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人と馬、見分けるのが難しいのはどっち?

企業人事の基本は「採用」にある

「千里の馬は常にあれども、伯楽は常にはあらず」という箴言があります。「千里の馬」というのは有能な人材、「伯楽」とは馬を見分ける名人を指します。有能な人材というものは、どこかしらに居るものだが「有能な人材を見分けることのできる人材」はそう多くはない、という意味が込められています。

新卒採用のシーズンともなれば、「千里の馬」獲得のために面談要員として、現場からも人を動員する企業が多く見受けられます。企業によっては、社を挙げての一大イベントですが、肝心の「伯楽」のために工数を割いている企業はまだまだ少ないようです。

人事の依頼で面接要員を、各部門のトップが推挙して選出するようなケースが多いようですが、人事から示される選出基準も曖昧、部門のトップが推挙する理由もバラバラ、たいていが「適当」です。

もしこれが本当に馬の選定で、「社用の馬を飼うことになった。部門から選定要員を一人出して欲しい。」と「馬」担当者が言って来たら、部門のトップは烈火のごとく怒るのではないでしょうか。「うちに、馬を見分けられるやつなんている訳がないだろう!!」と。馬はプロでなければ見分けることができないが、人であれば見分けることができる、と多くの人が思い込んでいるのだとすると、何だかそれも妙な話です。

正しい選定を阻害する「余計な情報」

馬を見分けるよりも、人を見分ける方が簡単なのか、と改めて問われれば、決してそんなことはないと誰もが考えるはずです。「動物であろうと、人であろうと、選定という作業は難度が高く、誰にでもすぐできるものではない」というのが正しい認識ですが、それではなぜ「人の選定なら何とかなる」と考えてしまうのでしょうか。

企業での人の採用ともなれば、書類選考から面談というプロセスをたどるのが常で、面談は応募者の自己PRや志望動機を中心に進みます。こうしたプロセスで面接する側が参照したり、影響を受けたりするのは、学歴や資格などの属性情報、容姿、表情、話し方といった「印象」であり、これがあることによって善し悪し・好き嫌いは判断できてしまいます。しかしこれこそが、客観的かつ公正な判断を狂わせる最大の要因で「人の選定なら何とかなる」と考えさせてしまう元凶です。それで適切な人材を採用することができるなら苦労はありません。

採用はむしろ、こうした「余計な情報」に惑わされないことが重要であり、ある程度のセンスとトレーニングが要求される領域なのです。

実際、その採用基準でよかったのか?質問項目や面談担当者は適切だったのか?成果に対して、何が良かったのか?悪かったのか?といった検証すらできていないというのが実情なのではないかと思います。

情報武装が進む若年層

怪しげなものから、由緒正しいものまで、就職活動のノウハウ情報は昔から数多く流布していますが、スマートフォンとネットワークの爆発的な普及にともなって、そうした情報も年を追うごとに洗練されています。昨今の求職者は、数分検索するだけで、面接でいかに良い印象を残すかといったノウハウや、特定の企業で好まれる人物像などの情報を実に簡単に、映像・音声付きで入手することができます。もちろん付け焼き刃で万人が面接を乗り切れる訳ではありませんが、未熟な面接官が簡単に騙される確率は確実に上がっています。

「最近の若者はメンタルが弱くて…」といった話をよく耳にしますが、本当にそうなのでしょうか。

「この人は残念ながら不採用」とすべきところを「にわか面接官」が言葉巧みに騙され、採用しているためだとしたら、それは若者の質が下がっているのではなく、採用する側の質が下がっているから、と言えるかもしれません。

「グローバル人材が求められているのでTOEIC900点以上の人を」「簿記2級以上保持者は経理部門」といった機械的な採用・配属が時代遅れのものとなりつつある一方で、採用を担当する適切な人員の登用や育成はまだまだ遅れています。採用時の情報は、実は採用の時だけでなく、その後の配属、昇進、異動においても極めて有用なのですが、その情報を蓄積し、かついつでも参照できるような枠組みをしっかりと整えることが「伯楽」人材を充実させる上ではとても重要になるのです。