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常識が変化している時代になり始めている!?


選挙から見えてくる!?インフルエンサーの生きる道⁉

七夕決戦といわれている東京都知事選挙ですが、公示前には40人前後が立候補するとみられていたが、蓋を開けたら56人の立候補となった。

掲示板に張るスペースがなくなり、クリアファイルでポスターをカバーして、上下左右の決められた場所に貼るようになってしまった。

公示前に気になっていたのが、インフルエンサーといわれる人たちが立候補をしてくることが予想されて、ネットでの生中継や投げ銭稼ぎなどが危惧されていた。

しかし、ある政治団体が24名も乱立をさせた後、その選挙ポスター枠を5500円で販売していたというからさらに驚いた。

政見放送は11時間以上に及ぶことになるため、まとめて放送ということではなく、分割して放送をしている。

大通りや人目に付きやすい場所には関係ない人たちのポスターが貼られているため、投票率が下がるのではないかといわれている。

選挙管理委員会へのクレームも多くなり、永田町の先生方も焦り始めているのは事実である。

4月に行われた衆議院議員補欠選挙でYouTubeを利用して選挙演説の生中継をして、他の候補者の演説を妨害したという事件は記憶に新しいところ。

公示前にいわれていたのは、4月の衆議院議員補欠選挙と同じことが起きるのではないかというものだった。

有力候補者の演説先にインフルエンサーが突撃して、ネットを使って生放送をすることで、投げ銭を活動費用にあてるというものであった。

いわゆる炎上商法で売名行為が選挙でおこなわれるということに対しての危惧であった。

また東京都知事選挙へ立候補することによって、ブランディングを図る目的もあるのは事実だろう。

一世を風靡した芸能人があの人は今⁉というわけではないが、ポスターで顔と名前を見ると、なんとなく懐かしいということで投票をする人もいる。

いくら有名だと思い込んでいたとしても、名前と顔が一致しないと意味がない。

ネットでバズればいいのか⁉

バズることによってネットでは有名になったというかもしれないが、ほとんどの人が知らないというのが現状だろう。

ネットでバズったからといって、人気者になったと思っていてもそうでないケースが多い。

昔、テレビの制作会社に勤務をしていた人から、面白い話を聞いたことを思い出した。

ミュージックステーションに出る枠は4~5枠。

大手芸能事務所、プロモーション活動中のアーティスト、映画やドラマのタイアップなどで3~4枠は埋まってしまうという。

残りの1枠をかけて、レコード会社の人たちがプロモーションにやってきて、新人アーティストを売り込む。

しかし、プロデューサーレベルまで上がることは少なく、現場のADやデレクターレベルで終わることが多かったらしい。

番組会議でプロデューサーが〇〇ってやつが最近人気だそうだけどさぁ~誰かつないでくれる人はいないか⁉という一言で話がまとまることが多かったらしい。

今の時代だと、いくらネットで頑張っています!やっています!という内容を投稿し続けたとしても、自己満足の世界であり、いいねやコメントが欲しいから、過激なことをする奴もいる。

一瞬目立つことはできるかもしれないけど、長続きはしない。

一瞬話題になるけど、9割はすぐに忘れてしまう。

忘れ去られないようにするには、奇抜なことや奇想天外なことをするんじゃないんだよ。目の前にいるファンで熱狂的なファンに対して、ちゃんとアピールすることなんだよ。

そうすると、熱狂的なファンが新しくファンを呼んでくるから、雪だるま式に増えていく。

そこからは昔のファンを大切にしていかないと続かないんだよ。

もちろん、本人たちが面白く、おかしく、楽しくやっていないと意味がないからね。

永田町の先生方は焦りを感じている⁉

公職選挙法の改正であったり、選挙の供託金をあげたり、署名を集めて推薦する形にするなど、いろいろなことをいっているけど、有効な手立てではない。

供託金をあげたとしてもインフルエンサーの異常な世界においては、売れるためなら何でもやるということになり、投資した分のリターンが期待できれば、そんなことは関係ありません。

署名を集めて推薦する方法だとしても、インフルエンサーが署名をお願いしますという一言で何万という署名がネットで集めることができるようになる。

方法と手段をかえるとしても、容易にクリアできてしまう問題点に気づいていない。

本当に政治家を目指すという人たちが減ってしまうのを危惧している人もいますが、政治に期待をしている人が減っているから、投票率が下がっているということに気づいていない。

シルバー民主主義と揶揄される政策であったり、現金のばらまきなどによって選挙前の対応策に飽きていることに気づいていないのではないだろうか。

電気代とガス代の補助を3カ月限定でやること、ガソリン補助金の年内復活などについては、国民向けの対策とされているが、そこにはある政党の総裁選挙があって、再選をしたい!という気持ちが前面に出ている。

