ワーグナーのオペラの基礎知識【中編】―ワーグナーの「バイロイト音楽祭」計画と、バイロイトという土地の歴史
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ワーグナーのオペラの基礎知識【中編】―ワーグナーの「バイロイト音楽祭」計画と、バイロイトという土地の歴史

『帝国のオペラ』という本を題材に、ワーグナーとバイロイト音楽祭についての基礎知識をまとめるシリーズ。
今回は、ワーグナーがなぜバイロイトという街を良いと思ったのかを知るために、バイロイトの歴史と文化、そしてワーグナーの「バイロイト音楽祭」計画掘り下げようと思う。



バイエルンの歴史的・文化的な背景

バイロイトという街はドイツのバイエルン州にある。
バイエルン州の地理的な背景、つまり地図上の位置は前回の記事でご紹介したので、本記事では割愛する。

ここからは、現在のバイエルン州の歴史的背景と文化的背景についてまとめていく。



15世紀頃から長い間、バイエルンを統治していた君主は、あるヨーロッパ貴族の一家であった。

【もっと正確に知りたい方へ】
1415年(1417年とも)から、バイエルンは、神聖ローマ帝国の一つの地方国家(諸侯領)であった。つまり、神聖ローマ帝国の一部であるが、半分独立して君主が統治していた。その君主を代々担ったのが、ヨーロッパ貴族の一つ、ホーエンツォレルン家であった。

宮殿がクルムバッハにあった1604年までは「クルムバッハ侯領 」あるいは「ブランデンブルク=クルムバッハ辺境伯領」と呼ばれた。
その後、宮殿はバイロイトへ遷り、「バイロイト侯領」あるいは「ブランデンブルク=バイロイト辺境伯領」と称されることとなる。

ある地方の自治において、文化政策に力を入れるかどうかは君主次第である。

バイエルンが最も文化政策に力を入れていた時期は、1735~1763年であると言われる。
この時の君主はフリードリヒ3世であり、妻ヴィルヘルミーネとともに文化的教養に富んだ人であった。


バイエルンの文化や雰囲気がどのようかを知る手立てとなるよう、
この時期に作られた建物の中で有名なものを2つご紹介しよう。


まず、「エルミタージュ宮殿」である。

これは、1715年に、当時の君主(辺境伯ゲオルク・ヴィルヘルム)が建てた宮殿が元である。

この宮殿を継承したフリードリヒ3世が、妻ヴィルヘルミーネにこの宮殿を贈った。喜んだヴィルヘルミーネは、自身の美的感覚に従い、宮殿を拡張し、宮殿にあった庭園をも拡張し、さらに新しく宮殿や劇場を建てた、その全体が「エルミタージュ宮殿」である。

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(ヴィルヘルミーネの世界 Die Welt der Wilhelmine「エルミタージュ」  より引用)


そのため、もともとあった宮殿が「旧宮殿」と呼ばれ、ヴィルヘルミーネによって新しく建てられた宮殿が「新宮殿」と呼ばれるようになった。


まず、新宮殿から見てみよう。
この建築様式は、バイロイト=ロココ様式とも呼ばれるらしい。

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(ヴィルヘルミーネの世界 Die Welt der Wilhelmine「エルミタージュの新宮殿」より引用  )

 


次に、旧宮殿である。ヴィルヘルミーネによって拡張された時に、「音楽の間」、「日本の間」、「中国風の鏡の間」などが作られた。

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(ヴィルヘルミーネの世界 Die Welt der Wilhelmine「エルミタージュの旧宮殿」より引用)


最後に、庭園である。

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(ヴィルヘルミーネの世界 Die Welt der Wilhelmine「エルミタージュの庭園の計画」より引用)



そして、君主フリードリヒ3世妻ヴィルヘルミーネの時代に建設されたものの一つが「バイロイト辺境伯歌劇場」である。

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(Wikipedia: 「バイロイト辺境伯歌劇場」)

この建物はバロック様式であり、2012年にUNESCOの世界遺産リストに登録された。
ヴィルヘルミーネが劇場支配人を担当し、さらにはヴィルヘルミーネ自身が台本や女優を担当することもあったようである。


このように、文化的教養に富んだ、フリードリヒ3世妻ヴィルヘルミーネによって近代的で、豊かな文化の礎が築かれた


(そうとは言え、フリードリヒ3世と妻ヴィルヘルミーネの次代になった時、その次代の君主によって、傾いていた財政を立て直すため、真っ先に文化政策が止められた。
あぁ、どこの世でも切られてしまう文化政策…悲しい…)



ワーグナーの「バイロイト音楽祭」計画
ワーグナーが求めた理想とは?


バイロイト音楽祭とは、前回記事で述べた通り、
ワーグナーの理想に近かった街であるバイロイトに、ワーグナー自ら計画し建設資金や設計者やらを集めて建設したバイロイト祝祭劇場で行われるワーグナーのオペラや楽劇を演目とする音楽祭である。


前回記事で述べた通り、
ワーグナーの作品を上演するための祝祭劇場は、当初、州都ミュンヘンに建設しようとワーグナーは考えていた。
だが、いろいろあってミュンヘンには建設できなくなった。
そんな時、バイロイトという都市を知り、バイロイトがワーグナーの理想に近かったためバイロイトに建設することを決めたという経緯があるようだ。

では、ワーグナーが理想としていたのはどのような雰囲気の土地であったのだろうか?
『帝国のオペラ』ではこの理由について以下のように述べられていた。


「ワーグナーの考える理想の歌劇場は、ドイツの中心部に位置し、田園的な、風光明媚な場所で、大都市や保養地から離れていなくてはならない。」(『帝国のオペラ』P.10)

「バイロイトという地を選んだそもそもの理由は、近代文明、政治的思惑とは隔絶した地で、自らの芸術だけを求める人々のための桃源郷を開くことにあった」(『帝国のオペラ』P.20)


バイロイトという小さな街は、ワーグナーの理想に合致していた
それは、先ほど紹介した「エルミタージュ宮殿」や「辺境伯歌劇場」の写真を見ると少しは伝わるだろう。

(それにしても、なんと我がままで魅力的な理想であろうか…)


このように、理想と合致するバイロイトという街だからこそ、ワーグナーはこの地にバイロイト祝祭劇場を建設し、バイロイト音楽祭を開催することを決めたのである。



終わりに

本記事では、ワーグナーの「バイロイト音楽祭」計画がなぜバイロイトでなければならなかったのかを説明してきた。

ワーグナーは政治的思惑と隔絶したイベントとして「バイロイト音楽祭」を位置付けていた。だが、奇しくもその「バイロイト音楽祭」は、政治的駆け引きによって実現しているともいえる。

次の記事では、当時のドイツやバイロイトの政治、すなわち帝政ドイツとワーグナーについてまとめていく。
合わせて読むことでよりワーグナーの政治的手腕の凄さを知ってもらえたならば、書き手としては幸せだなぁと思う。




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