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【一週間】台湾滞在記

台湾に1週間、「暮らすみたいに遊びたい」を胸に掲げてお邪魔した。予定を詰め込みすぎずに、心のままに街を歩いて、そこにあるものをレンズに写した。そこで暮らす人たちの姿はいきいきとしていて、僕が持ってないもの、余裕を、人に分け与えるほど充分に持っている人たちだった。彼らの見えている世界はきっと、優しくてあたたかくて、高望みもなく今あるものを尊んで、とても素敵な景色なんだろう。台湾で暮らす人とその生活の、素敵なところを書いてみた。

宗教が現在進行形で重んじられている。
我々にとっての科学と同じように、当たり前に、生活の中に神様がいる。お寺の前を通れば寄って、お祈りをしてまた目的地に向かってゆく。何分も熱い日の光を背中に浴びながら祈る姿。信じることの力を知った。

店が開くのが遅いところが多い。昼頃に空いて、次々と来るお客さんの日常に溶け込む。
犬は基本リードをつけない。犬のマナーが良いし、近づかれて嫌がることをする人は少ない。
おおらかな人が多い。仕事も休日の延長のように、接客そっちのけでご飯を食べる店員と、それを気にせずに買い物を続ける客。
みなが余裕そうに見える。

同性愛は完全に受け入れられている。誰が運動したわけでもなく、男女のカップルと同じように手を繋ぎ、キスをして、周りから祝福される。受け入れようとして受け入れるものではない。ただあるものを尊ぶ姿勢が彼らの余裕の素だろう。

愛情表現が豊か。手を繋ぐ老夫婦、街中で抱き合う恋人たち、絶えない笑顔。愛情を伝えることを誇らしく思っている様は、伝えるのが下手くそな僕にとっては真夏のスイカみたいに瑞々しく新鮮だった。僕も大切な人に大切だと伝えたい。今すぐにでも会って抱きしめたくなった。

日本にはない時間的、空間的余裕。
社会の時計に合わせずに、みな自分の時計で生活している。それが社会を成り立たせている。
ご飯やのおばちゃんは、寝起きの顔で、常連が来たから店を開けた。お土産屋さんのお姉さんは、おまけで靴下をくれた。
「人を喜ばせたい」の心を強く感じる街だと思った。内も外もない、善も悪もない、自分の優しさで物事を判断する彼らは、幸せの根底に気づいているのではないだろうか、そしてその背景には宗教と、それに紐付いた生活環境がある。

宗教の現存する社会に身を置いたのはいい経験だった。またひとつ当たり前が消えた。何万人もの人が一堂に会し祈る様こそが神を創り出していた。信じ続けることは、感情でも論理でもない、根拠の弱い概念だろう。だからこそ美しい。それを造る人たちがいて、そこで救われる人がいて、また強固な繋がりになって...
神を信じる心は理解できなかったけれど、愛すべき文化を知った。


日本に帰ってきてからの追記
 手放しにほめているけれど、やっぱり日本食は美味しくて、友達はあたたかくて、抱き枕があると落ち着いた。
 当たり前があって特別になる
 安心感があるから今を楽しめる
 帰ってくる場所があるから強い気持ちで出かけられた。帰る場所があるのは、とても嬉しいことだ。たくさん刺激を受けて、帰ってから整理する。疲れたら、少し早めに帰って休む。
 大切な人たちにとっての帰ってくる場所でありたい。きっと僕は主人公にはならないのだけれど、そういう安心感のある人間でありたい。

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