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連作短編 メタフィジカ・ワンダー

『マグマのマ・魔導の魔』

 その灰色の石を覗くと、中で炎が煌めいているのが見えた。炎と言うよりマグマにも似る。薄明るく煌めいて眠るように闇になり、また目覚めるように閃き出す。 

 私がその炎が閉じ込められた石を買ったのは、ある天気のいい昼下がりのことだった。
 表は気持ちのいい陽気だというのに、その店は黴臭く湿っていた。照明が点いていても薄暗い。陰気な店には陰気な物しか無いものだが、その店は陰気ながらに妙な魅力が発散していた。
 端的に言うと、魔法・魔術の臭いが濃厚に発せられていたのだった。
 なんと客を選ぶ店だろう、現代で私以外の誰が吸い寄せられようか。と、不敵に思いながら私は足を踏み入れたのだった。
 私にその石を売った店主は陰気な店に相応しい陰気な女だった。目の周りは黒く縁取られ、白目が強調されているもののグリーンの瞳がやけに煌々として不気味だった。あまり清潔そうではない長い髪は油っぽく波打ち、服装は黒いワンピースに複雑な幾何学模様のショールを肩に羽織り、大きな石のついたペンダントを首から下げて、如何にも魔女だった。
 そんな店主にこれをくれと石を渡そうとした時だ。
 彼女の手に石が渡ろうとした瞬間、その瞬間だ、石が驚くような赤を表面に映し出した。中のマグマが溢れ出るように。私は思わず、あぁ、と声を上げ、店主はただ目を瞠った。

 まるで時が止まったかのような一瞬だった。

 そうして私は石を手に店を出た。店主は明らかに石の異変に気付いていたが何も言わず、落として割れぬよう厳重に包み、蓋つきの箱に入れてくれた。意外にも、と言っては何だが丁寧な所作だった。人や俗世間は嫌いだが鉱物は好きなのかもしれない。私もまあ、似たようなものだった。
 あれ以来、石から赤が噴き出すことはない。
 ただ覗けば炎はそこにある。きらきらと、どろりゆらりと蠢いている。また噴き出るチャンスを窺っているのだ。虎視眈々と。詳しい友人に見せたら、よくない石だと言った。素行の、悪い石だと。素行の悪い石とは、と鼻で笑うと、手懐ける前に寝首を掻かれぬようにと大真面目な顔で忠告された。僕なら一緒に住まないね、と。
 そうは言われたものの、ベッドサイドテーブルに置いて、今日も一緒に眠っている。


『宇宙喫茶』

 ブラックホール。というカフェがあるから、一緒に行こうと友人、亜樹生に誘われた。いかにも亜樹生の惹かれそうな店名だ。私もそういうのは嫌いじゃないので、のこのことついていった。そしてかなり面白い体験をして、無事に家に帰ってきたわけだけど、もしかして夢だったのかなと今、ちょっと思っている。夢じゃないといい。本当に面白かった。あれが夢ならもう一生起きなくていいから寝ていたい。ずっと夢をみていたい。それぐらい楽しかった。
 カフェ・ブラックホールは古びた木造の民家を改築して作ったカフェで、おしゃれにも雑にも見える作りだった。要は、私はしゃれてるねと言い、亜樹生は雑だなぁと言ったのだった。店内はカウンターのみで、充分なスペースがあるのにも関わらず、テーブル席が一つもなかった。カウンターに向かうと、背中側に妙に空間が広がっているのが落ち着かない。殺風景。せめてインテリアでも置けばいいのに、と呟くと、このスペースで出し物をするらしい、と亜樹生が言った。どうもそれを楽しみに来たようだ。私は店主に珈琲を、亜樹生は水割りを注文した。出された珈琲は真っ黒で光を反射せず、まさしくブラックホールだった。飲んでみると最初から砂糖が入っていたのか、いやに甘かった。変わった味だけど美味しいよと亜樹生にも勧めたけれど、彼は首を横に振って飲まなかった。酒がいいのだと言って、蜂蜜色のグラスを傾けていた。私はアルコールを飲まないので、そういうものかと思ってそれ以上勧めなかった。ただなんとなく、その時の亜樹生は、何かを知っていて私に黙ってるような、悪戯っぽい楽しそうな目をしていた。
「亜樹生は魔法使いみたいだよね」
 だから前から思っていたことを口にした。彼とは二年程前にバイト先で知り合った。二人きりで遊ぶようになったのは、ここ最近だ。
「どうして? そんなに僕との時間が楽しい?」
「あ、そういうんじゃないの、いや、楽しいけど。なんか、タネも仕掛けも全部わかってるって顔、してるよね」
 私の言葉に、亜樹生は眉をあげる。
「なんだ。でも、遊離は鋭いね」
 それから少し優しい顔をした。
「タネも仕掛けも全部わかってるつもりなんだ、つもりにすぎない。だからそれが当たってるかどうかが判明する瞬間が、一番面白い」
 優しい顔で言うほどのことではない。と思った。
「予測がつくってこと?」
「まあね」
「外れたことある?」
「あんまりない」
「それって飽きてこないの? 最初は『やったー』てなるでしょうけど、慣れっていうか、そろそろ『当然』にならない?」
「あ、それはよくわからない質問だな。まだまだだな、僕。わからないことはやっぱりわからない。でもわかっていることはわかっている通りだしその通りなのを確認できたらやっぱり『やったー』なんだよな」
 そんな少し頭の悪い、あまりためにならない話をしているうちに、店主が始まりますよと呼びかけて出し物が始まった。亜樹生も私も、カウンターを背にした。
 出し物の内容は細かく表現できない。
 かいつまんで言うと、ブラックホールが現れたのだ。もう、びっくりした。亜樹生はふふんと笑っていたので、『わかっている通り』だったんだと思う。私は、そんな、ブラックホールって珍獣みたいに稀に地球上のどこかに現れるような代物だと思ってなかったので、本当に本当にびっくりした。そしてまんまとのまれた。ブラックホールに。それが、もう、楽しかった! のまれてみたら全然黒くないし、むしろ眩しいくらい明るくって、今さっき吸い込んだばかりのような新鮮な光、ミラーボールともダイヤモンドとも言いたい輝きで満ちていて、そりゃ光を吸い込んでいればこれだけ輝くよなぁと納得して、美しくて、一切の苦がなく、過去の苦しいことも、まとめてなくなった。笑いが止まらない。うわーついに私いかれちゃった、いかれる時って自覚のあるものなんだなぁと醒めた視点の自分も居た。ジェットコースターに乗ってる時みたいに速く、私はそのブラックホールの中を疾走して(もしくはブラックホールの方が私を通り過ぎて)、気づいたら家に帰っていた。ベッドで仰向けに倒れていたのだ。

