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救い(SFショートショート)

 あらすじ
 未来の日本。新興宗教の教祖は、ある女性信者を気にいるが……。


「これが、その花瓶です。こちらの花瓶に水を入れ、花をさして部屋に飾っていただければ、どんな悩みもたちどころに去るでしょう」
 菱田幸男(ひしだ ゆきお)は眼前の若い女性に、箱に入った陶器の花瓶を見せて話した。まだ20代後半ぐらいで、ストレートの長い黒髪に、大粒の宝石のような黒い目をした綺麗な女だ。菱田の好みだった。
「ありがとうございます。教祖様」
 女は何遍も、菱田に向かって頭を下げた。目には、涙を浮かべている。
「あたし今までの人生で、何にも良い事ありませんでした。でも、この教団に入って、救われました」
 女は、声を震わせた。
「それは良かったです。信者の皆さんの幸せこそが、教祖として何よりの喜びですから」
 菱田は答えた。
「こちら、花瓶の代金です」
 女が使い古したハンドバッグから封筒を出しながら、そう話す。
「貯金を崩して30万アジア、お持ちしました」
 女は、封筒を差し出した。
「良い心がけです。お布施をすればするほど魂が浄化され、ご自分の運命が好転します。そしてご自分が亡くなった後、安らかな天国に行けるのです」
 菱田は封筒を受けとった。中味をちらっと覗いたが、間違いなくアジア札の札束が見える。
アジア札とは、東アジアの統一通貨だ。今の日本ではカード決済が主流だが、彼女は過去に自己破産したとかで、クレジットカードを持てないという話だ。

 菱田はある宗教団体に若い時入った。その団体は信者数が少なく、高齢者が多かった。やはり高齢の教祖が引退する時が来て、彼に子供がいないのもあり、菱田が後を継いだのだ。
 菱田は若い時から札付きのワルで、親に勘当されていた。定職につかず空き巣に入ったりカツアゲしたり、万引きしたり、女に食わせてもらっていたのだ。そんな彼がその教団に入会したのは、信心深いからではない。
 むしろ宗教は信じてなかった。その教団は裕福な信者からしか金を取らず貧乏な信者だと就職を紹介したり、低利で金を貸してくれたり、安いアパートを紹介してくれると聞いたからだ。
 年配の信者が多かったので、若い菱田は高齢の信者達に可愛がられた。宗教団体というよりは、ボランティア組織のような雰囲気だ。自分が教祖になると菱田は、教団の改革を始めた。
 全ての信者から高額の献金を義務づけるルールを作ったのである。多額の献金をした者は、天国に行けるという教義も作った。
 そんな菱田に嫌気がさし脱会した信者もいたが、日本社会が没落しつつあったからか、急速に新しい入会者が増えたのだ。
 月面基地ができ、スペース・コロニーや軌道エレベーターが建造され、ナノマシンが医療に使われる時代になったが、宗教にすがる人達はいる。そしてそんな人達を食い物にする連中も菱田を含めていなくなりはしなかった。


 菱田は目の前の若い女に、箱に入った花瓶を渡す。彼女はそれを、まるで赤ん坊でも抱くように大事そうに抱え、何度も菱田に礼を述べた後教団の施設を出た。


 女は花瓶の箱を抱えて電車に乗り、自分のアパートに帰る。アパートは駅から歩いて15分ぐらいの場所にあった。
 家賃は月3万アジアで、外壁はひび割れてツタが張っている。部屋は4畳半一間でユニットバスがついていた。床は少しだが、斜めに傾いている。女は部屋に入ると箱から花瓶を出して中に水道の水を入れ、帰宅途中で寄った公園で勝手に抜いた花を生けた。
 部屋にはホロテレビもエアコンもパソコンもない。その夜は、いつものように自分で作った食事を1人で食べた。食後に歯を磨き照明を消してパジャマを着ると、せんべい布団にもぐって寝る。


 それから1時間がたち女が深く眠りに落ちた後、花瓶に異変が生じはじめる。花瓶の底に小さなひびが走り、やがて小さな穴が開く。中から小さな虫のようなものが現れる。
 その口先は尖っており、そのくちばしで、陶器の花瓶に穴を穿ったのだ。
虫のような物は真っ黒な姿をしている。体長は5ミリぐらいだろうか。開いた穴から這い出ると、翼を広げて飛びたった。
 そしてそのまままっすぐに、眠っている女の布団にもぐりこむ。虫のような物の尻の部分から尻尾のように針が飛びでる。
 それは女の腕に刺さった。女が一瞬覚醒したが、針からは人の睡眠状態を続けさせる成分も含まれるため、やがて彼女は眠ったのだ。
 注射が終わると、虫のような物は再び布団の外に出た。そしてまた羽を伸ばして飛びたったのだ。その後郵便受けまで飛び、郵便の差出口から室外に出た。


 菱田は昆虫型ロボットが、尻についた針の先から洗脳用のナノマシンを眠った女に注射するのを、ロボットの頭部についたカメラアイを通じて観ていた。彼は、女を自分の自由にしたかった。
 すでに女は菱田に心酔しているように見えたけど、さらに洗脳を強固にしたかったのである。
 やがて昆虫型ロボットは作業を終えると女のパジャマの中から這い出て翼を広げて宙を飛び郵便受けに達すると、閉まっていた郵便受けの差し込み口の隙間に潜って無理矢理それをこじあけた。
 そして差し込み口から外に出ると再び翼を広げて外へ飛んだ。途中で昆虫型ロボットは、光学迷彩で姿を消した。この超小型ロボットは軍用で、菱田の所属する宗教団体が外国企業から買ったものだ。
 安くない買い物だが、多数の信者から多額の献金をせしめている菱田には、簡単に購入できた。女の洗脳が完了するまで、最低でも24時間が必要だ。菱田は今から、それを楽しみにしていた。

 やがて教団の施設に女が再び訪れたので、菱田が迎えた。女の目は、どこかうつろである。
「教祖様。私はあなたに、身も心も捧げます」
「良かろう。一緒にこちらへ来なさい」
 菱田は嬉しくなって、女を別室に連れていく。そして、女を別室で押し倒すが、洗脳されたはずの女はなぜか抵抗したので、強引にそれを抑えつけた。が、女はいつのまにかレイガン(光線銃)を手にしており、その銃口が、菱田の額に向けられる。
「菱田幸男、暴行の現行犯で逮捕する」
 先程までとうってかわった激しい口調で女が叫んだ。その目はまるで火がついたように、激しい光をたたえている。
「嘘だろう。お前はナノマシンが洗脳したはず」
 菱田は驚愕の声をあげる。確かに昆虫型ロボットが、ナノマシンを注射したはず。彼はおのれの顔が青ざめるのが、自分でもわかった。
「やっぱりあんたが犯人ね。あたしは、公安の捜査官よ。身分を偽って、あなたに近づいたの。あたしは事前に体内に、洗脳用のナノマシンを無力化するナノマシンをしこんでたの。今の発言で、あなた自身が関係してたのがわかったわ。ちゃんと声も録音済よ」
 室外から、怒声や走る足音が響く。やがて別室が乱暴に開き、レイガンを手にした男女が何人も乗りこんできた。どうやら公安の捜査官らしい。絶望のあまり、菱田はその場に座り込む。
「せいぜい、あなたが信じる神に祈るのね」
 菱田は神など信じてなかった。教団は、彼にとって集金マシンに過ぎなかったからだが、今は何の宗教でも良いのですがりたい。『苦しい時の神頼み』とは、よく言ったものである。


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