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週報プークス4月 スイセン・モモ・ツバキ・サクラ

前回の週報はこちらから。
月曜の日記には、希死念慮について触れているので無理なさらず。




4月1日(月) 自分が死んだら、を考える

直近でそうしたい、というわけではないけど「自分が死ぬ」ときのことを考える。今日、なに食べよっかな? と同じテンションで、どうやって死のっかな? が並列にあり、これがわたしの抱える希死念慮のひとつである。
昔は、より強い訴えかけが自分のなかにあったので、今は形が柔軟に変わったことを感じる。とはいえ、ずっとある。ずっとずっとわたしのなかに、自分の死が存在している。
具体的なやり方のほかに、自分の死に接したごく少ない周辺に、どのようにあってほしいかを夢想することが多く、ときどきは断片を書き残していて、それは変わっていないんだとそれらを読み返して知った。
死んでから嘆かれるくらいなら、生きてるうちに時間を割いてほしいし、割いたひとは悔やまなくて良くて、葬式や墓参りはなく各々が居るところで心に願うほうを望んでいる。
軽薄にも惜しむコメントをして、わたしの死を消費しないでほしい、とは昔から考えている。死に気がつかれた場合だけど。

あと数年もしたら、デートレイプに遭って20年になる。
生きることを耐えやすくしてくれたのは、他者の脳でそれは本というかたちで、わたしの前に現れた。
わたしもそういう助けになりたいと、自身の体験を書くことを選んできた。生存は抵抗、言葉だけが救いだったように思う。



4月2日(火) 台湾加油

品田 遊「キリンに雷が落ちてどうする 少し考える日々」を読み終えた。
婚姻に関する記述では(意外にも!)共感できるところがあり、性表現の項目については、着眼点にズレを感じるなどしました。

昨日、ベッドで横になっている間、微妙な揺れを背中で感じることが多々あって、年始から続く微細な余震かな、と思っていたら、台湾でたいへんな地震があったことを知る。デバイスをオフにしていたので気がつくのが遅れた。
日本で大きな地震が幾度もあって、その際に真っ先に支援してくれたのは、いつも台湾だと感じている。東北の震災のときも、国じゅうで寄付の呼びかけが行われたそうだ。
今、恩返しのときなのだな。



4月3日(水) 古典の時代から連綿と受け継がれるねむみ

昔は冬は動きたくなくて眠く、春はあたたかさが眠気を誘う、ということで、1年のうちのだいたいが眠かったわけだけど、散歩を習慣にしたからか、ほかに何か要因があるからか、冬の眠気だけずいぶん距離が遠くなったなと気がついた。眠い頻度が高い、ってことはそれだけ体力を使い果たしやすく、総量も少ないんでは、という仮説が今、立った。
この連日よく眠れているし、用事のない日に至っては、起き上がる時間が極端に少ない。
部屋は、まだ少し寒いけれど、暖房をつけるほどのことでもなく、起きれば目が冴えるが、脚に布団をかけていると、ずるずるとからだは収まり、そのうちに眠ってハッと目覚めることが、1日に何度も行われる。
こうなると夢もシアターのようで、5本立てくらいで観ることになり、現実では2本観るのもなかなか体力勝負のところ、からだとしては寝ているわけだから理にかなっている。(かなっているのか?)
そのうちに「寝るの飽きました」と言わんばかりに、もう眠くないと起きつづける時間が生まれる。だいたいは夜中だ。
睡眠欲がカンストして、生活の帳尻を合わせようとしている。



4月4日(木) 最近ちょっとナードな気持ちで居る。

DMで親しいフォロワーさんとやりとりして、持ちこたえている。
このやりとりに少なからず、救われるところがあるのは、わたしは昔から明言化しても汲んでもらえなかったことがあり、その経験が怖気付かせるんだけども、例えば、

わたしはARABIAのムーミンマグが好きです。集めています。

と、日頃から言っていても

わたしはムーミンが好きで、食器を集めています。

に、改変されてしまうことが一度や二度ではない。
明朗にしても、「なんかなんとなく」にされることが残念でした。
(もう我慢しないけどね)
フォロワーさんはきちんと文章(a.k.a.わたしの気持ち)を理解し、更問いもして、会話になるので、その厚意がありがたくてしかたないのだ。



4月5日(金) パワフル以外の語彙が欲しくなる

YouTuberのマリリンさんが妊娠のご報告動画をアップしていて、感嘆。
動画制作のほか、起業してコスメのプロダクト開発をして、4人目のお子さんを迎えることに体力の桁の違いを感じる。
過日のテイラースウィフトの来日公演の感想に「テイラーの体力とリカバリ法」が少なくなかったことと似た気持ちだ。
万能とは異なるけど(自分に見えない苦労がどこかにあるから)、選択肢をガツッと取れるひとの生命エネルギーのように思う。
ほんとうにおめでたいご報告で、にこにこした。



4月6日(土) Aセクシュアルの日に


パレットークのpostを読み込んでからだとうれしいです。
デートレイプからの回復を経て、セクシュアリティについて考えることはもちろん、シスヘテロを基準とする恋愛のあり方に、かなり懐疑的になりました。元々、いわゆる「恋愛もの」の作品を通ってこなかったのは、自分にとってしっくりこなかったこともあり、関係性に宿るさまざまな事象に、なぜなのかを頭の片隅に残して、長く生きてきました。
そのうちに、性的に惹かれる対象には流動性があることも体感しています。
デミセクと明言できるきっかけは、Aセクがまずありました。

多くのコミュニケーションをセックスは上回るのか? という問いが、わたしのセクシュアリティの自覚に関わっています。
SRHRの観点からセックスを見つめたら「健康」どまんなかのトピックだし、それをないがしろにして良い関係性が築けるわけがない。
そう考えると、性的欲求、なくても当たり前じゃない? って思えるんです。 
わたしは、わたしなりの愛を持っている。



4月7日(日) 喪失

村井理子さんが愛犬ハリーの訃報を、文芸メディア「考える人」の連載で発表。


あっけなさに呆然としているうちに、Twitter(X)では様々な文筆家、編集者やファンがお別れを惜しんでおり、わたしもそのひとり……。
ずっとずっと元気なものだと思っていたのは、わたしがハリーから元気を分け与えてもらっているとバーチャル近所の人として感じていたからで。
村井さんとご家族も、納得して見送ったと想像するが、別離の寂しさは計り知れない。「犬の形の穴がある」と、だれかが言っていた。
琵琶湖を泳ぎ、流木を拾い、駆けていたあの黒いからだは、もうどこにもない。
そうしてわたし達は、目でハリーを撫でていたことに気がついた。

知っていたよね、愛ってものをさ。




今週も読んでくださり、ありがとうございました!
過去の週報はマガジンにまとまっています。そちらもどうぞ。

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