孤独な天使


2012年5月7日に、ぼくは自殺しました。そして目が覚めたら、ぼくは天使になっていたのです。いま、ぼくの背中には翼が生え、指の先まで内側から美しく光り輝いています。どうやらここは天国のようです。青空があり、心地のよい風があり、透明な太陽の輝きに満ち満ちています。朝があり、夜があり、もちろん美しい夕暮れもあります。ここにはみんながいます。両親や兄弟、友人や、大好きだったペットたち、あるいは、目も当てられないほど不仲だった人たちも。アリストテレスやエジソンもいれば、ジェームズ・ステュアートやマリリン・モンローもいます。とにかく過去、現在、未来に関係なく、すべての存在がここにいて、誰ひとり余すことなく、すべての存在が、すべての存在に気づいているのです。だから、ここには孤独なんてものはありません。でも孤独を感じたければ感じることもできます。絶望することだってできます。なんだって自由です。そしてなにより、ここはとても温かいです。気候のことを言ってるんじゃありません。胸に押し寄せてくるような、容赦のないくらいの温かな波が、永遠が、この世界にはあるのです。それはぼくがずっと求め続けていたものでした。ずっとずっと探し続けていたものでした。生きていたころ、ぼくはとても孤独だったのです。自分は世界で一番孤独な人間なんだと本気で思っていました。そしてそれはある意味、事実だったと思います。いつも孤独でした。頭のなかに張り巡らされているいくつもの糸が、燃えて焼け落ちていくような、苦しい孤独でした。広大で薄暗い湖の底に、たったひとり両目を見開いて沈んでいるかのような、悲しい、寂しい孤独でした。誰が何と言おうと、それは生半可な苦しみではありませんでした。こんな苦しみのなかで、自分がどうして生きていられるのか、ぼくはいつも不思議に思っていたくらいです。でもここにきて、ぼくは解放されました。あのころのことを思い出しても、もうちっとも苦しくはないのです。あのころの自分の気持ちを、今でも理解することはできます。でももう苦しくはありません。ぼくは自殺したことを後悔していませんし、あのときの自分はそうするしかなかったのだということも理解しています。ただ、ここにきてぼくは「なぜ?」と思っていることがあるのです。それは、なぜあのころのぼくは、安らぎを見つけることができなかったのだろうということです。だって、この天国にあるものならすべて、あのころのぼくが暮らしていた世界にもあったんですよ。ぼくという永遠のなかに、そのすべてはあったんですよ。不幸も幸福も、絶望も安らぎも、孤独も愛も、すべてはただ、ぼくがぼくのなかに見出すものだったんです。ぼくはなにを探し続けていたんでしょうか。ぼくは天使になって、はじめてそのことに気がついたとき、涙がたくさん、たくさん溢れてしまいました。嬉しいのか、悲しいのかもわからないまま、ただ神様の御前で、涙を流し続けていました。ぼくはいま、あまりにも自由であるために、すべてでありながら、その一部でもあり、究極の喜びでありながら、究極の悲しみの存在です。あのころのぼくが抱えていた孤独の対に、同じくらいの幸せがあったのと同じように、この世界のぼくの幸せの対には、深い悲しみと孤独があるのです。そしてそのすべてが、温かく包まれているのです。本当はずっとそうだったんです。ぼくはいつもそこにいたんです。ぼくはずっと天使だったんです。


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