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寺院およびコミュニティの持続性と実現における寄付の役割

和歌山県かつらぎ町新城にある「童楽寺ホーム」は、現代版寺子屋として、社会的養護が必要な子どもたちを受け入れる取り組みを行っています。

かつらぎ町新城に元々「山村留学」という制度がありました。地域に根付いていた取り組みを引き継ぎ形で始まった「童楽寺ホーム」。

「お寺と地域」の在り方を童楽寺 住職 安武隆信さんに聞きました。

安武隆信:童楽寺 住職

<コーディネーター>
有井安仁:公益財団法人わかやま地元力応援基金 理事長

現代版寺子屋「子供の寺 童楽寺」ができるまで

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わたしは心に傷を受けている、何らかの事情でお父さん・お母さんと一緒に住めない子ども達と一緒に暮らしています。第一子の誕生後、新城小学校が廃校の危機を迎えたことをきっかけに、子どもたちを取り巻く教育環境に懸念をいだきました。

そして、次世代を担う子ども達を支えることも、お坊さんとして、僧侶として、大事なのではないかと考えて、「現代版寺子屋 子供の寺童楽寺」を平成19年7月から開始しました。

わたしは高校卒業後、高野山のお寺で住み込みで働きながら、高野山大学にも通い、さらに高野山専修学院に通いましたが、27歳の時高野山のお寺を後、この先どうしようかと悩んだんです。

実家がお寺でもないので、母親の里であるかつらぎ町新城にきました。
おじいちゃんの家に転がり込み、家を貸してくれるところがあるということで、住ませてもらうようになり、かつらぎ町新城での新たな生活が始まったんです。

ところが、かつらぎ町新城は山深いところで、過疎・少子高齢化が非常に進み、限界集落寸前の場所なんですね。

元区長から地域のことを色々教えてもらう中で、この地域は、他の街の子供を地域の人が一時的に預かり小学校に通わせる「山村留学」を約40年前(1980年頃)から行っていたことを知りました。

当時も小学校の全校生徒が「2名」という廃校寸前の状態になっていましたが、山村留学で40名程度まで増えた時期もありました。しかし、地域の方がお預かりできない歳になってしまってしまったんです。

そんな時に、私たち夫婦が移住しましたが、第一子が生まれるときに「ここでよいのだろうか」と子育て環境に悩んでいたところ、元区長から里親をしてもらえないか提案を受けました。

地域の灯火を絶やすわけにはいかない。「現代版寺子屋」を作れば、お坊さんも子供達をお預かりすることができるのではないか、と考えたのが「子供の寺 童楽寺」が始まるきっかけです。

「子供の寺 童楽寺」の活動「童学寺ファミリー」

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お預かりする子供たちは、心に傷を負った子供が多いです。自尊心を上げる養育方法などを勉強し、里親認定を受けました。

はじめにお預かりした子は、養育放棄のような状態でした。中学2年生でも身長140cm。ごはんを食べさせてもらえず、学校にも行ってなかった。この子は14歳から20歳までの6年間預かりました。

20歳の時には慎重185cm。ここで40cm以上大きくなって巣立っていきました。彼曰く一番嬉しかったのはなにか。「お腹いっぱいご飯が食べられたこと」その一言だそうです。

「ありがとう」「ごめんなさい」

虐待を受けることで、自尊心の低下が低下しています。このため、「ありがとう」「ごめんなさい」という基準が分からないまま、生活をしているんです。

では特別なことをしてるかといえばそうではなく、例えば「掃除」です。「掃除してくれてありがとう」、「バケツを運んでくれてありがとう」、声を掛けてくれる人がいるだけでいいと思います。

悪いことをした時も、「ごめんなさい」と謝る前に、どうしてこうなったのかということを話してあげる。

そうしていくなかで、ありがとう・ごめんなさいの「基準」が子供たちに分かってもらえるような生活を心がけています。

プチ一休さん体験

短期でのお預かりもしています。

「レスパイト」と呼ばれ、親子が離れてお互いを見つめなおすきっかけとして、「プチ一休さん体験」と称して大自然の中で朝の勤行や写経をしたり仏画を描いたりしています。

青年の居場所コース

過去に虐待を受け自尊心を失ったまま大人になった人が、子供ためにと童楽寺に来てくれることもあります。

子供達と接していると子供がすごいって言ってくれる。これがものすごく嬉しいみたいです。だからボランティアといいながら自分自身の電力補給をしに来ているのかもしれません。


人と人との【つながり】【居場所づくり】

童楽寺の活動は人と人とのつながり。もともとこの地域には「山村留学」として、外から来る子供を受け入れる土壌があります。よそ者扱いをしない、来てくれた子も地域の子供だと地域の人が思ってくれるんですね。だから童楽寺の活動ができます。


