法を試しました。

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      • 4歳から、ひとり留守番 【 ネグレクトと過干渉 】

        3歳上の兄が、基準だった母 兄が小学校に上がったのを機に 母はパートを始めました。 私はまだ、4歳です。 貧乏だったわけじゃない むしろ、お金はありました。 父は、大企業の本部勤務。 ギャンブルなどもせず、頭のいい人で まじめに働いてくれていました。 母は、家計のためでなく 自分の洋服やバッグを買うために パートに出ていたのです。最低です。 (その事実は、大人になってから判明) 窓の柵にしがみついて、母の帰りを待っていた 誰もいない家で一人で留守番をするには 4歳

        • 慢性疲労症候群 という病

          風邪かな? しんどいな。 気分が悪いな、悪寒もすごいし、目まいもする。 体もだるいし、帰って休もう。 なんだか、インフルエンザみたい。 いつものように起き上がれない 1週間経っても、1か月後も、変わらない。 全然良くならない。思うように動けない。 仕事に行けない。・・・いや、そんなレベルじゃない。 寝ても寝ても、状態が一向に良くならない。 誰か、助けて。 病院に行っても「異常なし」 何の検査をしても「異常なし」 薬も効かない・・・該当する薬がない。 医者から放たれる

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          夫婦喧嘩は、こどもの脳を傷つける

          辛かった両親のケンカ 私の母は、ものすごいヒステリーだったので 父に不満がたまると、定期的に暴れていました。 夫婦喧嘩というより、母が一方的に怒鳴り叫び 物を投げつけ、泣き喚いていました。 水をぶっかけたり、硬い服で父を殴ったりしていました。 それを見るのは、ものすごく辛かったです。 今こうして文字を打っていても 怒りと恐怖が湧いてきます。 父は、母に一切手をあげなかった 父は、紳士的な人だったので 母に何をされても、絶対にやり返したり 手をあげない人でした。 母がま

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          毒親育ちのマウント

          毒親育ちのコミュニティなどで「あるある」なのが ・ウチの方が酷かった! ・アンタの話なんて、虐待じゃない、甘えるな! ・そんなの毒親じゃない!私なんて…(延々続く自分語り) ・・・という「自分のほうが酷かった合戦」です。 気持ちはすごく分かるし、私もその側面はあります。 ついつい「私なんて・・・!」と、訴えたくなります。 受け止め方は十人十色 他人が聞いて「そんなことで傷つくの?!」ということもあるし 驚くような惨状でも 本人は、どこ吹く風という人もいます。 それぞれ持

          毒親のヒステリーに騙されないで ②

          前回、親のヒステリーが始まったら 相手にせずに、すぐ離れて!と、述べました。 言うのは簡単ですが、責任感が強い人ほど ほっとけないんじゃないかと思います。 私がそうでした。(T_T) 母親の機嫌が直って、笑顔が出るまで その一件が解決するまで(ホントは解決も何もない) 離れることができませんでした。 母のネチネチに、いちいち捕まって、いちいち絡み合って ボロボロになってました。 貴重な時間とエネルギーをドブに捨てていました。。 親は大人です。 大人は、自分の感情に自分で

          毒親のヒステリーに騙されないで ②

          毒親のヒステリーに騙されないで ①

          私が小さい時の母親は、若かったこともあり エネルギーが爆発すると、手がつけられなかったです。 大声でわめき、奇声のような声を上げる 泣き叫ぶ、物を投げる…。 大体いつも2時間ぐらい続きました。 それが、2日に一度は起きてました。 子どもって、よそを知らないから それが普通だと思っていたけれど とんでもなかったんですね…。 自分が50手前になり、心理学や発達心理の本を読み 母親は精神的には3−5歳のまま大人になっていたことを学びました。 「幼児的万能感」というのを手放すことな

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          低気圧 気象病 自律神経失調症

          真冬寒さになって参りました。 今は、わりとマシになりましたが 私は、気候で心身の状態が非常に左右されやすく 「冬季うつ病」の傾向もあり 冬は、特にメンタルが辛かったです。 夕方ぐらいまで、抑うつで苦しくて苦しくて 生きてるのが大変でした。 冬特有の、鉛色の雲がもたれかかる重い気圧が、本当に苦でした。 ストレスは恐ろしい 現在は、そこまで落ちることはなく 「あー、今日は曇ってるな。」ぐらいになりました。 なぜ、回復したかを考えると 母親と絶縁し、ストレス源が目の前からいなく

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          はじめまして

          1971年生まれ。女性。キキと申します。 毒親という言葉が、すっかり定着しました。 そこから派生して「親ガチャ」なる言葉まで生まれました。 しかし、毒親という言葉が日本に入ってきたのは わたしが30代後半でした。 そして、自分の母親がそれと気づいたのは、40歳の頃です。 ずっと「おかしい、おかしい」と、必死にもがいてきました。 生まれ育った家庭が、機能不全家族という自覚もありませんでした。 父は、有名な大企業でまじめに働く人でした。 父のお陰で、大学に行けました。 衣食住に