 ね、夢のようでしょう? 家に帰ってしばらくはあの信じられない体験の余韻が残っていたけれど、次の日にはいつもの自分だった。散らかった部屋をげんなりした気持ちで眺めたりした。
 亜樹生からはメッセージが届いていて、ただ一言、
『遊離も水割りが飲めたらなぁ。』とだけ、書かれてあった。


『フェアリーテイル(1)』

 チョコレートケーキを食べている時に限ってやってくる女の子がいる。
 その女の子はワンピースを着た小さな子で、ほんの十センチ程。背中には蝶のような羽が生えているので、妖精の類だと思う。幽霊なら幼い頃から何度も見たことはあったが妖精なんて可愛いものは初めてだった。最初は珍しいなと思って観察していたけれど、この頃はもう見慣れてしまって、目の端で認めてそのままPC作業を続けるくらいだ。僕の食べかけのチョコレートケーキの周りを、彼女は一周して何かを確認し、それから手を伸ばして食べ始める。そうして僕がまた視線をやった頃にはいなくなっている。ケーキはほんの少し欠けて、彼女の立っていた所にきらきら光る小石が置いてある。赤くて透明な石の時もあれば、つやのある黒い石や青と灰色の斑のものだったこともある。石に詳しくないのでそれらが何か全くわからない。それでも勿論捨てたりしないで取っておいているけれど、誰かに話したり見せたりしたことはなかった。

