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輪廻転生は幸福度を上げるー心理学研究より

あなたは、どちらのタイプですか。

「死後の世界や輪廻転生を、信じる/信じない?」

とはいいましても、本文では別にオカルトめいた話をするわけではなく、あくまで心理学的研究に基づく話をします。

古代から人間にとって、死後の世界の有無は、永遠の課題であると考えられます。あるアメリカの調査によると、近年、死後の世界があると信じている人は増えているそうです(Greeley & Hout, 1999)。その研究によると、プロテスタントの人はあまり変わらないものの、カソリック、ユダヤ教、無宗教の人については、1900年と1970年を比較したところ17%死後の世界を信じる人が増えているとのことです。特に、移民の家族における孫世代では、顕著に信じる人が増えているとのこと。

しかし、死後の世界があることは、その意識が「自分は死んだ」と捉えることが必要なので、結局それは意識があることが前提となると考えられます。つまり、脳が意識を作り出していると考える立場からしたら、それはパラドックスということになるのです。実際、多くの人々が、この「死のパラドックス」について語ってきました。

例えば、心理学者・精神科医のジークムント・フロイトは、「私たちは、死を意識するのは不可能である。意識するということは、自分が傍観者としていまだ存在しているということになるからだ」といい、その矛盾を指摘しています。

多くの人々は、死は必ず来るとわかっていつつも、死を恐れています。古代ピラミッドは、死からの再生の可能性を信じ、またその願いを込めて建てられたといわれます。一方でフロイトは、多くの人間が「自分は死なない」と思っているともいっています。しかし、その信念はどこから来ているのでしょうか。

不思議なことに、古今東西、いつの時代もどこの国にも幽霊話は存在します。また、先祖を祭るという風習も、多くの国に存在します。もし死は全ての意識の終わりであると思うならば、そのような祭事は必要ないと思うはずです。また、多くの死後の世界を否定する人でも、自らの先祖の墓には手を合わせます。それは、口では「死後の世界を信じない」といいつつも、どこかで「信じたい」という思いもあるからなのでしょうか。

近年では、このような死後の世界に懐疑的な人々に対しても、「死後の世界はやはりあるのでは」と思わせる事実が出てきています。

その一つが、自らの「生まれ変わり」を語る人々です。イアン・スティーブンソンもその著書『前世を記憶する子どもたち』で、多くの子どもたちが前世を記憶していることを紹介しています。また、その生まれ変わりの事実証明もなされているケースも多くあります。例えば、その子が語った事実や人物(勿論ネットなどに掲載がなく、その子の身近な人が全く知らないこと)が、現実と一致しているかを現場に行って調べることで証明することができます。日本でも大門正幸氏が『「生まれ変わり」を科学する』の著書で、科学的に生まれ変わりの根拠を語っています。

私が実際に出会った人たちの中にも、「前世の記憶は、皆が当たり前のように持つものだと思っていた」と語る人もいました。そのようなことから、声高には話さないものの、実は多くの人々が前世の記憶を持っているのではと思っています。

勿論、それでも尚、特に前世の記憶やスピリチュアルな体験がない人にとっては、否定や反感という形で劣等感を解消しようとしてしまうのかもしれません。しかし、そういった人でも、「仮に」生まれ変わりというシステムがあり、またそれを信じるならば、死を恐れずにポジティブな気持ちで晩年も生活できるのではないでしょうか。実際、死後の世界を信じる人は、信じない人に比べ、4倍も幸福感を感じているという調査結果もあります(Ohkado, 2012)。
また、近年はマインドフルネスをはじめ世界的に仏教の考え方が心理学に盛んに取り入れられつつある時代ですが、仏教でも「死を終わりと思わないことが、今生や自分(小我)に執着せず楽に生きること」と教えています。

「私たちは永遠の存在である」―そう思うと、今の自分の立場や所有物は今世での仮のモノと考えることができ、それらに執着せず、もっと軽やかに生きられるようになると思います。そしてもっと高い視点から、自分自身や今の生き方や幸不幸を俯瞰して観ることができるようになるのではないでしょうか。そして、生きる上での後悔や不安からより解放され、もっと幸せに生きられるようになると思います。それは、仏教でいうところの、執着を捨てた無我の境地に少しでも近づくということかもしれません。

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