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タイトル未定

未来のこと

 大学4年生もそろそろ終わり、もう少し経てば社会という未知なる世界に飛び出していかなくてはならない。今日のことだけ考えていればよかったあの時、小学生の僕は22歳を「大人」と感じていた。10年という時間はそれほどまでに長い時間だと思っていた。自分の人生の全てだったのだから。あれから瞬く間にその「大人」になってしまった。あんなに逞しくて強そうな存在が、いかに弱くて恐怖に塗れていたのかを知った。

 母の背中はどんどん小さくなってゆく。以前と変わらない安心感を抱えつつも、確実に小さく、小さく見える。青春を共に過ごした友人はそれぞれの道に進んでゆく。その先で出会うことはあるのだろうか、思い出という繋がりが薄れてゆくたびにそう思う。数年ぶりに会った父の恐怖の拳は、どこにでもいる中年のそれに変わっていた。

 茨城に引っ越すまでに3回の卒業を体験したが、その全ては引越と同じタイミングで行われた。末っ子らしく育った僕に転校の負担を感じさせないための親の配慮だったのかもしれない。東京からシンガポール、シンガポールから東京、東京から東京、東京から茨城。僕の人生は人との繋がりが薄いのが常だった。小学校では皆が出身幼稚園の話をした。中学校では皆が出身小学校の仲間といた。高校に進学した時に見知った顔があることには違和感すら感じていた。

 だから僕は、寂しくならないような工夫をした。考え方を変えれば、どんな状況でも対応できた。そうやって生きてきた。僕は、人に興味を持たない子供になった。何をされても、一緒に何かをしても、どんなに好意を寄せられても、いつでも離れられる距離感で他人と接していた。いついなくなっても良いように、いつ忘れても困らないように。そこそこの数の「知り合い」が中学校ではできた。

 そんな僕にも数は少ないが友達ができた。部活動を共にする同級生10人のうち、5人でよく遊んでいた。その中にいる自分は楽しかった。かいちゃんの家でバスケやスマブラをして、温泉に入った。何年も連れ添うような恋人もできた。なんでも話せるような女友達がいた。中学を卒業しても、彼らと一緒に遊び、競い、育み、一緒に生きていくのだろうな。そんな気持ちになった頃、女友達は死んだ。結局そうなんだよ、どうせなくなるものなんだ。誰といても、何をしてても。大事にするから傷がつくんだ。赤の他人なら傷つかなかったのにね。

 少年の心は別れを受け入れるほど強くはなく、人を傷つけるのには躊躇しないほどには無神経だった。周りにいてくれる人たちに対して冷たく、自分勝手に振る舞った。皆に嫌われていれば、いつでも死ねるから、と。

 高校に進学した。新しい友人、新しい仲間と、それぞれ過ごしていた。楽しいから、一緒にいた。ただ、それだけの繋がりだった。楽しくないので恋人はやめた。そんな別れやすい友人が楽でよかった。高校を卒業して、また相変わらず別れもあった。楽しいからって遊んでいる友人は、いまだに楽しいから一緒にいる。「分かり合っている」とか「頼りになる」とかじゃなくて、ただ、「楽しいから」。それで完結している、楽な関係。

 大学に入った。大学という狭く広い関係が求められる場は、僕には向いていた。出会い、話して、別れ、忘れる。その繰り返しで生きていける場所だった。誰も大切に思わないように、誰がいなくなっても自分が悲しくならないように、僕は優しい人たちから距離をとっていた。一緒に遊ぶ人も、距離感が程よくて、いなくなっても大丈夫な人たちだけだった。

 青年は、過去に囚われていた。出会いをなくしてしまえば、別れもこない。昔のままの、別れを引きずって歩く亡霊だった。その日も、いつもと同じサイクルを繰り返すはずだった、ある一日のこと。


ただの記憶


 なんの会議だったかももう思い出せないほど、昔というわけでもないはずなんだけど、一年と半年前、つまりは去年の七夕の半月前の木曜日。港区にあるキャンパスの中庭は、程よい陽気ではあったものの、照り付けていた。17:00過ぎのことだったと記憶している。

 なんのウェブ会議中だったかな、知り合いと中庭で時間を潰していたときのお話。ただの大学生が、空きコマの孕む莫大な時間に翻弄されていた、そんなよくある週の後半だった。ウェブ会議が終わり、知り合いの方を見ると、一人増えていた。ドラマチックでもなんでもない、ただの大学生二人が出会った日。

 「どうも、初めまして」。彼女とは当たり障りのない会話をした。あまり新しい人間関係を作るのは好きじゃなかった。結局その日の会話で覚えていることといえば、ちょうど2週間後の七夕の日が彼女の誕生日だってことだけだった。あとは知り合いと飛行機の話をしていたけれど、僕にとってはチーズの種類を羅列されるくらい興味のない話だったので、空を眺めながら適当に合わせてた。その日の夜にはその子のことは忘れてしまっていたが、インスタには確かにフォローの数が刻まれていた。

 七夕は、地元の友達の誕生日でもあった。ハーフみたいな顔立ちで、顔はイケメンなのに奥手なのか彼女がずっとできない彼の誕生日。朝起きて、彼にお祝いのメッセージをラインで送ったあと、何か忘れてるかな、と思いながら大学に行った。

 その子とはお昼休みに合流した。たまたま会ったら一緒にいる、みたいな関係だった。いたらいる、いなけりゃいない。猫の群れみたいな解放感のある人間関係は、距離感が感じれたから落ち着いた。合流する直前に忘れていたお祝いも済ませた。大しておいしくもないコーヒーが3回飲めるだけのチケットだったが、好きだというのであげた。出会った日に「お祝いしてね」と言われたから。ほんの軽い気持ち。


