デレクジーカー
文章で飯を食わせてください
個人的に好きなやつ
「けいおん!」をご存知だろうか?女子校の軽音部を舞台にした4コマ漫画で、今から15年前に京都アニメーション制作でアニメ化もされた作品だ。 同世代の漫画・アニメ好きな人からすると「知ってるに決まってるだろ!」とキレられそうなぐらいのヒットしたし、そういったカルチャーにあまり詳しくない人でも作品名は知ってるぐらいの知名度なのではないか。けいおんがきっかけで軽音部に入ったり、楽器を始めたという人も多かった。あのブームが15年前という時の流れの早さに書いてて恐ろしくなっている。
全世界に見られたくない〜のやつ今回全部有料にしてなくてちょっとだけ見れるのでよかったらそこだけでも読んでください。ホンマにちょっとですが
痛かったり尖ってたりでTwitterで発信するのをやめた投稿集(2024年4月)です。 ・「配られたカードで勝負するしかないし、カードが弱いなら文句を言うのではなく工夫をしろ」って言うけど、流石に手札が雑魚過ぎる。そして、手札に文句を言うのが自分なりの工夫なんだと思ってる ・「明日から頑張ればいいや」を繰り返した結果、一年二年頑張ってもどうにもならない人生になっている ・2chでスイーツ(笑)とか言って流行に飛びつく人をバカにしてたけど、スイーツ好きな人はずっとスイーツ
怒りは6秒で収まるといいますが、僕はタメ口で職質してきた警察官にも、教材としてクッソ高い自分の著書を買わせた大学の教授にも、ホームルームで騒ぐヤンキーにキレて職員室に帰り何もしてない生徒まで2時間待機させた高校の担任にも、「ここから先は君自身の目で確かめてくれ!」みたいな締めくくり方をして最後まで攻略法を載せなかったマリオパーティ3の攻略本にも、クラスで唯一の友達が休んだ時に「今日お前友達おらんやん!」って越えちゃいけないラインのイジりをしてきた奴にも、バイト先のスーパーで「
ローソンの入り口を跨ぎ店内へと足を踏み入れると、心臓の鼓動が少し速くなる。明るい照明の下、レジ横には、大好きなからあげクンが見える。 「からあげクンください!」 と言えば、少々ダルそうにしながらも店員がからあげクンを取り出してくれるだろう。しかし、その一言がどうしても言えない。なぜなら、それは自分にとって恥ずかしい行為だから。 まず、好きなことを伝えるのに抵抗がある。「からあげクンください!」は、「僕はこのからあげクンが大好きです!!!!!!!!!」と言ってるようなもの
急速な勢いで普及し、もはや文化として完全に定着したサブスク。 今さら説明するまでもないと思うが、サブスクとはサブスクリプションの略で、一定の料金を支払えば、一定の期間、動画や音楽などが見放題、聴き放題になるサービスだ。僕が学生の頃は、CDを1枚レンタルするのに300円支払っていたと書けばどれだけありがたい存在なのか伝わるはず。品揃えが良いTSUTAYAを求めて、隣町まで自転車を走らせるような青年は恐らく令和には存在しないだろう。 僕もサブスクにはお世話になっている人間なの
あんまり見られたくない投稿(2024年3月分)です。60個ちょっとあります。今回あんまり読まれたくないエッセイ(1000文字ぐらい)もあります。感想はDMでお願いします。
いつものスーパーの馴染みのパンコーナーへと足を運んだ。 お目当ては、8枚切りの一斤88円の食パンだ。上京してきた頃は、場所によっては70円程で買えた食パンだが、最近の物価の上昇で、安いスーパーのプライベートブランドでも100円前後はするようになった。そんな中で、このスーパーでは、一斤90円以下をキープしてくれている。極貧生活を送ってる身からすると本当にありがたい。 経費削減の犠牲になったであろうバカほど薄暗い照明が食パンを照らしていた。しかし、そこにはいつもの安心感を与え
