「なんとなく」でFラン大学に進学するとどうなるのか?

noteでよく記事が読まれる秘訣として、「その人にしか書けない記事を書く」というアドバイスを見た。自分の知識の中で、普通の人があまり知らなくて記事に出来そうなことは何かないかと考えた結果、「Fラン大」と「未解決事件に異常に詳しい」しかなかったので、まだ記事にしやすそうな「Fラン大」について書こうと思います。

Fランへの進学

僕のことを知らずに、この記事を読んでいる人もいるかもしれないので、自己紹介すると、めちゃくちゃにバカ。

自分がバカ過ぎてイヤになる。小学生の頃から勉強が不得意で、文系とか理系とかいう次元ではなく、数学、理科、社会、英語、てんでダメ。かろうじて国語のみテストでは平均を少し下回るぐらいの点数だったのだが、最近Xで「得意科目が国語の奴は他ができないから国語を挙げてるだけ」ってディスられてて鋭利過ぎた。これから書く文章からもお察しだが、僕は、別に国語が得意なわけでもない。

「才能がないならば努力で追いつき追い越せ」というのが我が国における鉄板のサクセスストーリーだが、問題なのが努力もできないことだ。めちゃくちゃ勉強をすれば周りに追いつけたかもしれないし、勉強ができる環境もあったのに、机に向かうしんどさと娯楽の誘惑に負けてやらなかった。

高3で受験戦争の打席に立たず、代わりにパワプロにペナントを1000年分ぐらいやることに費やしたような人間の行く末は、名前を書いたら行けるようなとんでもなく低い偏差値の大学への進学だった。勉強ができないなら、進学せず高卒で働くという選択肢もあるけれど、イヤなことを先送りし続けたバカに18歳から働こうという選択肢はそもそも存在せず、「行けそうな大学あるや〜ん!」ぐらいの感覚で決めた。

Fランの実態

そんなこんなで始まったFラン大学生活。「Fランはヤバい」みたいな話をネットで散々見てきたので、相当身構えて通ったのだが、肩透かしを喰らった。正直、快適だった。校舎を歩いてるだけでカツアゲに遭うような地獄のキャンパスライフを想像していたのだが、Fランのヤバさって人間関係での苦労ではなかった。

これはFランっていうか他の大学でもそうだと思うのだが、大学は人間関係の自由度が違う。

高校までは狭い教室に毎日8時間も閉じ込める。違うグループ、違うカーストの人間でも、最低限のコミュニケーションを強いられることがあり、他人の顔色ばかり伺う自分には苦痛過ぎる環境だった。そこいくと、大学は各々グループを作って、その生態系で生きるような暮らしになったので、合わない人間に合わせる場面も少なく、快適だった。最悪、人間関係は断ってもやっていけそうだったし。

講義でも想像してたような惨状はなく、「偏差値の低い学校に入学したら先生がチンパンジーでした~」というコウメ太夫のネタのようなことも当然なかった。Fラン大は、動物園と揶揄されるけれど、うちの大学にはチンパンジーのように騒ぐ奴はいなかった。ただ、よ〜く見ると、静かにスマホをイジったりぐっすり寝てる人もいたので、水族館ではあったけれど。

環境が若者に与える影響は大きい。なんというか、Fランという環境は、ヤンキーも陰キャも陽キャも平等に腐らせる。中高では、バカではあったが、自分のような日陰者が行動までバカなことをすると浮くので、表面上は真面目に取り繕っていたのだけれど、大学は陰キャが不真面目でも奇妙な視線を送られたり、誰からも干渉されないので、日に日にダメになっていた。

入学当初は誰とも喋らず、スマホもイジらず、ノートを取っていた自分が、5月中旬には、出来るだけ後ろの席を確保して、スマホゲームをポチポチプレイする水族館の稚魚の一匹になった。バカでも授業態度だけは真面目だったのに、救いようのないタイプのバカになってしまった。

フォローしておくと、大学自体は悪いわけではない。講義で教員の方たちは手を抜いてる印象はなかったし、僕が通っていた大学は設備も充実していたので、大いに成長できる環境、チャンスがある場所だったと思う。

ただ、学生として求められるハードルが恐ろしく低かった。ほとんどの科目が出席をしてテスト前日にちょろっと勉強すれば単位がもらえる、科目によってはそんなに出席してない、勉強してなくても単位がもらえた。頑張る必要性がないので、向上心のない人間にとっては、怠け者が4年かけてめちゃくちゃ怠け者になって卒業するような環境だった。

最高に人間をダメにする環境に、ダメになる素質が満載の人間が身を置き、ここからさらに堕落。そして、屈辱を味わうことになる。


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