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【後編】もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら、を珈琲屋店主が読んだら

「働きがい」

ドラッカー曰く「働きがいを与えるには仕事そのものに責任を持たせなければならない」そうである。確かに言われたことをこなすだけでは働きがいは生まれないだろう。
働く人に責任を与え、目標を設定し、自己管理を行い、結果を分析してフィードバックしていく。こうすることで仕事にやりがいが生まれてくる。

「責任か・・・」

日頃から無責任と言われ続けている身にはどのようにすれば良いかわからない。まずは目標数値を設定して各担当にまかせてみるといいだろうか。

「目標といっても、いったいどのくらいの数値が適当だろう?」

コーヒーなら一日100杯だろうか?200杯だろうか?
私としては、多ければ多いほどいい。思い切ってどこかの餃子のように一日100万杯なんてどうだろう!

すでに儲かったような気がしてきて、私は鼻の穴を膨らませた。

「イノベーション」

マーケティングの次はイノベーションだ。イノベーションとは新しい満足を生みだすことである。形骸化して機能していないものや、今まで当たり前のこととして続けてきたものを捨てていくことから始まる。物語の野球部では「送りバント」と「ボール球を打たせる投球術」を捨てることにした。

では、珈琲屋という業態が捨てなくてはいけないものはなんだろうか?

「食べのこし」と「コーヒーかす」かな?
そんなものは言われるまでもなく捨てている。とっておく意味すらない。

ここで私は開業当初の考えに思い至った。従来のコーヒー専門店は薄暗い店内でこだわりの強いマスターが静かにコーヒーを淹れているイメージがあった。そこで私は「こだわり」と「薄暗い店内」をあえて捨てることにしたのである。

「こだわり」は今では良いイメージの言葉だが、私には本質から逸れたところでこだわっているように見えたのだ。お客さんが「コーヒーを楽む」ということが重要であって、自分の個人的な考えを押し付けるのは違う。焙煎や抽出も「こうやれば美味しくなる」とは言わず、なぜこうしているかを誰もが納得できる説明を心がけるようにした。
「薄暗い店内」も好みの問題もあるが、きちっと掃除が行き届いていないことをごまかしているように思えたので、明るく清潔感があるように意識したのである。

うちのイノベーションを聞いて、きっとみなさんは感心したことだろう。
正直にいうと、これらは師匠の受け売りなのだ。
だまってりゃいいのに、あえて言う。私にもようやく真摯さが出てきたようである。

「社会の問題について貢献する」

これはスケールの大きな話だ。私は珈琲屋に何ができるかを考えた。

コーヒーで貧困をなくす、コーヒーで環境汚染を止める、コーヒーで地球温暖化を防止する。どれも規模が大きすぎて、具体的に貢献できるイメージがわかない。

そこでマクロな視点ではなく、ミクロの身近な社会について考えてみる。
もっとも身近な社会は家族だろう。では、家族が問題にしていることはなんだろう?さっそく私は家族に聞いてみた。

Q. あなたのお困りごとはなんですか?

息子「休みの日にどこにも連れていってくれない」
娘 「新しい漫画を買ってくれない」
妻 「一切の家事をしたくない」

調査対象が悪かったようだ。これでは社会の問題というより、個人的な欲求でしかない。
私は愛する家族を見かぎり、お店にきているお客さんに目を向けることにした。

すると、あることに気がついた。
以前に比べフリーランスとして仕事している人やリモートワークになり、家で一人で仕事をしている人が増えている。つまり人と話す機会が以前より減った人が増えているのだ。これはコミュニケーションの価値が相対的に上がっているのではないだろうか?

うちのような小規模でカウンターのみの珈琲屋はコミュニケーションが取りやすい。お店のスタッフとも話しやすいし、お客さん同士で意気投合することもある。
さらに当店では交流屋という新事業も始めている。これはコーヒーを飲むことより茶飲み友達を作ることに重点が置かれていて、まさに商品はコミュニケーションそのものなのだ。

なんだ、こう考えるとすでに社会の問題について貢献しているじゃないか。
「マネジメント」を読むまでもなく(正確には読んだが覚えていないだけ)、すでに私は行動を起こしている・・・。

そうか、もしかしたら私はドラッカーを超える存在なのかもしれない!


「エピローグ」

その後、物語のマネージャーはマネジメント力をどんどん発揮させて成果をあげて行く。そして野球部は甲子園への切符をつかむのである。

いやあ、最後はちょっと感動したなぁ。しかし、こうやってみると私も頑張っているじゃないか。それなのに、なぜ一方では甲子園に出場して、もう一方の私は630円の本を買うのに躊躇しなくてはならないのだ?

ドラッカーを超える存在のはずの私が、零細個人事業主のままなのはおかしい。これが物語と現実の違いか。私は自分を納得させることができる理由を探そうとした。

「まさか、珈琲屋で儲けるのは甲子園に出場することより難しいのではないか!」

これだとドラッカーより才能のある私が苦労をしている説明がつく。
納得した私は「所詮はビジネス書だ。読んだからといって現実がうまくいくわけではない」と本を閉じ棚に収めた。

現実と真摯に向き合うのは難しい・・・。
いつもの現実逃避に逃げ込んでしまうのであった。

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