「努力は誰にでも出来る」 この考えはめちゃくちゃ間違ってて、そんなことはない。努力を継続することは、一種の才能なのだ。そして、自分みたいな出来の悪い人間は、それが特にできない。 小学5年生の頃、自分はいつも他の子たちとの"違い"を感じていた。 彼ら彼女らは、スポーツが得意な子や勉強が得意な子、みんな何かしらの得意分野があった。でも、自分はどれをとっても平凡だった。 いや、平凡で済むならいい。 足は遅くて小学校の花形スポーツのドッジボールでは何一つ戦力にならなかったし
小学校の卒業間際、クラスメイトのいいところを書こうみたいな企画があった。男子からは、「おもしろい」「ゲームに詳しい」「一緒に遊んでくれてありがとう」など書いてもらえた一方、女子からは、「優しい」「優しかった」のオンパレード。 アホなので、「女子から好印象だったわ!ヨッシャ!ヨッシャ!」ぐらいに思っていたが、今になって考えてみると、女子から男子への優しいってだけの評価は、「特になし」と同意なんだと思う。 実際、この時の女子たちが僕のことを優しいと思ったかどうかは、男友達の連
ショート動画見始めたら眠れなくなる というYouTubeあるある教科書の4ページ目ぐらいのことをやってて寝不足だ。 ショートで流れてくる動画は完全ランダムなわけではなく、どうやら利用者の視聴データから「コイツはこんなんが好きなんやろ」と、YouTubeくんが判断して、オススメの動画を見せてくれるらしい。自分の場合は、料理と野球の動画をよく見ているので、「インスタントラーメン簡単アレンジレシピ!」とか「カブレラの特大ホームランの飛距離がヤバ過ぎるwww」みたいな動画が自動的
・経済の話になった時、経済学部出身なのに全然分からなくて「インバウンドが〜」の一本槍でやり過ごした僕よりマシです ・フードデリバリーサービスの「初回○○円無料キャンペーン」を利用して食べ終わったらアプリをアンインストールしてる僕よりマシです ・福山雅治を意識した声を出していたら、一度も話したことない女子から「なんでずっとボビー・オロゴンの真似してるの?」と聞かれた僕よりマシです ・合唱コンクールの練習で、先生の発言にみんなが笑っていたので、自分も笑ったら近くのヤンキーに
内容が尖ってたり卑屈過ぎたり痛かったりキショかったりで嫌われたくないので発信せずに保存だけしていた投稿(2024年2月分)です。80個ぐらいあります。
「自分みたいな者が申し訳ない」というのがベースにありながら生活している。 自分という存在は気持ち悪くて、自分という存在は迷惑で、自分という存在は異物で。だから、場違いな場所にいたり、人と接する時は「申し訳ない」とか「俺は、ここにいてもいいのか…?」という気持ちでいっぱいになる。この感覚になったことがない人って、たぶん存在を好意的に受け入れてもらえてきた側なんだと思う。どうか、そのまま幸せな人生を歩んでほしい。こんな感覚絶対に知らなくていいので。 自分の場合、ドッジボールの
ラジオにネタメールの投稿を始めたきっかけは、「自分って面白いのか?」という疑問から。 当時、自分は芸人を目指しており、バラエティ番組をたくさん見て、芸人さんの立ち振る舞いを真似してたから、なんか面白いつもりにはなっていた。けれど、クラスの人気者になったこともないし、大喜利サイトでトップを取ったみたいな経験もなく、「おもしろ」の実績は皆無。 「もしかして、自分ってそんな面白くないのかもしれない…」という不安があり、自分の実力を試してみたくて、いつも聴いてるラジオ番組のコーナ
半年前に投稿した「どうしようもない」の続きです。「どうしようもない」の記事を読んでなくても、今回の記事単体で問題なく読める内容だと思います。 また何もせずに一週間が経ってしまった。 「note毎日投稿しよう!」とか「将来、身を助けるような勉強をしよう!」とか思うだけ思って、ダラダラとインターネットの海をさまよっていたら一週間。 ネットで見てたってのも、昔のプロ野球の好プレー集、見たことある怪事件解説、見たどうかもよく覚えてない一人旅…。 ずーっと同じような内容の動画を