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ワシントン大学で学んだこと(IdeaとCondition)

IdeaとConditionの違い

私がワシントン大学でお世話になったTaso先生は、ずっと授業中IdeaとConditionの違いを語っていた。本を読んでそのKey Ideaを提出する宿題では、「Condition」ではなくて「Idea」は何なのかということを彼から強く言われ、私は幾度も再提出をくらっていた。

なぜこの先生がここまで厳しくこの2つの違いを追及しているのか、いったい何の役に立つのか。それをこの場を借りて広めたい。

以下と同じような経験を、読者のみんなもしたことがあるだろうか。
(何かの)要約をしなさい」もしくは、「プレゼン、レポートを作成しなさい」という時、あまりにも空っぽで浅い内容を作ってしまう。

要約を書いて」と私も言われた時、書かれている文章は理解できても何を書けばいいか分からず苦悩した。本屋で見かけるマニュアル本を読んでみてもフレームワークありきで話が進むので、それが当てはまらない場合だとちんぷんかんぷんだし、何よりフレームワークを覚えないといけない。そしてその小手先の技術で完成した要約は、自分の気持ちや理解が全くこもっていないただの作業の産物だった。

そう、自分でもこのレポートとプレゼンの内容は浅くてダメだ!と分かっている。けれども、深い内容にできないし、何より、何がいけないのか分からないのだ。そして、自分もこの浅く内容のない要約を「良し」とするしかなかった。それで学校から点数がもらえていたから。

しかしながら、この世には中身が詰まった素晴らしい要約やプレゼンもあって、いつの時代にも上司などに出す要約やプレゼンの内容によって仕事で成功する人とそうでない人に分かれるのである。そしてそこに点数はない。

一体、何が違うのか。

一言で言えば、良くできている要約やプレゼンにはIdeaが常にある。実は、サブタイトルにもあるIdeaとConditionの違いを理解しているかそうでないかにあるのだ。このIdeaを十分に理解し上手く表現できる人こそが面白いプレゼンができて社会で優秀とされているのである。

今回は作成するレポートやプレゼンに関する内容をどう根本的に面白くするか、何を意識してこれからレポートを作るかなどをいくつかの身近な例とともに紹介、解説をしていく。

※日本語のアイディア(思いつき、工夫)とは意味が全く異なるので、Ideaとここでは表記する。

そもそもIdea、Conditionとは何か

IdeaとConditionの言葉が一人走りしないように、いったん言葉の定義を軽く整理したい。

英語の定義では、(Oxfordから引用)
Ideaは、
A thought or suggestion as to a possible course of action; the aim or purpose.
つまり、Ideaは目的やメッセージのこと。

一方Conditionは、
The state of something with regard to its appearance, quality, or working order.
つまり、Conditionは事実であり、表層的なこと。

まだ少し定義が難しいからクイズを交えてそれぞれいくつか例を挙げてみる。
以下の文章がIdeaかConditionなのか答えてほしい。

第一問「外で雨が降っている。」(実際に今の天気が雨だったとして。)
Idea?Condition? 

これはConditionである。まさに事実を述べている。Factだ。

第二問「この雨はブルーチーズのにおいがする。」
Idea?Condition? 

これはIdeaである。

第三問「バルセロナ対マンチェスターユナイテッドは3ー0で試合が終わった。」
Idea?Condition? 

これはConditionである。

第四問「バルセロナの得点は全部まぐれだった。OO番の運が良かっただけだ。」
Idea?Condition? 

これは1つの考えだからIdeaだ。

実は既にこの2つを無意識で理解している

このIdeaとConditionの違いが身の周りの世界でどのように影響しているか。
では、まずある状況を思い浮かべてもらいたい。

あなたはスポーツ記者でサッカーの試合を観戦して記事を書くとする。

90分後、バルセロナ対マンチェスターユナイテッドは3ー0で試合が終わった(マンチェスターユナイテッドファンの皆には申し訳ない)。

さて、あなたは何を記事に書くだろうか。あなたの記事ではその試合会場にいない人たちにも分かりやすく説明することが重要だ。

もし仮に「バルセロナが3点、マンチェスターユナイテッドが0点で試合が終わった。」というConditionの情報のみを記事に書いたとする。読者はその記事内容だけで試合結果に納得するだろうか。

