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ノイズはある方が、自然。


COCOです🎈


久しぶりの投稿になりました。

特に変わりなく、元気に過ごしていたのですが、書くネタが見つからず…投稿せずでした。

投稿していない間にも、記事を読んでくださったり、フォローをしてくださった方がいらっしゃり、嬉しかったです。

読者の方、いつもありがとうございます!


今日は、最近読んだ、森博嗣さんのエッセイ『つぶやきのクリーム』で印象に残った、「ノイズがある方が、自然。」というテーマをお届けです。

余談ですが、こちらのエッセイ、切り口が独特で、心に残るテーマが多かったです。

"いわゆる"なエッセイにちょっと飽きたな〜という方、面白く読めるかもしれません。



本当の完璧は、異質なもの


では、本題です。

最近、私は、治療のために、食事を中心に、健康に気を遣って生活しているのですが…そんな中、この言葉たちに惹かれました。


音というのは、どんなに静かなところでも全くの無音ではない。
それこそ無響室という実験室にでも入らないかぎり無音は経験できない。

水だって、なにも混ざっていない蒸留水を飲むことはまずない。
飲むと腹を壊したりするかもしれない。

健康も同じだと思う。(中略)
なにも問題がない、完璧な健康を求めることも悪くないけれど、そういう素晴らしい状態は長くは続かないだろう。
多少の不健康を抱えて生きていく、というのがむしろ一般的な生き方ではないだろうか。


「一日も早く、良くなりたい」

そんな気持ちが強くて、体調に影を感じるたびに「もっと、揺らぎを無くさなきゃ」と、躍起になりがちだった私。


でも、いざ、"本当の完璧の状態"を突きつけられると、

「本当の完璧は、不自然で異質な状態なんだ」

ということに気がつきました。


ある程度整っていることは大事だけれど、度を越してしまうと、身動きが取れないというか、息苦しいというか、そんな感じがします。


揺らいでいて、いい


この病気になってから、自分に言い聞かせるようにしていることですが、人間はロボットじゃなくて、生き物です。ナマモノなんです。


様々な外部からの刺激が、複雑に絡み合って影響を受けるし、自分でコントロールできない部分も大きいですよね。


だから、揺らいで当然。

それがむしろ自然な状態で、ある意味、正しい状態と言えるんだと思います。


その事実に改めて気がついて、ふっと、肩の力が抜けました。



つくづく、完璧主義な自分を辞めたい!と思っているのですが、なかなか難しいですね。

気がつくと、グーっと、のめり込んでしまう自分がいます。


きっと、自分をガラリと変えるのは難しくて。

支障が出ない(病気にならない)範囲まで、少し緩めるみたいなイメージなんでしょうね。


揺らいでいて、いい。

心の片隅に、留めておきたい感覚です。


COCO🎈




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