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夜の都会で木が光るとき

いわゆるライトアップとかいうものを眺めつつ、光っている木々はどういう気持ちなのだろうかと思ってみた。

この世に生をうけたときは、この場所に植えられることや、こうして光ることなど予見していなかっただろうに。

ライトアップされて人々からの注目を浴びるといった「選択肢」を知らぬまま、生涯を終える木が圧倒的多数派だろう。

生きるための選択肢だとはいえ、木が光ることを進んで選んだとも思えない。だが、たとえそうであったとしても、光るという立ち位置を与えられたなら、夜の都会で木は光らねばならないのだ。



たとえ望まぬ場所であっても、その現状を受け入れて光る都会の木々。

生きるとは、あるががままを受け入れることの連続で成り立っているものなのかもしれないな……という考えが脳裏をかすめた瞬間、

「思ったような人生でなくても、これはこれでいいじゃないか」


光る木々たちの声が聞こえたような気がした。

その言葉を聞きたくて、人々はライトアップに魅せられるのだろうか、夜の都会で木が光るとき。