 夏が来た。空気が鼻の中に留まり水分を感じさせる。世界が瑞々しく彩られて、草木も空も風と一緒になって喜んでいるこの季節が、昔から嫌いだった。一人になりたいのに、夏はそれを許さない。嫌々ながら命を感じざるを得ない。夏もまだ顔を出したばかりだというのに、冬の持つ灰色の孤独感を欲していた。

 彼女と僕は気があった。スケジュール帳の空白が嫌いで「常に動いていたい」という一点のみで繋がっていた。お互い同世代と比べると比較的忙しいスケジュールの中、よく遊びに行った。他の知り合いが来ることもしばしばあったけれど、2人で遊ぶこともあった。「なんでもいいよ」が僕らの合言葉だったし、グダグダレストランを決めるのも嫌いじゃなかった。こと食事に関して彼女はこだわりはなかったが、それ以外のところで強いこだわりを持っている人だった。彼女はそんな自分を「我儘だ」ということが多かったけれど、改善しようとする様子は見れなかったし、何より僕は自我を出せる彼女のことを尊敬していた。

 彼女はよく喋る人だった。家族の話、友人の話、バイトの話。楽しそうにずっと話をしていて、僕はいつも「ふーん」と興味なさそうに聞いていた。時には嫌だったこと、悲しかったこともたくさん話していた。最初は普通に話していたのに、途中から感情が高まって悲しくなっている彼女を見ながら「そっか」とだけ返していた。自分の話なんてしたくない僕にとって、興味を持たずに自分の話ばかりしている彼女は都合が良かった。

 僕はよく彼女に怒られた。正義感というには脆くて、自己中というには優しすぎる彼女の考え方、在るべき形は、しばしば僕の利己的な価値観とは対立していた。彼女は判断を恐れない人だった。自分が思ったことは自分の意見として通そうとするだけの強さがあった。それに加えていつだって正直だったから、いつか潰れちゃうんじゃないかって心配になった。しっかり者の彼女は、自分の芯を持っていて、いつだって未来のことを考えていた。僕には眩しすぎて、彼女を遠い存在のように感じていた。

 冬が来た。寒さはひとつまみの不安と寂しさを人生に与えてくれる。この頃には当たり前に遊びに誘う関係になっていた。彼女はバイト先や地元の友人を何人か紹介してくれた。「周りの人がみんな仲良いと、良いじゃん?」と彼女は言っていた。彼女の周りの人と知り合った。皆周りの人に対してあたたかくて壁のない人たちだった。知らない人がたくさんいる環境はあんまり好きじゃないけど、彼女は楽しそうだったしまあいいか、と思っていた。

 共通の知り合いを交えて泊まりがけで何度か旅行に行った。この頃は2人で遊ぶ時間はほとんどなくって、少なくても3人以上だったけれど、ふと2人で話してる時は、居心地の悪さがなくなって、いつも通りの自分が出てきた。

 寒くなった頃から、彼女の愚痴や相談に乗ることも増えていった。スケジュールを詰め込む人だから、疲れやストレスを吐き出す場所になってあげたいな、ってこの時に思った。彼女が授業に出たくない日は、課題の答えを送った。よくお願いしてくる人だったから、全部やった。役に立つこと自体が僕にとって嬉しいことだった。

 ある日、2人で大宮駅のお祭りに行った。なんでも彼女のお手伝いしている熊手屋さんが出店しているらしい。この頃、2人で撮った写真を見返していると「カップルみたいだな」と思うことが増えた。帰りの電車で別れてから「仲良しみたい」って送ったら「仲良しみたい」って返信が来た。電車の窓に2人が映ってる変な動画だった。


 春が来た。筑紫と一緒に人生の節目が眼前まできているのを実感した。大学4年生。僕は大した苦労もないままに就活を終わらせてしまったけれど、彼女は教育実習があったのでその前はほとんど会うことはなかった。しばしば連絡は取っていたけれど、教職は忙しいと聞いていたので様子が気になって、実習が終わった頃にバイト先に遊びに行った。忙しそうな時が一番生き生きしている彼女だから、自分から心配しても何も意味のないことなんだと思った。

 大学生の日常はジェットコースターみたいに早くて、七夕はまたコーヒーをあげた。次の週のもうと言われたからプレゼントを持っていったら、渡すのを忘れて持って帰ってきてしまったので、また後日渡した。

 また夏が来た。去年よりも眩しくて、存在がより強く感じられた。

 そろそろ秋が始まってもいいな、と思っていた。9月のカレンダーはすでに秋の写真なのに、世界がそれに追いついていなかった。西日本が暑いだけなのかもな。僕は助手席に座っていた。去年よりは未来のことを考えるようになっていた。

 東名高速の真ん中で行方不明の富士山を探しながら、この関係が続けば良いのにって思っていた。車内のスピーカーからは知らない曲ばかり流れていて、知らない土地に向かっていた。よく知る人が隣にいるだけで、見知らぬ物に対する恐怖はいなくなった。彼女の話を聞き流しながら、どうすれば卒業後も彼女と一緒にいれるかを考えていた。お互い恋人ができたり、ゆくゆくは結婚したりすれば、もう会えなくなるだろうと分かっていた。この居心地の良い関係が自然に消えていくのを感じながら、「これが大人になるってことなんだな」と自分に言い聞かせるのは怖かった。でもこの関係が言葉一つで変わってしまう可能性があることも十分に理解していた。

 だからこそ、僕は







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