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うどん屋さんとガガーリンと設計士

一年365日のうち、食事はほぼ外食という知人がいます。
それでは、さぞ色々な飲食店を知っているかと思いきや、いくつかのお気に入りはあっても、それほど多くのお店を網羅しているわけではないそうです。

生活パターンが決まっているため、立ち寄るお店も数店舗をルーティーンでという状態であり、時々は新規開拓をしても、通い続けたいお店は案外少ないともいいます。


その人は料理はもちろんのこと、店員さんの人柄やお店の雰囲気を重視するため、余計にめったなところへは行けないのかもしれません。

「ただ仕事として店を開いているのか、お客に美味しいものを食べさせようとしているかくらいは簡単にわかる」

そう豪語するだけあって、その人の薦めるお店はどこも、味の良さは当然ながら、店内の活気やお客への心配りまで、さすがという名店ばかりです。


なかでも、あるうどん屋さんはふるっていて、麺の増量や炊き込みご飯、海老天などのトッピングが無料だったり、店主さんが個性的で自由です。

会員登録をすると、その店主さんから不定期でメールが届くのですが、それがただの営業メールでなく、まるで友達へのそれのようなのです。


つい最近のメールなど、唐突に〈ガガーリンを知っていますか〉という問いで始まりました。

もちろん知っています。
人類で初めて大気圏外に出たロシア人宇宙飛行士ユーリイ・ガガーリン、地球は青かった」の名言を発した人です。

けれど問題はそこではなく、なぜうどん屋さんのメールに、突然そんな人の名が出てくるのか、です。
この時点ですでに掴みはばっちりで、さあこれからどう話が展開していくのだろうと、わくわくしながら先を読みます。


次なるクエスチョンは〈ガガーリンが、なぜ三千人もの候補者の中から、たった一人の宇宙飛行士として選ばれたかわかりますか〉です。

これも、聞いたことがあるような。
元々空軍パイロットとしての経験があり、一人乗りの小さな“ボストーク宇宙船”に乗り込める小柄な体格だったから?


私のこの答えは三角で、間違ってはいないものの、ここでの正解は〈笑顔が良かったから

店主さんはこんな内容のことを書いています。
宇宙船の設計者コロリョフも、審査でガガーリンを選んだ理由を、その素晴らしい笑顔のためと公言していたそうです。
そして、笑顔はいつも心が安定している証拠である、ともコロリョフは語っています


なるほど、ガガーリンは確かに素晴らしい人に違いないと思うと同時に、すぐ脇道にそれるくせのある私は、にわかにこのコロリョフなる人物が気になり始めます。
こんな深い意見を述べるとはどんな人なのか。

そして、調べるうちにガガーリンだけでなく、この人の生涯こそ映画にすべきではと思えてきました。
なぜって、この人は人類初の偉業に貢献しながら、国家によって存在をひた隠しにされ、ノーベル賞さえ辞退させられた不遇の天才だからです。


起伏の凄まじい生涯のため、ごくかいつまんで紹介すると、セルゲイ・コロリョフは複雑な家庭環境ゆえ、少年時代を祖父母の元で暮らしました。
けれど、この時に祖父に見せられた航空ショーで宇宙への興味が育まれたというから、人生では何が幸いするかわかりません。

大学では良き師を得てロケット開発に携わるものの、時はスターリンの時代で、粛清の嵐が吹き荒れます。
コロリョフも研究仲間によって無実の罪で告発され、長い囚人生活の間に、全ての歯を失うほどの凄惨な拷問を受けました。

周囲の嘆願でどうにか解放されたかと思いきや、今度はその頭脳を国家に利用され、かつて自分を陥れた仲間と共に、新型ロケットの開発を厳命されます。

それでもコロリョフは「R-1」「R-2」…と続くロケットのシリーズ、フルシチョフ政権下では大陸間弾道ミサイルICBM)「R-7」を開発。
この「R-7」は現在でも国際宇宙ステーションに向かう時に使われるロケット「ソユーズ」などの原型になり、“最も多く打ち上げられた世界一安全なロケット”としても有名です。

その後は逆に国家を巧みに利用する形で、人工衛星の開発に着手。
あの「スプートニク1号」を作り上げ、世界初の人工衛星打ち上げ月と惑星への飛行有人宇宙飛行人類初の宇宙遊泳成功にも関わります。

それでも、ソ連当局はこの偉人の存在をひた隠しにし、ノーベル賞の受賞すら認めませんでした。
国民は誰もコロリョフの名すら知らず、ようやくその緘口令が解けたのは、1966年に彼が59歳で亡くなった後のことです。

生前までとはうって変わって、今では祖国の英雄として讃えられているというから、思わず考え込んでしまう話です。


そして、話の本筋に戻りガガーリンはというと、彼もまたコロリョフとは違った悲劇に見舞われており、宇宙遊泳から7年後、34歳の若さで、戦闘機の墜落により死亡しています。

Поехали!
(パイエハリ!/さあ行こう!)

ロシア国内では、彼が地球を飛び立つ時に放ったこの一言が、今なお人々に強く記憶されているそうです。


うどん屋さんからのメールは、こんな一文で締められていました。

苦しく大変な状況でも、笑顔が大切!
そのためには勇気と信念が不可欠です。
強い精神力に裏打ちされた笑顔は周囲に大きな力を与えます。
苦しいときこそほほ笑んで、周囲を明るく元気に、幸せにしていきたいです

もはや哲学者の域に達しているような。
美味しいうどんはもちろんのこと、店主さんの素晴らしい笑顔をお目当てに、ぜひ近々お店にうかがうことにいたしましょう。

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