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短編集

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これまでに発表した短編小説をまとめています。
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#ネムキリスペクト

二人、滑っていく星の下で

 目が合えば、スーツを着た女の人は足早に去っていった。雨足が強くなっていく。公園の芝は水を吸い、街灯の白い光で淡くきらめいていた。ベンチに腰掛けたまま上げていた顔を下ろしたら、胸がひざにくっついて。重たい頭。こみ上げてくる胃液。また吐いた。吐いて、雨に濡れた手の甲で口元を拭えば、肌がぬるり。口からアルコールが蒸発していくような気がした。

 ちらつく。こずえの下に溶けていった黒い背中が。彼女の手に

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泡のなる木

 泡のなる、白い木があった。今はもう、ほとんど使う人のいない、舗装された、蒼い山道の途中に。松に紛れて。いつだって、ひんやりとした空気を羽織いながら、そこに。

 道から少し外れ、湿ったやわらかい土や、松の枝葉を踏んづけて。今日も、その木の前に立つ。立てば、向こうにある松の隙間で、日影を浴びた町が、ちらついた。桜の桃色が、川の銀色が。屋根瓦の赤が、黒が。田畑の茶色が、黄緑が。

 瞳を細めながら、

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世界

 エンジンを止めて、車から降りて。誰もいない、木造の駅舎に入りました。ついていない電気。ほのかなカビのにおい。時刻表に目をやれば、ほとんど空白で。三十という数字が、数時間おきに並んでいます。

 隅にぽつんと設置されてある、黄ばんだ白い券売機。前に立てば、故障中という汚い赤文字が、目について。その斜め下にも、色の変わった、しわしわの張り紙が。人差し指でそっと触れたら、パリパリに乾いていて。

「小

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八朔

 川の近くにある田畑のあいだの、舗装された細い道を歩いていけば、ぽつりぽつりと、お墓がまどろんでいて。灰色のそばで佇むように、八朔の木が何本も、実を黄色く光らせていました。

 立ち止まり、そっと指を伸ばしたら、冷たい川風が吹いてきて。鈍い音がしました。周囲に目をやれば、なにもなくて。誰もいない。それでも響きは、確かにあって。鳴っては消えて、また鳴って。足が自然と動きました。

 道なりに、ゆった

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