陰を潜めてしまって、おろし風が吹き始めているからこそ、国民向けの政策を発表していくことでおろし風をやませたいという意図がありそうだ。

選挙で国民の血税を使っているのに、今回みたいなことが全国でおこなわれたとしたら、恐怖に感じているのは永田町の先生方ではないだろうか。

ツールが変わっただけでひとは昔から変わっていない。

人が2人以上集まれば、嫉妬や妬みが生まれ、競争が生まれるから。

永田町の先生方はキングメーカーになりたい人がいたり、虎視眈々と総裁の椅子を狙っている人がいたり、派閥が無くなったにも関わらず、やっていることは昔と同じである。

ツールの使い方で二極化が進む⁉

前回の参議院選挙や4月の衆議院議員補欠選挙から見えてきたのは、世の中のフラストレーションが向かう先がないのかもしれない。

選挙に行くのはシニア層が多く、情報も新聞、テレビなどアナログなものから手に入れることが多い。

Z世代やゆとり、さとり世代などについては、ネットの情報が信ぴょう性が高いと思い込んでしまっている。

ネットの世界で声がでかい人たちが正義であり、検索方法もSNSがほとんどである。

干し草の中から針を探すようになっているにもかかわらず、自分はいい情報を見つけて拡散をしていると思い込んでいる人も多い。

若者の不満、不平よりも、現役世代、シニア世代を中心とする政策に嫌気がさした結果ではないかと仮定することができる。

知る権利が侵害されているということは事実ですが、50名以上乱立する選挙ってちょっと異常なことかも知れません。

人間は選択肢が多くなりすぎると行動が消極的になるといわれており、それに今回のポスター騒ぎであったり、政見放送の長時間になったり、従来の性善説では片付けられない問題が明るみになった。

継続性があるかといわれたら、お祭り騒ぎをしているだけというのが結果になるかもしれない。

インターネットやSNSによって、自分が知りたい情報がAIによって選択をされて、自分にとって都合のいいタイムラインが流れてくる。

それが世間の声という認識をしてしまい、自分が正しいことをしているという錯覚に入り込んでしまう。

1月の能登半島地震でも東日本大震災の津波の映像にテロップをつけて流したり、救急車やレスキューを求めるデマ情報が流されたこともあり、現場は大混乱をしていました。

早く正確な情報をいかに伝えるのかがポイントになるにもかかわらず、何かあるとデマ情報が流布されてしまうのか。

それはその情報が正しいかどうかをしっかり確認をしたうえで拡散をしなければならない。

常に情報や常識を疑ってかかる時代になったのかも知れません。

ネットとリアルのハイブリッドが必要な時代

なぜ人は共感をしてしまうのかというと、同じ時間、同じ話題、同じ空間の3つが揃うと共感しやすいといわれています。

コロナショックの時にWEB会議が増えましたが、それまでのトップ営業が陥落をしてしまったのかということを、分析する機会がありました。

同じ空間を共有することができなかったことによって熱量が伝わらず、WEB独特の間合いのずれがそうさせていたのかも知れません。

同じ空間を共有していたら、相手の表情やマイクロジェスチャーを細かく読み取ることができるようになるのですが、WEBを通すことによって時間のズレが生じてしまいます。

ほんの1/20とか1/30フレームというごく僅からズレであったとしても、人は違和感を感じてしまい、そこで閉店ガラガラと心のシャッターを降ろしてしまう。

一度降りてしまったシャッターはこじ開けることはできませんし、その後いくらいいことを話したとしても何も響きません。

対面であれば自然な流れで切ることができるのですが、WEBだと感じとることができないため、タイムパフォーマンスやコストパフォーマンスが悪い結果になってしまっていた。

情報の正確さを確かめる前に、誰が言っているかによって無意識のバイアスがかかってしまい、この人が言っているかそうだ!ということも危険すぎる判断になる。

AIによつて本人に成りすますこともできてしまう時代ですし、chatGTPによって文字コミュニケーションも疑う時代になってしまいました。

リアルに対面をするイベントも増えてきましたが、誰が言っているのかという影響力はすごく大きくなっている。

弱いつながりでネットでつながっていれば安心という時代でもなく、定期的に人脈の断捨離をしていく必要もある時代です。

肩書を見て人を判断する時代ではありません。

本田宗一郎さんは飲みに行くときには耳鼻科の先生として、正体を隠しながら飲み歩いたそうです。

耳鼻科の先生ということだけいうと、その後質問が来ることは少なく、その人の人間性を見ることができたそうです。

肩書だけで判断をする人が9割いて、利用してやろう、お金をとってやろうとした人が多かったのかもしれません。

金の切れ目が縁の切れ目というけど、その人が金を持っていると砂糖に群がるありのように集まり、その人に金がないとなると火の粉をのようにさっといなくなる。

金のない時にそれでも付き合ってくれる人はすごく大切にしなければならないと、私の師匠から教わつたことでもある。

肩書がすごいと思うと、思い込み、決めつけ、先入観によって、人間性を見ることはない。

人間性ってなかなか見せれないことが多く、飲みニケーションが腹を割って話せると信じている人も多いのは事実である。

群れを嫌い、スキルと実力で生きていくことを選ぶ人もいる。

何が正しくて、何が間違っているのかは個人の経験や価値観によって変わってくるものですし、それを押し付けたりすることはこれからの時代には合わないかもしれません。

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