目線を変えよう。先程、「マンチェスターユナイテッドファンには申し訳ない」と書いたが、その負けたチームのファンたちはこの記事に納得するだろうか。いや、「なんでこのチームが負けたんだよ!」と納得できず怒鳴りながらこの記事を読むことだろう。

だが、もしそこに「バルセロナの得点は全部まぐれだった。OO番の運が良かっただけだ。」と1文を加えるとどうなるだろう。その瞬間、その試合の捉え方が変わるのではなかろうか。この怒り狂ったファンも少しは鎮まるのではないか。

実は、この記事の変化に気付けたあなたは、もう既にIdeaとConditionの違いを理解しているのである。この試合の見え方の変化にIdeaが大きく関わっているのである。

Conditionはただの事実、Ideaはメッセージ

このスポーツ記者の例からもみて分かるように、「バルセロナ対マンチェスターユナイテッドは3ー0」というような事実Conditionだけでは全くもって試合の内容を説明できていないし理解もされない。何を伝えたいのかが分からないと、内容も理解できず、最終的につまらなくなってしまうのだ。だからただ単に事実を並べたレポートやプレゼンも総じてつまらなくなるのである。

一方、「バルセロナの得点は運がよかっただけだよ」というメッセージIdeaがあるとそこで初めてその試合自体の世界が理解されるのだ。Idea(メッセージ)はその状況世界をより理解するために必要なのだ。あなたが感じた世界、私が感じた世界、それぞれ違うからIdeaを用いて説明しようとするのだ。

まさにこれが、今まで私ができなかったことなのだ。このサッカーの試合で記者が伝えたいメッセージは、「バルセロナが勝った」のような単純なことではなく、バルセロナがどうして勝てたのかもしくはどうしてマンチェスターユナイテッドが失点したのかということであり、Ideaがあって初めて面白い記事になるのだ。

何となくではあるがこの二つの違いが理解できただろうか。

では、何か資料やプレゼンを作ったり、反対に読み手になるとき、このIdeaとConditionの違いをどう区別するのか。人に聞いてもらえばよい。もしくは自問自答してみる。その発表後になんと返事が来るか。

発表がConditionの場合には、「それで?それがなに?」という質問がくる。それはその人にとって単なる事実としてでしか捉えられていないからだ。

一方、Ideaの場合には「なんで?どのように?」という質問がくる。なぜならそのメッセージを理解できたからだ。物事がある程度理解できると、色々ギモンが出てくる。(なんでそう思うの?どうしてそうなるの?など)

知識の量がIdeaの理解と伝え方を左右する

ここで先程のクイズをもう一度見てみたい。あれ?、この問1の文章「外で雨が降っている。」はConditionだけど、無理やり「なんで」と質問できるぞ。そう思ったら、それは素晴らしい気付きである。

そこには知識の量が関わっている。

ほとんどの人は問1のこの文章をConditionとして受け取り「で?だから何?」と質問するだろう。だが、ある一定数の人は「なんで?」と質問をするだろう。それはこの人たちは雨が降る地理的状況や物理や科学的な構造などをしらないからである。

だからこそ、Ideaを理解するためにはその前提となる知識が必要であり、受け手は勉強(教養)が必要なのである。受け手は事前に知識(Condition)がないとその内容がIdeaかConditionかの区別もできない

逆に、そのIdeaを伝える側もしっかり受け手とConditionの共通認識が取れているかを注視しなければならない。いくらメッセージを伝えたくても、その前提となる知識(Condition)が共有されていなければメッセージが理解されないのだ。ただ「へぇー、だから?」で終わってしまう。Condition(知識)とIdea(メッセージ)は全く別物だが表裏一体なのである。

この話をもっと簡単な例で言うと、いま打ち込んでいる趣味なども、その存在(Condition)を知らなかったら趣味にならなかっただろう。全て興味関心は前提となる知識と一つのギモン(「これ知ってる、自分にもできるのかな?」など)から始まるのだ。

