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#109 fragments 20240626

本日は予定通り6時30分起床。
先日、1日だけではあるが体調を崩してしまった。その日は体を起こしているのが辛かったから早寝せざるを得なかった。そこから早寝の習慣へ繋がる流れが出来たように思う。不幸中の幸いとはこのことか。

今朝はブライアン・イーノの「Ambient1」を流した。これはいたずらに感情を喚起しないので、とても良いと感じた。私の朝に一体化する音楽。
アンビエントという音楽も今や多様化(というよりもカオス化?)している。それで、その手の音楽は結構感情を変化させる効果が強かったりする。それが時に邪魔に感じられる。特に最近の私はそういう傾向が強い。
さりげないものは粋だ。イーノは「Discreet Music」という作品も有名だが、正にそのようなもの。

病気不安は多少緩和の傾向にあるが、今日も憂鬱が続いている模様。
昨日はそれが結構辛かったが、ピークは過ぎたように思う。
その代わりに、妙なノスタルジーが来訪してきている。昔の記憶が走馬灯のように湧き上がっては、泣きそうになる。これを情緒不安定というのだろう。
特に死した者を思い出すのは本当に切ない。哀しい。

私は型に嵌った凡庸な人間だ。だのに、なぜ凡庸な社会に順応できないのだろう。
否、社会は凡庸ではないのかもしれない。そういえば外で出会った人々を凡庸と感じた試しなどないということに今、気が付いた。
社会という観念で人を捉えるとひどく凡庸に感じてしまうが、それは私の妄想だったということか。
主観が強すぎるとこうなるのだろう。私はもう少し科学的な思考を身に付けた方が良いと思う。
大人の常識。

今日は何をしようか。最近、この辺の日課が緩くなり過ぎている。
もう少し固定してみようか。
特に音楽をサボり過ぎている。

近頃、自分のやりたいことだけだと頑張れないような気もしている。
多少強制されないと私は重い腰が上がらなかったりする。
ただ、普段から色々拵えて準備していればその腰も軽くなるだろうから、日頃のストックは大切だと思う。何をストックするのかはその人次第。
強制されたくはないが、強制されないと動けない。
なんとも厄介な人間である。
しかし、こうした自己の法則というか、トリガーを認め、上手く使っていくのが大人なのだろう。
要は使いよう。how。

自由とは規律を自分で決めることだ。
自分で自分を縛る自由。
いずれにせよ縛られるのだが、誰が縛るのかという問題。
生殺与奪のなんとやら。

やはりこうして書いていると幾らか気が紛れる。
noteは我が相棒になりつつある。ありがとう。
奴は医者でもありカウンセラーでもあり、雑用でもある。
なんて有能な奴なのだろう。
私ももう少しそうなりたいものだ。
なれるだろうか?


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