3分名句紹介エッセー 孤独
その日のオンライン飲み会の主題は「孤独」についてだった。
最初は女の話で大いに盛り上がっていたのだが、酒が進むにつれて、モニターの向こうの旧友らの顔は一様に暗くなっていった。無理もない。まもなく小生等は30才になる。友の中にはすでに30を超えた者もいる。皆、ここまで仕事仕事と生きてきたが、人生50年と言われた時代から考えればとうに折り返し地点は過ぎている。そろそろ人生について、これからのことについて、見たくもない現実を直視しなければない時期がきていた。
「孤独死だけは本当に嫌だ」
誰が言ったのか分からなかったが、その言葉は嫌にはっきりと聞き取れた。皆一様に首肯をした。もちろん小生もだ。それは偽らざる本心だった。死ぬ時はせめて、人に看取られて、恐れなく死にたい。臆病者の小生はそう願う。
「お前はいいよな。かみさんがいて、子供がいて。孤独死とは無縁じゃないか」
一人が小生に突っかかるように絡んできた。結婚をして、子どもがいるのは小生だけだった。小生は「そうかもな」とだけ返して、アードベッグを飲んだ。ちぇっと舌打ちをして、酒乱のそいつは、また別の奴に絡みだした。小生は、そんなやり取りを笑いながら見ていた。しかし、嫌にそいつの言葉が頭で反芻していた。
妻がゐて子がゐて孤独鰯雲 安住敦
季語は鰯雲。秋の季語だ。この句は小生が俳句を初めて間もない頃に、影響を受けた句の一つになる。リズムの良さ、韻の快さからは想像もできないほどニヒルな句だ。俳句は綺麗なものを詠むだけの文芸でも、向日性の文芸でもない。短いがゆえに偽りの利かない魂の文芸だということを、この句から学んだ。
そして、この句は、「人間は本質的に孤独な生き物」であることも、小生に示してくれた。友からみたら小生は恵まれているかもしれない。しかし、だから今、小生が孤独を感じていないという理由にはならない。息をするのは自分だし、考えて行動するのも自分だ。結局、てめえで考えて、てめえで生き抜く努力をしなければ死んでしまう。そんな悲しい生き物の、そんな悲しい性を「孤独」と表現せずしてなんと形容するのだろう。
それに考えたくないが妻や子に先立たれる可能性だってある。今が孤独じゃないから、死ぬときも孤独じゃないなんて理屈は通らない。
ショール掛けてくださるように死は多分 池田澄子
死ぬとき一人なんだ。誰かと心中したって、灰になるときは一人だ。棺桶には一人で入るより他にない。だから小生らにできることは、死がこの句のように、穏やかなものになるよう願い、準備することだけなのだ。
結局そういうことなのだ。人生って畢竟、死ぬときにどれだけ納得して死ねるか、その理由探しのためのモラトリアムなのだ。そして、その答えは一人一人違うはずだ。なんだかよく分からなくなってきたが、とにかく今は、俳句を詠んで、俳句を知って、楽しかったと少しでもいえるような人生にしようと思う。そう思う。
棺桶は一人に一つ柏餅 亀山こうき
了
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