あなたのレポートやプレゼンには伝えたいメッセージや「なんで?どうして?」を思い起こすようなものがあるだろうか。そしてそこには前提となる知識を共有できているだろうか。逆に、あなたは何か重大なメッセージに気付くきっかけだったのにも関わらず、当たり前だとして見逃していないだろうか

Ideaは不安定なもの、だから議論できる

それに加えて、もう一つ重要なことがある。

Ideaは(伝えたいメッセージは)証明できない。

どういうことか、先ほどのクイズを用いたい。

バルセロナのチームが3-0で勝ったことは証明できるが、勝った理由は証明できるだろうか。いや、できない。なぜなら一人一人の選手が起こした行動があまりにも複雑でその選手たちの行動のみならず天候状況や疲労状況などあらゆる要因が複雑に絡み合っているからだ。確かに、選手の体力と試合の勝敗を表す相関関係は出てくるだろう。でもそれは因果関係ほど関係性は強くない

因果関係とは何か。

例えば、「ペンを持ってこの指をペンから離すとペンが床に落ちる。」のようなもの。この場合、ある人は「何で?」と聞く人もいる。確かにこの質問が成り立つのなら、これはIdeaだと思うだろう。だが、これはConditionである。なぜかというと、この答えは「重力」ただ一つであるから。これが因果関係である。(これは先ほどの知識の量の話にも関係するのだ。)

一方、人間の行動に関して言うと、因果関係の証明があまりにも複雑で難しい。だから、Ideaを代わりに使ってその仕組みを理解したり説明しようとするのだ。選手の体力があったから試合に勝てたという人もいれば、パスが正確だから試合に勝てたという人もいる。これがIdeaである。

まとめると、Ideaは状況の理解に役立つものではあるが、証明することができない。先ほど述べた重力の話と同様に、証明できてしまえばそれはConditionであるのだ。誰かが「体力で試合が決まった」と、証明するために色んな研究を差し出してくるかもしれない。でも結果、私たちはそれが絶対正しいかどうかはいつまでも経っても分からない

しかしながら、その試合の勝利を議論する楽しさ、またはその議論で出てくる齟齬や苛立ちがIdeaの醍醐味なのだ。Ideaは常に論争を招くし、議論の余地もある、そして証明もできないのだ。

ではどうIdeaが活かせるのか

そんな証明もできないようなIdeaは何のためにあってそれををどのように私たちの将来に活かせるのか。

繰り返しになるが、Idea(メッセージ)は私たちや他人のいる「世界」を理解したり、それを人に伝えるためにあるのだ。「私たちの(彼らの)行動は複雑すぎるから理解しなくていいよ。」とただ言うのではなくて、「このIdeaを使ってものごとをもっと理解できるように努めるよ」と言えるようになりたいのだ。

だから、Ideaがあって初めて、私は無知ではなくその物事を認識して理解していると言えるのだ。別の言葉でこれを「啓蒙、啓発」という。

人の文章やプレゼンのメッセージを理解することがIdeaを汲み取ることの第一歩だ。なぜこの人はこれを書いているんだろう。一体この情報が何を意味しているんだろう。何を伝えたいんだろう。それを理解して初めてIdeaを、メッセージを理解したと言える。

メッセージを読むことができたら次は発表(レポート、プレゼン)だ。なぜ私はこの人たちに発表するのか?私が伝えたいメッセージは何か?それを考えて初めて、内容が次第に決まっていくのだ。一発でプレゼンスライドはできない。スライド1枚1枚で何を伝えたいのかを明確にすると、見やすく分かりやすく面白いものができるのだ。(英語のレポートだったら段落ごとに1つのメッセージがある。)

その伝えたいメッセージは自分の知識内で考えるしかない。だからこそ勉強と深い思考が必要で時間がかかって難しく大変なのだ。

この文章もそうなのだ。私はIdeaとConditionの違いから文章の読み方や状況の伝え方の全てが変わった。だからこの変化を読者にも経験してもらいたい。このメッセージは、Ideaを使いこなせるとインプット時には物事を瞬時に理解できて、アウトプット時には人に上手に表現して伝えることもできるということから成り立っている。だが、もし私がこのIdeaとConditionの概念を理解していなかったり、私のメッセージがあやふやだと、とても内容の薄いものになってここまで読むモチベーションもなくなってしまうのだ。

