少女の日の思い出
「そうかそうか、つまり君はそんなやつなんだな。」
このセリフが心に残っている人は多いのではないだろうか。大人でも、習いたての中学生でも。
私の中学生活3年間、国語を教えてくれたのはずっとS先生だった。私が所属する吹奏楽部の顧問の1人でもあり、他の生徒よりも関わる場面が多かった。卒業してからも何度かお会いしている。
S先生は、太宰治の大ファンだった。「走れメロス」をやったときは、おそらく先生所有の太宰治のDVDを見せてくれた。
普段から私と関わりのある人は私が太宰ファンであることを知っていると思うが、実はこの先生の影響が大きいのだ。だからこそ、私の運命を変えた先生だと言える。
「走れメロス」のときは特に熱の入った授業だったのでよく覚えているが、他にももう1つ、印象に残っている授業がある。
それが「少年の日の思い出」だ。
主人公がエーミールという友人の大切にしていた蝶の標本を壊してしまう、というストーリー。印象に残る、暗い印象の作品だ。
作者はドイツを代表する作家ヘルマン・ヘッセ。
本文をしっかりと読み込んだあと、ある日の授業で先生はこんな課題を出したのだ。
「このストーリーを、蝶を壊してしまった主人公視点ではなく、蝶を壊されたエーミール側の視点で書き直してみてください」
当時すでに文章を書くことを始めていた私は、この課題が発表されたとき、心が躍った。二次創作とはいえ、授業で小説を書くことができる。私の得意分野だ。
原稿用紙などではなく、国語のノートに書いて提出とのことだったので、私はあまり綺麗ではない癖のある字で国語のノートに「エーミールの視点」で作品を書き直していった。教科書とノートを交互に見比べながら、それなりの時間をかけて書いた。
そしてS先生は次の授業で、優秀作品をまとめたプリントを配布した。作品を書いた人の名前は載っていなかったが、自分の作品が載っていれば一目でわかるはずだ。私は自分の作品が載っていないかと少し緊張しながら配布プリントを見ていった。
そこにはあったのだ。私の書いた「エーミールの視点」の文章が。
私は胸がいっぱいになった。全ての作品に目を通した先生が、私の作品を選んでくれた。しかも尊敬する国語の先生だ。
初めて人に、自分が書いた文章を認められた瞬間だった。
先生は1つずつ朗読して、訂正したほうがいい点と良い点を挙げていった。
私の作品の番になると先生はこう言った。
「この人は長く書いてくれました。1つの小説のようで非常によくできています」
私はまた、他では得難い嬉しさでいっぱいになった。
自分が書いた作品は、先生曰く、優秀作品に選ばれた誰の作品よりも長く、しっかり心情描写をしていたのだ。
自分がものを書くことに人より真剣になれるのだ、と気づいたのは、そのときだった。
あれから7年ほど経つ。
私は、芸術大学の文芸学科で今も小説を書き続けている。もう少しで初めて長編小説が完成しそうだ。
今でも書き続けられているのは、こういう原体験があるからだと思う。S先生にはずっと感謝している。
いつか本が出せたら、S先生に献本したいと考えている。
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