 だから、一体どうして、今、書斎にいる見知らぬ男が石のことを知っているのか解らない。

「妖精の出入りしている形跡があったものですから、お邪魔致しました」
 グレーの三揃いのスーツに身を包んだ背の高い若い男だった。二十代半ばに見える。身形も顔も整っていた。彫りが深く、目は切れ長で、じっと見られれば怯みそうになる眼光だった。顔は笑っているのだが何となく不気味な、人離れした雰囲気が怖かった。妖精だのなんだの見ておいて人離れした人を怖がるなんて可笑しく思われるかもしれないが、そういうものなんだ。妖精やお化けに何かされたって仕方ないと思えるけれど、人間味を感じない人間に何かされたら、仕方ないで納得できない。妖精にチョコレートケーキを食べられても微笑ましいとしか思わないけれど、もしこの奇妙な男にケーキを食べられたら気持ち悪いとしか思えない。
 それにやはり、人間の考える悪い事は際限なく酷いものと思う自分がいる。
 ただ呪うよりも、殺すよりも悪いことを人はする。
 人間が一番怖い。と言うとあまりに月並みだが、そうなのだ。血肉を持つということはきっとそういうことで、その血肉分の力があるのだと思う。
 そもそもこの男は気づいたらもう書斎に居たので人間かどうか怪しいのだが。
「念の為訊くけど、貴方は人間だよね?」
「ええ、申し遅れました。榊圭と申します」
「だよね」
「だよね?」
「いや、やっぱり人間だよね、のだよね」
 幽霊を見たとき、どうやってそれを幽霊と判断するのかと、理屈屋の友人に問われたことがある。まず見た感じの色合いというのが、幽霊の方がぼんやりと薄く見える。それでも姿形が人間であるものだから、目が霞んでいるのでは、光の加減では? と理解されなく説明に困る。そうとしか思えなくてそう判断するのだ。脳の誤作動と言われたらぐうの音も出ないが、敢えて言うなら人間はどんな人間でも、少し光っている。幽霊からは未来が感じられない。大体がどん詰まりというか、妙に空虚に、淋しく感じる。不幸そうだ。死んでも幽霊にはなりたくないなと思う。明るい元気な幽霊もいるらしいが、私はそういうのは見たことがないので、見たことがある人にいつか質問してみたい。まあ、明るくて元気そうなのに何故か空々しい、空虚な人間もいるので、それと似た状態かなと推測する。明るくどん詰まるって、一種の狂気だ。
「失礼ながら玄関からお邪魔しなかったのは、この現れ方のほうが私という者を理解しやすいかと思いまして」
 男は悪びれずそう言った。
「うーん、まあ、そうなのかな? でも僕はね、理解に時間が掛かっても玄関から始めて欲しかったね」
「やり直しましょうか?」
「いやー、外に出てくれるならそのままお引き取り願いたいな。でも帰らないんだろ?」
 榊圭は、にこりと笑った。
「それなら仕方ない、掛けてくれるか。僕はね、落ち着きたい。紅茶を淹れるけれど君は」
「ありがとう。頂きます」
 僕の指し示した革張りの椅子に彼は優雅に腰掛けた。

「妖精は、よく来るのですか」
 組んだ膝にソーサーを載せ、紅茶を飲む彼はれっきとした紳士に見えた。「チョコレートケーキを食べるときだけ」
 歓迎しているわけではないが、妖精について話せること自体は、少なからず嬉しかった。こんな信用できない男にでさえ。幽霊の話はまだ人に話せるが妖精となると敷居は高い。四十そこそこの中年男性である自分が語る話題としてはアウトだと思っている。
「そうか、甘い物ね」
 榊氏はふうん、と思案するように呟いた。
「甘い物ならなんでもじゃない、チョコレートケーキだけだ。僕の所に来るのはね」
 彼は顔を上げて僕を見た。
「二木崎さん。私は魔法使いなんですが」
「はぁ」名前を知られていることに最早驚かない。
 魔法使いというワードには正直面食らったけれど、今更それに驚くのはナンセンスなような気がして、我ながら謎のプライドで平然と振舞ってしまった。
「大抵の不思議は理解できるし幽霊や天使や悪魔や妖精の姿も見ることができますが。それらが我が家に一切やって来ないのですよ」
「そんな無菌室みたいな家、うらやましいけど」
 榊氏は、本当に人間だろうか・・・? と疑問が湧き起こったが、一旦置いておく。
「病気でもないのに無菌室で過ごしたいと思います? つまらないですよ。だからこうやって、外に求めてやってきている訳です」
「それが僕の書斎ってわけね。迷惑な話だけど」
 僕の呆れた様子を見てとったのか、彼は柔らかに微笑み、背凭れに深く上半身を沈め、少しだけ顔の角度を変えた。眼光の尋常でなさは和らいで、ただ綺麗な青年がそこに居た。僕にそんなものが通用するか、と言いたかったが見惚れてしまい、口が開かなかった。
「私は鉱物に目がないんです」
 知らないよ、と返したかったがまたしても口が開かなかった。
「どうか、妖精が親愛の印に置いていくという石を、見せていただけないでしょうか?」
 慎重に言葉を選ぶように彼は言う。
 まるで魔法をかけるように。

 馬鹿。

 魔法じゃないか。
「どう考えても、見せるだけで済まないよね」
 どうにかその言葉は言えた。化かされるところだった。
 榊氏は肩を竦めて微笑みながら、言った。
「私の持っている一番いい石をお見せします。上物です。貴方にどれだけ鉱物の知識がなくとも一目で解るような逸品です。それで、もしお気に召されたら交換させて頂けませんか?」
 不躾に我が家に入ってきた割には正攻法の交渉だったのがびっくりだった。もっと悪魔のするような取引を持ち出されるのかと身構えていた。勿論そんな風にされても困るが。
「それは別にいいよ」
 妖精にも石にも執着はない。
 まどろっこしいのは好きじゃない。深く考えるのは好きだが、不得意な分野でわざわざ悩むこともない。
 僕のような石になんの関心もない人間よりも彼のような愛好家に愛でてもらう方が自然だと、魔法に掛けられてるわけでもなくそう思う。
 物は人を選ぶし、物には居場所がある。
「無償であげるよ」
 彼はおや、と目を瞠る。
「折角貰ったものを、妖精には悪いけどね」
 それに彼がもっと人間らしかったら差し出してはいなかった。
 妖精の石が彼の手にあるのは相応しいと、そう思った。