福祉やNPOの原点は、お寺そのものじゃないかなと思っています。お寺の活動という公益的な活動、伝統宗教からの広がりを見せていく必要があるのではないかと考えています。

童楽寺の始まりと支援の入口

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有井:
社会課題に対して、いろいろな宗教が基盤を活かして取り組んでいますが、童楽寺さんの場合は始まり方が違います。先に地域課題に気づいて、寺を建立した。あまり聞いたことがありません。まず、基本的なところからですが宗派的には何になるんでしょうか

安武:
大きくいうと「真言宗」という宗派になります。
真言宗の中でも、西国三十三ヶ所の紀三井寺を総本山とする「救世観音宗(ぐぜかんのんしゅう)」です。

有井:
新しいお寺を作られたという話でしたが、檀家さんや信徒さんはゼロからですか?

安武:
ゼロからです。里親活動をしていく中で、応援をしてくれる方が集まってきて、信徒さんが現れはじめました。

童楽寺であり、ボランティアでもあるという感じですね。

有井:
お寺としてされてることと公益的な事業(童楽寺ホーム)と、一体になっています。人によっては、どちらかにだけ関わる方もいらっしゃるんですね。

安武:
入口は違っても辿り着くところが一緒になる方も多いんですよ。子供の事業に共感しているうちに、童楽寺で法事をお願いしたいとか。

こういう活動をしているからお願いするよ、という感じで同級生などが声を掛けてくれることもあります。そのような感じで、徐々に増えて行っています。

日常のつながりが大切

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有井:
歴史的には、地域の方が寄付で支えることでお寺が成り立ってきました。しかし一般論として、檀家さんや信徒さんが寄付で支えることが難しくなり、関係性に負担を感じて寺から離れていると聞きます。そういう印象はありますか?

安武:
今までは地域におられる方が檀家であり、ふだんからお寺と目に見える付き合いがありました。しかし今は、施主さんが地域に住んでいません。ふだんの付き合いがほぼない状態で、多額の寄付通達は受け入れがたい。大事なのは、ふだんからのつながりだと思います。

有井:
お寺の存続も地域の活動も、地域とのつながりなくしては成り立たないんですね。

安武:
地域と関わりを持つ活動をすることで、お互いが目に見える関係をつくるのが大事だと感じています。

有井:
ほっとけないな、自分がなんとかしないといけない、と考えた理由はあるんでしょうか。

安武:
自分の子供がうまれたことでしょうね。
ほっとけないな、というより、超過疎地に暮らして、自分の子供がほったらかしにされてしまうじゃないかという、「自分事」ですね。実際のところは。

そして、この地域のことを色々聞いていく中で、一番印象に残っていたのが「山村留学」だったんですよね。かつらぎ町新城における創始者といえる、浦さんから話を聞いたことも大きいです。

有井:
熱い想いを持っている僧侶が、信仰心をもとに受け入れていると思っている方も多いと思うんですが、童楽寺さんが子供を預かっている背景には、地域の歴史があったんですね。

安武:
わたしが考えだしたのではなく、地域にあった活動を半分継続させていただいたというのが実情です。

有井:
今までどれぐらいの子供さんの数を預かりましたか?

安武:
一時保護と言われる短期の子供さんも併せて22名ぐらいです。被虐待児は年々増えていて、コロナ禍でさらに増えたそうです。虐待っていうのは「イライラ」なんです。

大人が窮地に追い込まれると、一番弱い立場の子供に八つ当たりしまうんですね。

有井:
児童虐待がニュースになると皆さん注目します。でも、傷ついた子供にどうケアをすべきかわからない。仕組みや受け皿が弱いと懸念されてます。

安武:
親と一緒に暮らせない子は日本全国に約4万人いて、児童養護施設や里親のもとで一緒に暮らしています。

子供をお預かりするのは、容易ではありません。虐待などで心に傷を負っている子供と暮らすには、預かる側が学ぶべき養育スキルが多くあります。

知識なく育てると、二次災害が発生するんですね。

虐待を受けた子どもは、大人が怖かったりします。モゴモゴしている時に、「ハッキリしろ!」みたいなことを大人が言ってしまうと、二次災害になってしまうんです。

熱湯をかけられたなど、虐待の事実は報道されますが、その後その子がどうなったのかは報道されません。

子供の心境を変えないと、大人になっても社会との合流が図れないんです。


宗教者だからできる支援がある

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有井:
里親制度は公的な制度として用意されています。
背景は子どもによって異なりますし、公的な制度だけで賄いきれない場合もあるでしょう。宗教家が受け入れしているケースは多いのでしょうか?

