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4歳から、ひとり留守番 【 ネグレクトと過干渉 】


3歳上の兄が、基準だった母

兄が小学校に上がったのを機に
母はパートを始めました。
私はまだ、4歳です。

貧乏だったわけじゃない

むしろ、お金はありました。
父は、大企業の本部勤務。
ギャンブルなどもせず、頭のいい人で
まじめに働いてくれていました。
母は、家計のためでなく
自分の洋服やバッグを買うために
パートに出ていたのです。最低です。
(その事実は、大人になってから判明)

窓の柵にしがみついて、母の帰りを待っていた

誰もいない家で一人で留守番をするには
4歳の女の子には、あまりに過酷です。
それは、早すぎます。
めちゃくちゃ心細かった。怖かった。
どれだけ、寂しく辛かったか。
窓の柵にしがみついて、ひたすら母の帰りを待ちました。
母の車が駐車場に入ってくるのを
一刻一刻、待ち侘びていました。
52歳になっても、その光景はありありと目の奥に浮かびます。
もう辛いという言葉しか、出てこない。

泣かなかった私

こんなに大変な思いをしているのに
私は、母の前で泣いたことがありませんでした。
子ども心に「仕事に行くのに、泣いてはならない。」と
思っていました。
「迷惑をかけてはいけない。」と。
4年しか生きていないのに!
我ながら、なんて賢い子だろうと思います。
その賢さが、母を「留守番をさせても、大丈夫なんだ」と
思わせたのでしょう。
全然、大丈夫じゃない!我慢してただけ!

行かないで!いやーっ!と、泣けなかった

母が出かける支度を始めると
「あ…お母さんがいなくなる。」
胸のザワザワが始まり
何とも言えない、陰鬱な寂しい気持ちになっていました。
だけど「行かないで!」「お母さん、いや!」
私は言わなかった。
「いやだー!!」って、泣けてたら。

でも、受け止めてくれなかっただろうな。。。

45歳で、爆発

私は、45歳の時に慢性疲労症候群を発症したのですが
発症時に、これまでの感情が爆発して
コントロール不能になり
母にぶちまけました。
「どうして、あんな小さい子を一人にしたんだ!」
「どんなに怖かったか!!!」
「どうして、何処でもいいから、預けてくれなかったんだ!」
「クソババー!!!」

泣き叫びました。

毒親に、悲しみは通じない

毒親育ちの一番の悲劇は、これかも知れません。
やっと、自分の感情が表に出て
それを、母にぶつけても
共感能力のない、人の痛みを想像できない毒親は
「ふーん」で、終わりなんです。(ToT)。。
あまりの無反応が悲しく、何とか分かって欲しいと
どんどん感情的になり、興奮してヒートアップすると
「今さら、なんやねん!!!」と、逆ギレ
こちらの何倍もの勢いで、喚きだし
狂ったように怒り出しました。

気持ちの交流なんて、ファンタジー

まともな人間関係だったら、胸の内を打ち明けると
その重さを受け止めて、立ち止まり
何かしら、言葉や気持ちが酌み交わされるでしょう。
でも、毒親となると、それがゼロなんですね。
思いを伝えたところで、何も生まれないし
気持ちや感情のやり取りが、全くないんです。
本当に「無」なんです。
だから、気持ちがある私にとって
それは「地獄の苦しみ」でした。
でも、自分が生きてる場所が「地獄」だったなんて
それに気がづいたのは、何十年も先でした。


治療費に充てさせて頂きます。応援よろしくお願い致します。