「それで君、妖精の石を手に入れたの?」
 亜樹生はパチパチと爆ぜる暖炉の前で編み物をしながらこちらも見ずに訊く。想い人にプレゼントするために編んでいるのだそうだ。魔法使いの編んだニット。呪いも一緒に編み込んでいるのかと思ったら、見たところ真心しか込めていない。恐ろしいことに変わりはない。
「うん、頂いた。意外と普通の石だったよ、ほら」
「おお。へえ、素朴な感じ。可愛いじゃん。お、喜んでるね。いいね。で、肝心の二木崎さんはどうだった?」
「うーん、よく解らなかったなぁ」
「解らない、なんて珍しい。じゃあ面白かったんじゃない? 家はやっぱり普通じゃないんだろ?」
「最近あった人間の中ではからかいがいがあって面白かった。僕から魔法をかけられてもちゃんと気付いたよ。家は噂に違わぬパンドラボックス(未開封)という感じだったね。二木崎氏、私が勝手に入って来たことに驚いていたけど、驚かれる筋合いはないな。あれだけ入り口だらけの家では、通り過がるつもりでもうっかり迷い込んでしまうさ」
 そりゃ妖精でも何でも出るだろう。お化け屋敷と忍者屋敷とお菓子の家を足して割ったような家だった。二木崎氏は何でも目視できるわけではないようだったが、とても妖精どころではなかった。部屋の隅には所謂UMAが吹き溜まっていたし、天井にはドラゴンも天使もいて、金粉を振り撒いていた。二木崎氏の背後には常に気難しい顔をした、おそらく練金術師が控えていて(こういうのは主に服装で判断する)、時々二木崎氏に指示を出していた。私が彼のマインドに干渉した時、練金術師は二木崎氏の頭を杖でこつんと叩いて『しっかりせんか』と一喝したのだ。あと目立ったのは、おかっぱ頭の着物を着た二人の女の子がパタパタと床を駆けていたことくらいか。座敷童の類である。
 亜樹生はくすくす笑った。
「相当だねそりゃ。よくそんな所に住んでいるなあ。正気だった?」
「お優しい人格者だったよ。家に相当気に入られているんだな。ああいう人でなければ主は務まらんだろうね。石だって無償で譲ってくれたよ」
「えー、その石、本心から君にくれたわけ? 聖人じゃん」
「いい人だったけど変わり者だったな」
 君に言われちゃあねぇ、と亜樹生は笑う。
「圭。僕、最近楽しいよ」
 目線を手元に戻し、編み物を続けながら亜樹生は言った。
「君はずっと楽しいんだろ。全く羨ましい。私は最近つまらない」
 肘掛けに肘をつき、手に頰を載せる。いつでも機嫌のよい親友。亜樹生はすぐに新しい興味をみつけてくる。生きるのが楽しいのだ。得意なのだ。「二木崎さんとこ、面白そうじゃん、アトラクションだらけで」
「遊園地はたまにで充分」
「恋でもしたら? そういうのはしないんだっけ」
 茶化すでもない本気の口振り。すっかり馬鹿になってしまって。
「しようと思ってするものでもないか」
 返事も待たずに亜樹生は言った。
「君、変わってるからなぁ。気難しいし。釣り合う女の子もなかなかいないかな」
 無視して私は妖精の石を触る。薄緑色の楕円形の石。艶があり、触り心地は悪くない。二木崎氏は十五個の中から石を選ばせてくれた。勘のいい男で、この石を選ぶと、真顔で『僕もそれがいいと思う』と言ったのだった。
 正直、石など二の次で、あの奇妙な家に住む小説家、二木崎透に会いに行ったようなものだった。家のあらゆる気にあてられてすっかり淀んでいたなら、利用させて貰おうと考えていた。その目論見は亜樹生には話していないが。
「その石からは、人の気配がする」
 不意に亜樹生は言った。のんびりと編み物をしながら。のぼせ上がってはいても鈍ってはいないようだ。
「人間が出てくるかな」
 照明に透かして石を見る。特にどうということはない。マグマが噴き出すこともない。
「出てきたら面白いのにね。君に誰かを引き合わせようとしているのかも」
 きっと楽しくなるよと、無責任な調子で親友は言った。

                            つづく

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