安武:
そうですね。厚生労働省は里親委託を進めています。でも施設や里親宅でうまくいかない子供達はいて、選択肢が必要です。「制度の狭間」もあります。

児童福祉法が適応されるのは18歳まで。18歳以降は児童ではなくなるためですが、じゃあ18歳になったら児童福祉施設・里親宅にいられなくなり放り出されてしまうのか?ということになってしまいます。

そういうことにならなように、延長措置もありますが「制度の狭間」なんですよね。その他にも、大学進学する子は学費が援助してもらえますが、就職する子はそこでおわりということになったりします。

本来なら、就職しても起動にのるまで、例えば里親宅から通勤できるなど、臨機応変にいけたらと思うんですけど、実際は難しくボランティアに支えられているような感じです。

このような「狭間」の子に対して、お寺・教会に住み込みをさせてあげるなんてケースもありますが、狭間にはまり込んでしまう児童が多々あるというのが現状ですね。

有井:
施設・一般家庭の里親・宗教組織、それぞれに限界があるわけですね。お寺や教会の特徴は、閉鎖的でなく支える人たちが多くいることでしょうか?

安武:
子どもは本質的に「かわいがられたい」ものなんです。
なので、家庭でありながら、いろいろな方々との接点が多いのが宗教施設のメリットですね。子供たちをお預かりするのに向いていると思います。

これから

有井:
ここまでお聞きした話は、一朝一夕でできるものではなく、長年の積み重ね、新城地区の信用を得ながら続けて来たのだろうと思います。さらに、ボランティアなど様々な参加方法で、巻き込みながらやってきたことがこの結果に繋がったのだと思いますが、改めて寄付のことについてお聞きしたいと思います。

制度の狭間の話もありましたが、公的な制度でカバーできない取り組みを行うにあたり、寄付を募るために積極的に発信していますか?

安武:
SNSや季刊誌で声を載せています。また、ご参拝に来られた方々から食料をいただくこともあります。SNSを駆使して、ご寄付についてを発信していく。そして寄付がどう伝わっているのかコメントを載せることで、透明性も図れます。

公益的な活動を、現代的な方法で伝え、「みなさんにまた見ていただきたいから、またご寄付をお願いしたいです」というようなものが必要になっていくのではないかと思います。

有井:
しっかりと発信しているから、「子供のことは童楽寺さんに連絡すればつないでもらえる」と思えるわけですよね。

安武:
私たちも童楽寺で全て解決できるとは考えていません。
専門家とのネットワークを持つのも、お坊さんの役割かなと。自分一人は解決できませんし、ひとりじゃないことが大事だと思います。

有井:
寺が結節点になり、社会や地域の問題と、なんとかしたい人とのつなぎ役を果たしておられるのですね。今どのような応援を受け付けていますか?

安武:
学習机や食料やお菓子などの目に見える物だけでなく、勉強を教えてくれるような「心のご寄付」があります。今子供たちが一番欲しているのは、心のご寄付、関わってくれる人たちの気持ちだと思います。

おわりに

筆者は社会的養護の子どもにパソコン教室をおこなったことがあります。

その時の事前教育で、児童養護施設・里親制度のことを初めて詳しく聞き、特に「高校卒業後」が壁になるとという話も聞きました。まさに「制度の狭間」です。

公的な制度は完璧ではありません。その隙間を埋める存在は重要ですが、そのこと認識している人は少ないでしょう。

「開かれたお寺や教会」が存在する社会的意義は大きいと思います。お寺の住職をしている友人がいますが、様々な人が訪れ、話をするため、なんでも受け入れてもらえるような安心感があります。

「専門家とのネットワークを持つのも、お坊さんの役割」という安武さんの発言がありましたが、これは宗教者がフラットであるからこそだと思います。

筆者自身、普段の生活で「宗教」を意識することは少なくなりました。しかし、社会におけるお寺や教会の役割は失われていません。

お金や物の支援も必要ですが、「地域のお寺や教会を支え、関わっていく」そういう意識が今後は重要になるのではないかと感じました。

動画

【ライター】
戸井 健吾

岡山県倉敷市出身。
大学卒業後、IT業界に就職し、2度の転職を経て、ピープルソフトウェア株式会社で10年間、富士通・ベネッセ向けのシステム開発に携わる。
その傍ら、副業として月間100万回読まれる個人ブログ「アナザーディメンション」を運営。2018年に独立し、子育てメインの生活にシフトする。
現在は、一般社団法人はれとこ代表理事を勤め、「倉敷とことこ」、「備後とことこ」など地域メディア運営にも力をいれている。

※本企画は公益財団法人 トヨタ財団の助成を受けて実施しております。

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