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【女性に優しいサロン】沢山の経験から辿り着いた、私だけのビジネス<第三話>

月に一度、身近で働く女性にフォーカスし、
ざっくばらんにお話しを伺う連載
《女性に優しいサロン》
私の周りにはパワフルで
魅力的な女性がたくさんいます。
そんな彼女たちですが、
この数年を見ていると
「マインドや人生を変えた」
方々を多く見受けます。

自身もその内の一人。
リアルに体現しているからこそ。
彼女達も何故このタイミングなのか、年齢的なものか、
そしてどう変わっていったのかと
お聞きしたいと強く感じました。

仕事のことや身体のこと、
将来のことで
立ち止まって悩んでいる女性たちへ。

お話の中から
ちょっとしたヒントを頂き、
人生の一歩を踏み出しましょう。

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第六回目のゲストとしてお迎えした方は、「何よりも人との繋がりが大切」と話すAYUMIさん。つねにチャレンジすることに貪欲だった彼女も、ポストパンデミック後、旦那様とリタイアメントプランニングを見つめ始めたそう。
最後まで人と繋がっていたいということは、変わらずに…

◼︎ M
Aさんは、現在コンサルタント業を始められましたね。今まではブランドのディレクションの経験はあっても、コンサル業は少し畑違いですよね。

◼︎ A
はい。
2020年3月、パンデミックによって、世界中が一旦ストップしました。その時に初めて走り続けてきた自分の人生がストップしてしまいました。そして、自分を見つめ直す時間ができたのです。これは、私だけではなく多くの人がそういう風に感じたと思うし、見つめ直したんじゃないかな。

私はというと、これからもファッション業界に係りたいのかな、デザイナーとして?ディレクターとして?それともビジネスがしたい?と、いうように...。

すると、自分が瞬時に出した答えはNOでした...。

経験上、私は縁の下の力持ちのポジションの方が、自分の力を発揮できていたということに気づいたのです。

例えば、日本にいた時、パリで活躍していたデザイナーの荒川慎一郎氏のクリエイションに衝撃を受け、「絶対日本で展開するべき!」と、説得しにパリまで行きました。そして、「セカンドライン作らせて欲しい。必ず成功させる。そのお金で、もっとパリでのクリエイションを充実して欲しい」と。そして私自身で彼のブランドを日本市場に広めました。

◼︎ M
90年代インディーズブランドとして、一躍有名になりましたよね。私も彼のクリエイションが大好きでした。その時のAさんの行動は覚えています。凄い行動力だなぁと感心しました。今思えば、23〜4歳でそこまで行動出来る人は、中々いないですよね。そして結果を出したんですもんね。

◼︎ A
シューズブランドだったMIHARA YASUHIROの洋服ラインを作り、東京コレクションからミラノコレクションまで携わった実績。プーマとの契約は、ドイツの方たちとのビジネス経験。

L.Aでは、デニムブランドのJoe’s Jeansでハイエンドクラスのジーンズのデザインをした経験。

たくさんの経験が、私のファッションに対しての気持ちを、夢からビジネスへと変わらせたのです。日本やアメリカなど様々な国でファッションビジネスの経験をしている私のスキルで、夢を持っている若い人や海外展開をしたい会社に、世界に通用するファッションビジネス術を彼らに教えたい。多くの問題を抱えている事業主さんのために、手助けをしたい。そして私のスキルは、そこで活かせると思ったのです。


ーコンサル業を始めるに至り、何か習ったことなどありますか?どうやって動き始めたのですか?

◼︎ A
まずコンサルタントについてインターネットで調べました。すると、コーチングという言葉が飛び交っているのです。
では、「コーチングするためには、どういう風にしたらいい?」
自己投資として、メンター(指導者)を探し、二人のコーチングを受けました。マーケティングセミナーがあれば参加したし、本も読みました。

1年弱、勉強のための時間を費やしました。パンデミック中でしたから、失業保険もあり、国からの支給もあったので、ゆっくり方向性を固められた事は良かった。

1つ言えることは、自分のメンターを作り、自分自身が受けたからこそ、本当にやりたいことがはっきり見えたと思う。受けていなかったら、今でもまだ、頭はぐちゃぐちゃのままだったかもしれないね。

◼︎ M
なるほど。
実は私も、Aさんのコンサルを受けさせてもらいましたよね。初めて、そういったものを受けたので、私の感想としては、目から鱗でした。
それは、まず私自身の心の奥深くを見つめ直し、゛自分はどういう人間なのか゛を探り下げた所から始まったから。その後に、ビジネスコーチング。自分に合った仕事の進め方を指導して頂き、今では私の道標になっています。そして、その内容は少しずつですが達成させています。


Aさんも今でもセミナーなど受けたりしているのですか?

