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命の営み。心の病の治り方

かつて、精神科医との面談をおこなっていた時期。

治癒への道程は長く、通院の中断と再開を重ね、足掛け10年プラスアルファ。何度も主治医が変わった。

私が29歳のとき、寛解という形で治療を終えた面談。その日のことを後から振り返ってみると「完全治癒のスタートラインに立つこと」を寛解というのだなと思う。

心の病を治すには、人と人の間でトライ&エラーを繰り返しつつ、「治った」という手応えを積み重ねていくしかなかったからだ。



寛解として治療を終えた最終日。

私は次のような質問をした。

「私はこの先、何の問題もない人生など考えられないと思うのです。それなのに今日が最後だなんて……。

でも一生通院し続けたいかといったら、そういう気持ちはないのです。いつかは終わりにしたいという気持ちがあります。

でも不安なのです。

もしこの先、何か問題が起きた場合、私はどうしたらよいのですか?」

素直な気持ちだった。

その疑問を言葉にできること自体、ある意味、治癒への通過点だったのだろう。

当時の私にとっては、生きていくことは大変恐ろしいことだった。生きる限り「荒波」から逃れることはできないという事実を見聞きしてきた私にとって、生きていること自体が恐怖だったからだ。

すると医師は次のような言葉を私に伝えてくれた。

「私のような存在、即ち、あなたの言葉に耳を傾けてくれる存在を、あなた自身の中につくることを目的として、この面談を重ねてきました。」

「既に今、あなた自身の中にあなたの言葉に耳を傾けてくれる人がいます。だから、もし問題が起きたなら、あなた自身があなたのことを支えてあげてください。」

この言葉たちは、その後の人生を支えるための大きな「言葉の贈り物」となる。



寛解として治療を終えてからのほうが、治癒への道のりとしての本番のようだと感じていた。

その後の人生も、決して順風満帆ではなかったからだ。

むしろ、それまでと比べて遥かに波乱万丈だった。

心を病んでいたときは周りが「多めに我慢」してくれたのだろう。病んでいた時期は、対等な関係というよりは養護されている関係だったのだ。

苦しい出来事に遭遇するたび、辛い思いを繰り返すたび、医師に贈られた言葉を支えに私は生き延びた。

自分の中に居る「自分」と対話することを実践し、失敗したり成功したりを繰り返してきたのだ。

すると、自分と対話するスキルはどんどん上がっていく。

自分と対話するスキルが上がるということは、つまり、「人としての器」を自ら育てていくこと。皮肉にも、厳しい人生のおかげで私は人として成長することができたのだ。



内なる声に耳を傾け、悩みや苦しみを理解してあげる。自分自身が自分の一番の味方でいること。

内面との対話力があがれば、多少複雑な問題でも易々と乗り越えていけるようになる。

だが、「自分で自分を支え切れない」と判断することがあれば、適宜適切に助けを求めることを自らの意志で選ぶ。

そういう繰り返しこそが「命の営み」

誰にも侵されない自分の内面にこそ「最大の幸福」が潜んでいる。

その事実を認め、「最大の幸福」を実現する術(すべ)を体得すること。それこそが、心の病が治るということ。自らの経験から私はそう確信している。

この幸せを実感しつつ、これからも粛々と生きていきたい。


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