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学校で無意識に植え付けられる男女差

便宜的な面が大きいのだと思う

学校では、男女の区別がきちんとなされる。整列、体育の授業、健康診断、制服、席替え、名簿の表記、トイレ、全て男女別。学級委員は男女1人ずつと性別の規定あり。劇などの配役も性別で割り振られている。などなど。なにかと男女による区別がなされる。これを否定したいわけではない。気が付かないうちに「おとこ」「おんな」という概念が刷り込まれていると言いたい。

(遺伝子の)性別は2種類に分かれるのだけど・・・

私は、道徳の時間にLGBTを取り扱ったことがある。反応は悪くなかったものの、違和感を覚える生徒が多かった。私は「男女」という2つに分けるのは、かなり強引だと伝えたかった。しかし、こんなにも日常的に男女による区別を植え付けられていたら、理解はむずかしかったのかもしれない。制服に関しては、女子がズボンスタイルを選べる学校も増えてきた。しかし、男子がスカートスタイルを選ぶことはできない。これも致し方ないのかもしれない。

LGBTへの配慮!?

校長先生が、「LGBTへの配慮として、本年度から全員「さん付け」にします。」と言った。私は、それだけ?と思った。確かに、「くん」と「さん」は男女の区別によるから、なくしたらいい。私が引っ掛かったのは、「LGBTへの配慮として」という部分だ。(LGBTQなどと更に多様な性を表す言葉もあるが、ここではLGBTに留めておく。)レズ・ゲイ・バイは、性の対象についての性的少数者のことである。(最近はさして少数でもないような気がしてるけど)となると、「さん付け」の統一だけでは不十分すぎる。

学校の性教育の充実を願う

私が変革を求めるのは、学校の性教育。多くの実例を知っているわけではないが、学校の性教育は内容が薄すぎる。タブーを作りすぎて、何も伝えられなくなっている。セクハラを恐れ、身動きが取れなくなっている。更には、性教育は年間を通して、脈々と伝えるものだと思う。
性について考えることはタブーなのか。セックスについて、知りたいと思う気持ちはダメなのか。そんなことはない。でも、身近な大人に聞けないから、みんなネット等の情報に頼る。大人は、(ましては教育者が)それを見過ごしてはいけない。もし、間違った情報を鵜呑みにしている子どもがいたらだれが守るのか。やはり、子どもにとって身近な信頼できる大人がその役割を担いたい。相手のプライベートな部分はきちんと守りながら、正しく役立つ情報を的確に伝えていきたい。

教師の何気ない一言が武器になる

自分の性と向き合い、尊重する勇気を身につけられるのはやはり、10代のうちだと思う。この時期に、教師も重要な任務を任されているのは間違いない。
個人面談で恋愛の話をする担任もいるらしい。「彼氏いるの?」というこの何気ない一言も、ヒトは異性と付き合うもの、という潜在的な意識がある。問題は、それに気が付いていない教師が多いことだ。同性愛を否定する気が無くても、無意識のうちに「一般的ではない」と言ってしまっていることもある。
生徒同士の恋愛話も男女の固定概念を植え付けているのかもしれない。恋人がいる人は良い!優れている!といった具合に。しかも、モテる男子、モテる女子というのは、なんとなく固定のイメージがある。そんな中、自分は違う、とは言いづらいし、なんか後ろめたい気持ちが生まれてしまうかもしれない。

私の願い

先生に伝えたいことは、人はだれしも固定概念に縛られているということ。一度内省してみてほしい。生徒さんに伝えたいことは、学校で流れている空気が「ふつう」ではないということ。もちろん、正しくもない。
世の中はおかしな子だらけ。「本当です!」と言われても、「本当ですか?」って疑ったらいい。自分の思いを曲げなくて良い。

私が発言できる場所があることに感謝します。

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