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いちばんすきな花、すきなものを言葉にすることの難しさ。

ショートケーキのてっぺんのいちごは
一番最後に残しておいて、土台にも載って
いないいちごを食べるのが好きだった。

後からいちごを食べることをすきな、
わたしのことを知っている弟に、
それちょうだいって言われてダメって
言えなくて、すきだったいちごを
食べられなかったことも
たくさんあったけど。

わたしのなかでは、わたしのいちごが
待っていた。

そんなショートケーキみたいにいつも
好きなものにはたどたどしくても言葉を
尽くしたいなんて思うから、つい後回しに
なってしまう。

そうやって好きな人のことがいつも一番
後まわしになってしまう。
きっとたくさん誤解されてきたんだろうなって
思うけど。

でもそれはそれだ。

10月から始まったドラマでいちばんnoteや
Xで言葉のエネルギーを使いたくて消費して
いたのは、
「いちばんすきな花」だった。

今日はこのnoteを最後に好きだった台詞に
ついてつらつら綴ってみたい。

ふたりぐみを求める人生で出会った、4人のひとりたち。

『いちばんすきな花』のキャッチフレーズ。

学校の中でもふたりぐみになれなかったり、
なりたいのになれなかったり
そこからはみでてしまったひとりとひとりの
物語だった。
そんな彼らが、一度っきりだと思っていた
出会いを、再会に変えてゆく。

誰かと友達になるとき、はじめはあんなに
ひとりとひとりだったのに。
今は距離を近くに感じてるみたいに確信
した時の想いがそれぞれの人にあると
思うけど。

このドラマでもまさにそんな思いに駆られる
彼らがそこにいた。

たとえばこんなモノローグが好きだった。

ふたりで話している時にその場にいない
誰かと誰かを「あのふたり」って言って
名前を言わなくてもそれが誰かと誰かの
こととわかる。
それはもうふたりとふたりじゃなくて
4人ってことなのかもしれない

『いちばんすきな花』のゆくえのモノローグより。


みんな学校にいた頃もどこかで疎外感を感じながらも人にあわせて生きてみたり愛そう笑いで切り抜ける術を覚えたひとりひとりが、すきなひとと出会ってゆくストーリーでもあるんだなって思う。

それは逆に言うと、「すき」のことをもう考え
なくてもいいストーリーだったのかもしれない。

人はというかわたしは、「すき」が見つからない時ちょっとしんどくて「すき」になることばかり考えていた。

でも出会ってしまったらその呪縛からは逃れられる。

友達にただなりたいだけなのに。
いつも異性の女子という目でみられること、その眼差しがあまりにも残酷で、その立ち
位置に甘んじていた夜々ちゃんがいる。

彼女が最終話でこういう。

嫌いって話をちゃんと(あの3人とは)できるんだよね。
なにがきらいとか苦手とか、ちゃんと言えるの。
すきな人たちに自分が何が嫌いかって知ってもらったらずっと楽になった。

『いちばんすきな花』最終話の夜々ちゃんの台詞。


好きということは好きだけじゃ構成されていない。
好きだけで構成されたものはまだ完成形じゃないのだと思った。

それは好きの向こう側に嫌いがあって。
それはもしかしたらかつてすきだったもの
が反転したものかもしれないけれど。

それ含めて今は嫌いなものを誰かにちゃん
とためらいなく話せる。
それって最高のいい関係だなって思った。

そういう人たちにみんなで会ったんだなって。

物語の終盤で4人それぞれが会いたかった
美鳥さんがいる。
彼らはそれぞれの思いで美鳥さんと再会する。

彼女が最終話で言っていた

勘違いされる人生だったけどだからこそまちがえないものがよくみえた。
勘違いがあったから、みつかったものであった人もいる。

『いちばんすきな花』最終話美鳥さんの台詞。


そして
「他人の勘違いは理解できないけど、理解したいと思える人と出会えることはある」という。

誰かと初めて出会って距離が近しくなる時に
感じるあの気持ちが優しくそこに描かれていた。

わたしが最後油断してて涙してしまった
台詞がある。

学校の教室の前までは行けるのに、その後の
一歩が進まない。行くと辛くなる中学生の
希子ちゃん。

クラスのみんなに自分のことが嫌いだと思われていると思ってる希子ちゃん。
でもたったひとりそんな「みんな」にならなかった同級生の朔也がいる。

そんな彼らがふたりで保健室で給食を食べるシーンにかぶせるるように塾の講師を再開した美鳥さんのナレーションが添えられる。

みんなみたいにみんなにならなくていい。
みんなにきらわれている子なんていない。

『いちばんすきな花』美鳥さんの台詞。

そう、みんなって言うけど。
みんなをここにつれてこいって
いつも子供時代思ってた。

みんななんてほんとうは何処にもいない。

今回のこのドラマは主題歌が藤井風だった。

わたしは彼のことをひっそりと愛してやまないけれど。この主題歌『花』についていちどもふれてこなかった。

花の生きてない時も描かれた素敵な詞。

彼の詞は

花がタイトルであるけれど。
「枯れていく今この瞬間を」という歌詞から始まる。

「みんな儚いみんな尊い」
「しわしわに萎れた花束小脇に抱えて
永遠に変わらぬ輝き探していた」
「僕らを信じてた 僕らを感じてた
咲かせに行くよ内なる花を」

藤井風「花」歌詞抜粋。

この歌詞に込められた枯れてもまた
内なる花を探していくひとりの人間が
そこに描かれていて。

人間として生まれたら生きながらしんで
しんだあとはまた生きて。

そんな繰り返しを生きるしかないのだけど。

そこで奇跡のように出会った「僕ら」の
ことをたったひとつの真実のように
信じながら感じながら彼らはドラマの中の
現実を生きていた。

それは気づかないぐらいにちいさな
音を微かにたてながら彼らに息づいていた
たったひとつのほんとうのことだった
ような気がしている。

あ、これでおしまい。
もう言い尽くしたような忘れ物してるようなそんなきもちがしている。



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