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藤井風「満ちてゆく」に満たされて。


リリースされてしばらく経っているので
後だしジャンケンなところは否めない。

藤井風の「満ちてゆく」の動画を見ながら
いつも号泣してしまう。

noteは遺書だからって前から言っている
そのあたりも映像と重なってわたしに
とってドンピシャだった。

人が生きて悩んで生きて失ってまた
ふたたび老いてゆく自分を生きて、
すべてを差し出しながら死んでゆく
という世界観にわたしはとても共鳴
していた。

音楽的の技術などについてどう感じたかは
専門外なので書けないのでこの歌詞にこの映像を重ねているのか!みたいな言葉を中心にして書いてみたい。

動画って、それぞれにスクショできる。

このMVの映像と歌詞がそこにあることは、どこか一枚の絵画のようだとわたしは
感じていた。

歌詞の言葉がどのシーンに乗っかるのかが
とても興味があったのだ。

今回の藤井風の「満ちてゆく」は彼が
年老いた姿から始まる。

雪の上を車いすを漕いでいる後姿にたくさんの季節を重ねてきた彼の背中を感じていた。

もうこれだけで泣く。


ここに一言置かれた、「Overflowing」は溢れるという意味もあるけれど、この言葉こそタイトルで表現された

「満ちてゆく」なのだと思った。

あふれているは満ちているなのだと。

この歌詞の前には英語で綴られたメッセージが映像にかぶってゆく。


things change, and we can do nothing about itjust letting go, feeling lighter, and becoming filledOverflowing

冒頭のメッセージ

歌詞にもでてくる

英訳はアバウトだけれど、

変わりゆくものは仕方がないね、どうしようもないのだからそれは手放して軽くして満たされる

と書かれていて。

その「満たされる」がその雪上の車いすに
重なることにわたしは心をもって行かれた。

年老いてしまった車いすの背中に
「Overflowing」をひっそりと重ねるその
佇まいに。

歳をとることは満ちているという肯定が
わたしを揺さぶる。

彼は机の上で年老いた背中を丸めながら日記のようなものを書いているシーンが描かれる。

「これは最愛の母の物語」と書かれていることを知った。

藤井風のアプリでマネージャーのカワズさんのブログの中でもこれはМVを制作した智和監督が「母との物語」にしたいという提案があったと。


走り出した午後も
重ね合う日々も
避けがたく全て終わりが来る

『満ちてゆく』
作詞 藤井風



どこかバーのようなところでピアノマンを
している主人公。
そしてその姿を見守るように微笑んでいる
女性が客席にいる。


その女性こそ息子である彼をいつも
見守っていた亡くなった母親だった。


この動画は過去と現在と過去でも現在でも
ない時制が混じり入りながら展開される。

時空を超えたような演出。

見ている私たちも時間旅行している
気持ちに駆られる。

そしてふたたび年老いた彼の背中が写される。

ここは自宅なのか施設なのかわからない
場所のベッドの上。


さっきの「Overflowing」満ちてゆくも
そうだったけれど。

この描写も背中に「満ちてゆく」
重なってゆく。

ここはうまく写せなかったけれど
足元から水があふれてゆくシーンが
描かれる。

その場所はやがて海へとつながる。

記憶をたどるという時間を海に見立てる
ところも素敵だと思った。

見ていて、じんとする。

そして背中が、人々の時間を
いやが上にも現わす場所だとしたら。

そこにこの「満ちてゆく」がそっと
置かれていることはわたしの心を
震わせる。

ここでの「満ちてゆく」は海のことでも
あって記憶の海が彼の中で満ちている
のかもしれない。

こんなシーンから一転して。

老いた背中の彼が思い出しているのは
きっと若き頃。


このシーンは、心の転調をしたかのよう。
見る者が少し沈んだ心にそっと快活の風を
吹き込まれたようで、心晴れてゆく。

でもこの後主人公の彼は、オフィスで上司ともめる。
うまくいかないことに出会ってやさぐれて
しまうのだけど。


乱闘シーンさえカッコよい。


そして疲れ果てた彼が乗る電車の中。
空っぽの車内に

手を放す、軽くなる、満ちてゆく

の歌詞が重なる。

電車は過去と未来をつなぐ乗り物だけど。

その動き続ける乗り物のなかで過去も現在
さえも手放して満ちてゆくと歌詞を
インサートしてゆくところ。


電車という装置に記憶を重ねるという見立て。


このように、電車の動き続ける中で
この詞に触れた時、その言葉を身をもって
体感できるような仕掛けに満ちている。

紆余曲折があったであろう彼の人生。

そしてお母さんの肖像画を彼が車いすの上から仰ぎ見るシーンで、るいせんがほうかいしました。


淡くやさしい母



 

主人公が母と訪れたピアノショップ。
10歳の時の幼い彼の鍵盤の上の指。
この映像に重なるのが

闇を照らし道を示す

という歌詞であること。

じぶんの壊れてしまった心を救うのは
若かった頃ピアノをはじめて知る
機会を与えてくれた母と一緒にいた
あの場所であることを思うと、

ひたひたと気持ちが沁みてくる。

人は誰かに助けられることももちろん
あるけれど。
失くしてしまったり傷ついた心を
過去の自分の想いに救われることもある。

これは私個人の解釈だけどこのМVを
そんなふうに解きほぐしたくなった。

そしてそれから、気が遠くなるほどの
時間をすごしたであろう彼。

しわに背中のシルエットに年月が張り
付いている。


最後のシーン近くでは、こと切れた彼の
背中にそっとカーディガンをかける
母親が登場する。

亡くなっても最後まで彼のことを見守って
いたという設定に胸があつくなった。

歌詞の中には

明けてゆく空も暮れてゆく空も
僕らは超えてゆく
変わりゆくものは仕方がないねと
手を放す、軽くなる、満ちてゆく
満ちてゆく

と一番は結ばれる。


晴れてゆく空も荒れてゆく空も
僕らは愛でてゆく
何もないけれど全て差し出すよ
手を放す、軽くなる、満ちてゆく

こちらは2番。

明けることも暮れることも
晴れることも荒れてゆくことも
超えて、愛でてゆく。

これが日々を生きることなんだと。
この普遍的な視点がわたしたちの
気持に触れてくるんだなって思った。

そして歌詞に出てくる

何もないけれど全て差し出すよ

この思いは人を好きになった時も
恋愛以外でも家族愛でもこの思いが
根柢にあるのだと。

なにかをわたしの方がもらいすぎていると
感じる。

なにかをもらうことよりもなにかを
ぜんぶ渡してしまいたい気持ちになる。

この思いはきっと誰しもが身に覚えが
あるに違いない。

そんな普遍的な人々の想いが「満ちてゆく」には満ちている。

何度も涙しながら映像に浸って。
誰かの余白になることができたら
本望だと思っていた。



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