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教訓

ふと過去の出来事を思い出した。私が高校時代箏曲部と掛け持ちで演劇部にも籍をおいていた頃の話である。私自身人が足りないということとプロダクションに入ってたという過去の経験から籍だけ置く形であったのだが人数的にも先輩1人、私、そして後輩が6人程入っていた。先輩は受験で忙しく私自身箏曲を優先していたため演劇にはなかなか携われなかった。しかし、後輩ができては指導をしなければならない。顧問も経験者というわけでもなくただ籍を置いているという状態。
とりあえず上に確認して、マラソンや発声、当時使っていたプロダクションの教材をコピーしてリーダー的な子に任せていた。教えるという立場に慣れてなかった私はどう接すればよいかわからずとりあえず指示だけしていた。しかし、それが今ではどれだけ浅はかなことかがわかるのだ。
現場にもなかなか顔を出せずに指導する先輩をどう思うだろうか。もちろんサボっていたわけではなく箏曲部の練習もあったからこそだが、溝は深くなるばかりだった。ある時に後輩に
「指示ばかりでなにもしてないじゃないですか」
と言われ反省したことを覚えている。一緒に走ったり現場を見るという行為ができてなかったからこその言葉でありそこには敬意や信頼すらも薄くなっていた気がする。そこからは後輩のリーダーに指導ややりたいことを話し合って決めて練習してもらい、私は裏方と言う形で接した。やりたいことを話し合ってやらせるというのも必要だったのかもしれない。相手を尊重し、のびのびと部活動に励むようになったからだ。過去の経験が今に結びついていることもある。

夜のお仕事を始めた時にママが
「私は裏方でもいい。ママだからこそ裏方作業をやらないとキャストがついてこない」
と話してたことがある。確かに口だけで指示されて現場を見れてなければそんな人についていこうと私は思わないし、冷めてしまうだろう。
頭ごなしに指摘するよりもなぜそのような状況下になり、思わしくない自体を招いたのか、こちらの意見を聞くことも大事なことではないか。

どんな関係でも敬意と尊重し合わなければ続かない。だからこそ相手の意見にもまずは耳を傾けることも必要なのかもしれない。過去の経験を思い出し、大人になって当時の後輩の気持ちがわかったような気がした。溜め込みやすく冷めやすい性格の私にとってある意味で忍耐力が試されることもあるだろうが、軸はぶれず人生設計を明確にして日々を過ごしていきたい。

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