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3分名句紹介エッセー 生きかわり死にかわり

 今年のゴールデンウイークは人生で初めて田植えというものを経験した。それも機械による田植えではなく、昔ながらの手植えである。

 小生の家から程よき距離に棚田がある。そこの畳20帖ほどの一区画を借りた。埼玉のベッドタウンに生まれ、水田にゆかりのなかった小生は昔から稲作、特に手で植える田植というものにあこがれを持っていた。多分トトロの影響だ。幼少の頃よりトトロが好きで、トトロを見ては「死ぬまでには自分で稲を植えて、その米を食って生活したい」等と夢見ていたのである。30を手前に夢が叶うことになった。

 足袋をはいて小生と妻が田に入る。水の冷たさが心地よい。一歩動くと生暖かい泥に足がどんどん沈んでいく。小生はこれから田植えをする。その実感が、DNAの奥深くに眠っていた農耕民族の魂を、否応なく刺激する。

 田植えにもいろいろルールがあった。一緒に作業する人と息を合わせろ。深く植えすぎてはならない。浅く植えすぎてもならない。苗と苗との間隔は30㎝を維持しろ。一か所に植える苗は5~6本としろ。田の中を歩き回りすぎてはならない……

 そして最も大事なのが、作業に集中しすぎて腰をかがめっぱなしにしないだった。適宜休憩していかないと、腰をやられる。

 もともと野菜農家あがりの小生と妻である。一心不乱に田植えをした。3歳と2歳の我が子たちは、田に入ることを拒否して、畦から小生らの応援をしたり、おたまじゃくしや蛙や、ザリガニを捕まえて戯れていた。

 張り切りすぎたせいか、田植えは小一時間で終わった。小生は汗を拭い、初夏の空を仰ぎながら、田植えを終えた充実感をひしひしと味わう。夢が一つ叶って、とても満ち足りた心地だった。しかし、あれだけ注意していたのに、腰が、痛い。横を見ると、それは妻も同じだったようだ。小生らは腰をさすりながら、機械化される前の稲作とは本当に重労働だったのだと実感して、ご先祖様の苦労を偲んだ。

生きかはり死にかはりして打つ田かな 村上鬼城

 句の意味としては「ご先祖様が耕した田を自らも耕し、そして我が子供や子孫たちも永遠と耕していくことなんだろうな」といった感じ。季語は打つ田で田打ち。田植えの前に鍬で土を反す作業をあらわす春の季語だが、なんとも、まあ絶望的で悲壮感漂う句ではないか。

 作者の村上鬼城(きじょう)は耳が不自由で、子宝には恵まれたものの、常に生活には困窮をしていたらしい。そんな境遇が、上記の句に代表されるような「達観した悲哀」ともいうべき句柄を作っていった。

 現代っ子の小生らはこの句を見ると本当に絶望的な気持ちになる。ここで描かれている田打ちからは、前世で犯した大罪を、今生でも贖っているかのような恐ろしさを感じる。

 しかし、一方でこの達観しきった句からは、どこか慈愛の心も見てとれる。田打ちは大変で一生逃れることはできない。しかしそれは、ご先祖様も経験し、これからの子孫たちも脈々と行っていくものだ。自分はその大いなる流れの中の一人である。そんな人間の「血」に対する情みたいなものが読み取れる。

 悲しみの裏には嬉しさがあり、絶望の裏には希望があることを、この名句は、農耕民族日本人に示し続けているように思われるのだ。

 そんなことを、整体院の診療台で横になりながら考えた次第である。

田植かなじゃんけんに負け広いほう 亀山こうき


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