◼︎ A
もちろん、つねに勉強です。私のクライアントさんは、アパレルに限らず、さまざまな分野の方々がいます。ですから分からないことも出てきます。そういった場合は、今までの勉強を見直したり、メンターに相談したりしますね。あとは新しいセミナーやフリーセミナーに参加しています。そこでの新しい人たちとの出合い、同じようにコンサルをやっている人や、アントレプレナー、要は企業仲間との輪もできました。

◼︎ M
そういう場所でも、新しく人との繋がりが出来るんですね。

◼︎ A
そうです。

私の中で何より1番大切だと思うことは、人との繋がりです。
なぜなら、私はアメリカに来て、自分で履歴書を送り仕事を得たのは、初めの3年ぐらいだった思います。それ以外は、全部人との繋がりによって仕事が入ってきている。今やっているコンサル以外のスタイリングの仕事も、やはり人との繋がり。

インターンシップも受け入れていますよ。
大学生や若い子に、もっと海外に目を向けて欲しい。大学では勉強できない、生のビジネスを近くで見て感じて欲しい。私にとっても、若い子の感性を感じ取れますし、彼女たちから得られるものも大きいのです。

インタビュー中も日本から来たインターンの大学生が聞いていました。

あと重要なのは自分発信
やはり今の時代、ソーシャルメディアというものは絶対欠かせない。新しい仕事もSNSを通して依頼が来る。ネット上でどれだけ自分をオープンにしているか、メッセージを伝えているかというのは、凄く大切。

◼︎ M
まぁ、私たちの年齢で仕事の仕方が変わったところは、まずそこだよね。ネットで仕事も繋がる。情報を得るのもインターネット。でも、まだまだ私の周りでは、ハードルが高いと思っている人が多いよ。今の時代、生活をする上で、情報は最も重要だと思うんだけれど。

◼︎ A
そうそうそうそう。

◼︎ M
仕事でいえば、私も8月は、SNSに力を入れていたから、疲れちゃって。今は何も発信していない...。ダメな典型だよね(笑)。ここが、若い子たちと違う。アップするのが、一苦労(笑)。

ーでは最後に、将来の人生設計はどのように考えていますか?

◼︎ A
もうこの年だから、リタイアメントのことを考えるでしょ。
パートナーの彼も仕事で世界中を飛び回っています。私たちは、アメリカを拠点にし、そこから色々な国へフレキシブルに動けるようにしたい。時には彼の仕事に合わせて自分も同行出来るような。自分の仕事もコンピューターひとつで仕事ができるように。そこを目指しながら、最終的に自分たちが落ち着けるような場所は何処か、探している。

今年の夏は、旦那様の仕事に同行しブルガリアに滞在していたそう。

◼︎ M
LAに限らず?

◼︎ A
そう、色々な国を対象にしてね。
ただ、その時は今の仕事はやめているかもしれないね。ビジネスとしてよりは、ゆっくり人を歓迎できるようなゲストハウスをやりたいと思っている。例えば、そこに本を書くために来るとか、音楽を作るために来るとか、ワーキングもできるし、ホスピタリティもできるような。夢ではあるけどね。

◼︎ M
やっぱり人をおもてなししたり、人と繋がったりすることが好きなんだね。
Aさんの旦那さんもそういうのが好きだったとは、知らなかったな。

◼︎ A
ポストパンデミック後、夫婦間で、今後の仕事と生活のバランス、そして将来、私たちのリタイアメントした時のことを真剣に考え始めたの。たくさん話し合ううちに、お互いのやりたいことが凄く似ていることが分かって。それにはまだいつかの夢ではあるけれど、叶えられるように、少しずつ動き始めている。今はまだ夢見る途中だけれども...。

自分たちでDIYしたパティオ。この場所では、色々な人たちと交流がある。


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