具体例

最後に動画を使った具体例を用いてこの文章を終わりにする。
この1分の動画を見てもらいたい。
その視聴中、この動画のメッセージは何か、なぜこの動画や写真を使ったのか、そしてなぜこの文章(文字)なのかなどを是非考えてほしい。

<見終わってから下の文を読む>

まず、この動画が視聴者にしてほしいことは何だろうか。家にいることだ。家にいることで医療従事者を助けることができるというIdeaだ。その一つのIdeaの裏には沢山のConditionがある。例えば、イタリア人女性の声だったり、病院の床に寝ていたりなど。一つ一つ動画を切り取ったらConditionであるが、それらを全て合わせるとIdeaを生み出すことできるのである。これらのConditionを探す作業、知る作業が「リサーチと勉強」だ。このイタリア人女性の動画はメンバーが偶然フェイスブック上で見つけた動画だが、実は、他に似たような別の動画が4つある。合計5つの中でこのイタリア人女性の動画を選んだのだ。何故なら、この動画のメッセージ性が私たち作成者の伝えたいIdeaを一番表しているからである。決して、適当に動画を選んでいないのだ。

次に、なぜこの動画を使ったのか。勿論、先ほど述べたメッセージ性が近かったというのもある。だが、もう一つ大きな理由があって、それは海外の人の動画だから。実は、没になった他の4つの動画も日本以外で撮影されたものである。海外の動画を使うことにより、「日本もコロナを見くびっていたらいずれ同じようになる」ということを暗喩していたのだ。あの動画は主に日本人に向けた動画である、だからこそCOVID-19の怖さや酷さを既に経験している海外の動画が起用されていたのだ。

さらに、写真の選択もかなり多くの時間を費やした。そのIdeaに当てはまる写真、つまりワンシーンごとの言葉に合う写真を選ばなければいけない。例えば、最後のシーンの「医療現場の命を削る」という言葉には、多くの医者が防護服のままウイルスが沢山いるであろう病院の床に寝て休憩している写真を起用するなど。そのメッセージと写真が一致しているかどうかでそれを見た時、理解の深さに差が出るのである。

最後に、スクリーンの形と文章の長さに気付いた方はいるだろうか。多くの大学生は携帯で動画を見る。だから、あの動画はスマートフォンで見るときれいに収まる画角なのである。さらにスクリーン上に表示する文章の長さにも気を付けなければならない。読みやすく理解されるには、なるべく大きな文字でかつ少ない文字数で伝えなければならない。だからこそ、あの大きさと文字数なのだ。そのためには文章を何度も書き直し、言葉を言い換えたり、同じ言葉でも漢字にした方がいいひらがなにした方がいいなど推敲を重ねてできたものなのだ。

以上がこの動画の裏にあるものだ。決して短時間でできるものではない。一見、簡単そうに見えてとても頭と時間を使うのだ。そして何よりこれを全て一人でやるのは難しい。だから仲間と一緒に作ってお互い確かめ合うことが大事だろう。逆にこの動画の制作が簡単に見えたらそれはそれで成功だ。それだけ簡単にすぐ動画の内容を理解されたということだから。

終わりに

現時点では、このIdeaとConditionの違いを理解できて人に説明してくれたら嬉しい。ただ、本番はこの違いを理解した上でこれから作成するレポートやプレゼンに活かすことができるかというところである。自分も試行錯誤してこれから書く要約やプレゼンにはConditionではなく常にIdeaを含めたい。

本文に書いていないからそれは要約ではないというのであればそれは間違っている。本文に書かれていないメッセージを汲み取って、文字通り「行間を読んで」要約をする。
これからあなたが理解しなければならないメッセージは、目の前の会議にあるのかもしれないし、勉強で読む本かもしれない、はたまた偶然見つけた趣味なのかもしれない。その目の前の世界を少しでもクリアにするには自ら考えて得たIdeaが欠かせないのである。

この映画のIdeaは何だろう、この人の話のIdeaは何だろう。そう考えるだけで脳が動く、それを繰り返していると考える癖がついて自然と要約やレポートが密度の濃い良いものになるのである。


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