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知らないとヤバい⁉比較三原則と評価の暴力性とオールドボーイズネットワークと


他人の評価と自分の評価の格差!?

競争をすることが好きな人はいいけど、苦手な人もいる。

そのすみわけをきちんとしなきゃいけないんだけど、曖昧のままである。

例えば運動会の徒競走を思い出してほしい。

タイムの遅い順に組み分けされて、その組で1着から末着まで争うことだったけど、今ではゴール前で横一列になってゴールに入らなければならない。

早い出番の子たちには後者のゴール方法がよく、遅い出番の子たちには前者のゴール方法がいいかもしれない。

優劣というのはどうしても生きていくうえでつけられてしまうものですし、それが評価につながることもある。

順位がつくことによって憂鬱になる子もいれば、ちくしょう~っ!次見てろよ!と反骨精神が発揮されることもある。

40代以上は、運動がダメなら、図工、勉強、音楽などと別の分野で頑張って、プラスマイナスゼロになった。

30代前後に聞くと、運動会で順位がつけられることについては憂鬱になる人も多く、競争をすることが苦手な人が多くなってきた世代である。

この時間がなければ、憂鬱になることもないし、順位がつくことで評価をされることになり、自分の力だけではどうしようもないことに気づくことになる。

出世がしたくないというのもこういう時代背景があるのかもしれない。

順位が1位になったとしても、1位の座を守るために戦い、孤独に戦うことになる。

成長をしているかどうかわからず、過去の成功体験にぶら下がって、自慢話、武勇伝、説教をしてしまうとつまはじきものになってしまう。

追われるものと追うものではプレッシャーも違うし、メンタルも違うから。

一度てっぺんをとるとあとは安心しろ!下り坂をものすごいスピードで下るだけだから。といろいろな先輩たちを見てきたからこそ、恐怖が何倍にも感じてしまうもの。

評価をされることによって順位がつき、優劣がつけられてしまうと、頑張ろうという気持ちになる人もいれば、あっ!もういいや~!やりたくないことはやらないでいい!と開き直る人もいる。

評価をされてこの人はこういう人とラベリングをしたがるのが、組織という小さな村の法律である。

ラベリングをされてしまうと、それ以外のところには目がいかなくなってしまい、才能が別の分野にあったとしても気づかれないことが多い。

才能が埋没してしまうことになり、才能開花をすることはあまりないのが現状である。

一度敗戦処理のような仕事をしてしまうと、なにかあったらこいつにやらせよう!ということで、そういう仕事しか回ってこないことになってしまう。

評価の暴力性!?

評価ってなんなんだろう!?って考えるきっかけになった。 体育の時間で徒競走で必ず着順がつくから、体育の徒競走の時間が超憂鬱だった。

この1時間のために憂鬱な気持ちになっていた。

評価はずっと付きまとって、自分の隣にあるものだと感じるようになった。

他人からの評価を耳にしてしまうことによって凹んでしまう時もあった。

評価って何だろう⁉と考えるようになった。

評価って順位をつけることだけでなく、出走メンバーの組み合わせが違えば結果も違ったかもしれないのは相対評価であり、いろんな意見があり、自分を見失うことになり、評価って難しい。

評価されることで傷ついてきたかもしれない。

評価する人の基準の多様性があり、基準というものが全くないの中で評価されているからよくわからない。

自分を全部知っているのは自分しかいないから、他人からの評価の違いによって悩んでしまっていた。

自分との対話をしきれていない状態であったから、他人の評価に傷ついていたのかもしれない。

評価されることで傷つくこともある。

何もわかっていないくせに何を言っているんだよって言いたくなるけど、おとなになるとだんだん知恵がついてきてスルーをすることもできるようになった。

評価される=違う視点があると素直に受け入れられたりするけど、気分によっては評価に対して苛立つこともあった。

いろいろな多様性のある評価の中で、傷つくモノがあったから、評価されることが嫌になってしまう。

評価の暴力性もあるから、怖いと感じてしまうことになる。

いろいろな評価がある⁉

比較三原則というものが実は人間にはある。

他人と比較しない、半径5メートルの人と比較しない、過去の自分と比較しないというものである。

他人と比較をしないのは、才能と努力の指数が違ったり、置かれている環境が違うから、比較をしても一度ついた差は埋まらない。

SNSを見ているとキラキラしている人もいれば、自分ってすごいでしょ!と承認欲求の塊でいいねの数に一喜一憂してしまって疲れてしまう人が多い。

他人と比べなければいいということに気づくと、肩の荷がすっと降りる。

自分が何を目指しているのか、どうなりたいのかということに重点を置くことができたら、気分も軽くなっていく。

半径5メートルの人と比べないのは、親、兄弟、姉妹、親戚と比べても、才能、努力の量も違うし、置かれている環境や時代の流れなどによって、その価値は大きく変わっているから、比較対象になっていくことはない。

羨ましいという気持ちから、妬み、嫉みになってしまって、相手の位置を自分の位置まで下げてきて、妬んでも嫉んでも何も変わらない。

そういうことをしていても、現状は何も変わらないということに気づいてほしい。

過去の自分と比較をしたとしても、時代の流れも違うし、努力、才能、原体験が違うわけだから、今と比較しても何の意味もない。

過去の栄光や成功体験にぶら下がっていたとしても、通用しない時代であるということに気づいてほしい。

過去の成功体験が人の成長を邪魔しており、その人の成長が止まっていることに気づかず、裸の王様状態になっていることについては、誰も注意したり、指摘する人はほとんどいない。

メンターと持っている人であれば、耳の痛いことを言ってくれる人がいると、すごく成長しつづけるチャンスであるが、ほとんどの人は自分の都合のいい人を周りに置いているケースが多い。

評価についてはいろいろあり、1つの評価で一喜一憂することなく、いろいろな評価を聞くことによって、評価基準がいろいろあるんだということに気づいてほしい。

明確な基準が言語化できていれば、その通りであることが多いけど、ほとんどの場合は評価する人の原体験などに基づいて作られていることが多い。

本当に信頼をできる人からの評価と、そうでない人の評価を聞いたら、評価の差であったり、違和感を感じることがあったら、その差について聞いてみるといいでしょう。

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