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ワーグナーと同時代の芸術家

先月まで「ワーグナーのオペラの基礎知識」の3篇シリーズを書いた。

【3編の記事の内容】
前編:ワーグナーとバイロイト音楽祭、《ニーベルングの指輪》の基礎知識、並びにドイツの地理を扱った。
中編:ワーグナーが「バイロイト音楽祭」に何を求めていたか、バイロイトという街の歴史
後編:ワーグナーが政治とどのように関わったのか、バイロイト音楽祭の実現にどのように政治が関わったのか


そこで今回と次回では、そんなワーグナーと同時代の芸術家・学者についてさくっとまとめていく。
ワーグナーと同時代の7人のうち、今回はワーグナーよりも年上か同い年の4人を、次回はワーグナーより年下の3人を取り上げる。



ワーグナーと同時代の芸術家 (7人)


私のtwitterアカウントでは歴史上偉大だと思う芸術家や学者の生年関係のツイートを毎日している。
以前にここでワーグナーを取り上げたことがある。


すなわち、ワーグナー(1813)と同世代の芸術家・学者は以下である。

・ショパン  (1810)
・R.シューマン (1810)
・リスト   (1811)
・ヴェルディ (1813)
・ミレー   (1814)
・グノー   (1818)
・マルクス  (1818)

今回の記事では、上記リストの上から4人、すなわち、ワーグナーよりも年上か同い年の人をまとめる。

なお、ワーグナーの紹介は、「ワーグナーのオペラの基礎知識」の前編を参照いただきたい。



フレデリック・ショパン (1810--1849)

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(Wikipedia: 「フレデリック・ショパン」)

1810年生まれ。1849年没。
ショパンは次項で述べるR.シューマンと同い年である。


ショパンのポーランド愛

ショパンはポーランドで生まれ、1831年以降はパリで過ごした。
だが、ポーランドへの愛は深かった。
ショパンはマズルカやポロネーズという舞曲の作品を数多く書いている。このマズルカやポロネーズとは、ポーランドの民族舞踏のことであり、またその舞踏のための楽曲のことである。このことからも、ショパンのポーランドへの愛がうかがえる。

ポーランドに「ワルシャワ・ショパン空港」があるほど、ショパンはポーランドの歴史においても重要な音楽家である。


「ショパン国際ピアノコンクール」と、ショパンの《練習曲》・《前奏曲》

「ショパン国際ピアノコンクール」というショパンの楽曲のみを演奏し順位を競うコンクールがある。このコンクールは世界三大コンクールの一つである。
今年2021年に行われた、第18回ショパン国際ピアノコンクールでは、日本人が第2位と第4位に入賞した(参照先: ピティナの特設ページ)。


せっかくなので、ショパンコンクールでよく演奏される楽曲の内、ショパンの《練習曲》と《前奏曲》について軽く説明しよう。


「練習曲」とは本来、ピアノを弾くための技術を向上させることを意図した訓練のための、演奏訓練の役割を持つ楽曲である。
ショパンの書いた《練習曲》の特徴としては、超絶技巧に分類される程に高度な技術を必要とすることと、楽曲の芸術性の高さである。

ショパンの《練習曲》は、その超絶技巧的な楽曲でありながらも、非常に芸術的な楽曲である。

例えば、今年2021年のショパンコンクールで2位に入賞した反田恭平さんが演奏した《練習曲 ハ長調 Op.10-1》はこちらである。


続いて、ショパンの《前奏曲》は、ショパンがバッハの音楽に傾倒していた時期に書かれた。この楽曲には、バッハの時代の作曲技法(対位法やフーガ等)が取り入れられつつ、ショパン特有の半音階的な和声と転調が用いられていると言われる。
また、バッハの《平均率クラヴィーア曲集》に習い、全ての調性で書かれた。だが、バッハが曲集の中で調性が半音ずつ上昇するように番号を振っていったのに対し、ショパンは調性が5度ずつ上昇するように番号を振っている。

例えば、今年2021年のショパンコンクールで4位に入賞した小林愛実さんが演奏する《24の前奏曲 Op.28》はこちらである。
24曲すべての前奏曲を通して演奏しているので、ぜひご覧いただきたい。



まとめ
このように、ショパンが生涯作った作品の殆どはピアノのための曲であった。
そのため、ショパンは「ピアノの詩人」とも呼ばれる。

ショパンの楽曲は、特有の叙情的な旋律と、それを支える豊かな和声構造が特に秀でていると言われている。




ロベルト・シューマン

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(Wikipedia: 「ロベルト・シューマン」)


1810年生まれ。1856年没。
前項のショパンと同い年。


シューマンはドイツ生まれ。大学で法律を学んだ後に音楽の道に進んだ、少し珍しい人。
また、シューマンは作曲活動だけでなく、音楽批評家としても活動した。
彼が書いた批評記事は、当時、盛んに行われていたロマン主義運動に大きな力を与えたと言われる。


19世紀ドイツのロマン主義的音楽の代表的作曲家である。
シューマン自身がタイトル(表題)をつけた楽曲が多くあり、シューマンがタイトル(表題)が持つ詩的なイメージを音楽に明確に与えたかったことを意味すると言われている。

妻クララ・シューマンとの恋愛と結婚がシューマンの作曲活動に強く影響した。例えば、クララと結婚した1840年には、シューマンの「歌曲の年」と呼ばれる程、多くの歌曲を作曲した。

代表曲:
・《幻想小曲集》
・《子供の情景》




フランツ・リスト

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(Wikipedia: 「フランツ・リスト」)

1811年ハンガリー生まれ。1886年没。
ハンガリーの代表的作曲家の一人である。



ピアニストとしてのリスト

ヨーロッパ各地でピアニストとしても活躍しており、その超絶技巧のすごさから「ピアノの魔術師」とも呼ばれる。

当時リストの人気はすさまじく、リストの演奏を聴いて気絶する人がいたり演奏中のリストの汗を欲しがるお客さんが多かったりしたというエピソードがあるほどである。


作曲者としてのリスト
彼の楽曲には、超絶技巧が用いられたり、高度な技術を必要としたりすることが多い。また、ハンガリー民族的旋律や、ロマン主義的傾向が強く表れていると言われる。
さらに、当時のピアニストや作曲家たちの表現に独自の表現を加えることに長けていたともいると言われる。



代表曲:
 交響詩《オルフェウス》
 《パガニーニによる超絶的演奏の練習曲集》第3曲「ラ・カンパネラ」
 《ハンガリー狂詩曲集》
 《バッハの名による前奏曲とフーガ》





ジュゼッペ・ヴェルディ

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(Wikipedia:「ジュゼッペ・ヴェルディ」)


1813年イタリア生まれ。 1901年没。
「オペラ王」の異名をもつほど、オペラを多く作曲した。


ヴェルディのオペラはイタリアオペラの完成点であるとも言われる。

ヴェルディが生きた当時のオペラは「ベルカント・オペラ」と呼ばれ、軽やかで優美でが高度な技術を必要とする歌い方(ベルカント唱法)と、その歌い方を際立たせて魅せるための楽曲形式をもっていた。

そんな時代にヴェルディが書いたのは、 ベルカント・オペラをベースにしつつも、多様な歌編成(独唱、重唱、合唱)とオーケストラ、そして物語をうまく統合させドラマ性を強めた、新しい形式のオペラであった。


代表曲: 
・オペラ《椿姫》(Youtubeはこちら)
・オペラ《ナブッコ》(Yotubeはこちら)
・オペラ《アイーダ》(Youtubeはこちら)
・《レクイエム》(詳細は過去の記事『「三大レクイエム」を知ろう!!ーモーツァルト、ヴェルディ、フォーレのレクイエムー』へ。)





終わりに

ワーグナーよりも年上か同い年の4人を取り上げた。
この記事より、ワーグナーとの違い、あるいは同世代としての似た空気感を感じ取っていただけたら幸いである。

次回はワーグナーより年下の3人を取り上げる。

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