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2021年、「そこにいる」あなたと。「ここにいる」わたしへ。

この間、夜こんなに冷えているんだったら

もっと厚手のコートを着てこればよかったって

近くのコンビニまでのゆく途中に思っていた。

信号が青に変わるまでの間だったのに

すごく逢いたくなった。

いまごろ、どこでどうしているんだろうって。

なにかしていて、とても幸せだったらそれだけで

いいのだけどって。

樹々が紅葉する速度と共にその想いは強く

なっていた。

ぎゅっと抱きしめたら温かかった。

そっちの熱をこっちに少しだけ分けて

ちょうだいって感じで、わたしは彼の熱を

すこしばかり奪う。

そんな恒例の冬の帰宅の仕方をしていたのは

もうずいぶん昔だけれど。

黒いむくむくの毛に身を包んだ黒猫は

いつもわたしに熱をおすそ分けしてくれた。

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むりやりわたしに抱きしめられながら。

たぶん顔なんかひしゃげて。

からだだって、ぎゅうぎゅうするから

むーとかぎゃーとか一声鳴きながらも

観念してくれていた。

寒くなると人恋しくなるようにわたしは

きまって猫恋しくなる。

この間まどみちおさんの「ぼくはここに」

という詩を知った。

まどさんの好きな詩を高校生たちが紹介している

少し昔の番組のアーカイブスで知った。

ぼくが ここに いるとき
ほかの どんなものも
ぼくに かさなって
ここに いることは できない
もしも ゾウが ここに いるならば
そのゾウだけ

マメが いるならば
その 一つぶの マメだけ
しか ここに いることは できない
ああ このちきゅうの うえでは 
こんなに だいじに 
まもられているのだ
どんなものが どんなところに
いるときにも
その「いること」こそが 
なににも まして
すばらしいこととして

じぶんが、「ここにいる」ときに

他の誰かが「ここに」重なっていることは、できない。

つまり、わたしのいる場所はどんなにちいさな

マメのひとつぶであったとしても、あなたは

そこにいていいんだよ、守られているよ、そこが

唯一の居場所なんだよっていう視点で、

描かれていた。

十代の彼らの生の声が、朗読しているその声に

乗せてこの詩を聞いていてら、まさに彼らが

「ここにいること」が、この詩が紡ぐ世界そのものに

見えてきて、胸がじんとした。

寒いと心揺れるし、こういう昨今の状況ならなおさらだし。

そのせいか、胸から涙腺までのみちのりは短くなって、

とにかくじんとした。

あなたと、わたしが重なっていることはできないって

ことは、あなたがわたしじゃないことってことで。

そんなわたしじゃない、あなたと出会えたことは、

もしかしたら奇跡のような地球の営みかもしれ

ないってことで。

あなたが、わたしのいる「ここじゃなく」そこに

「いること」は寿ぐべきで。

いま、猫であれあなたであれ同じ場所、ここに

「いないこと」は、悲しむべきことではないんだ

なって。

たとえそばから猫がいなくなっても。

あなたがいなくなっても。

わたしがここに「いること」、

あなたがどこかに「いたこと」を心の底で知るすべは、

この詩を読むことなのかもしれない。

読むと、あなたに再会した気持ちになる。

ほんとうは、「いない」なんてことはありえない。

生身の身体がなくなったとしても、作品世界に触れて

あなたのことを想いだしている限り、それはいつでも

そこに「いること」なんだと思う。

そうあの猫と別れてから時間が経ったし、あの人と

別れてからも時間が経ったっけど。

去年の今頃はまだこんな未来がわからなかった。

でも2021年の今、わたしが「ここにいる」こと、

見ず知らずのあなたが「そこにいること」を

どこかでかみしめていたい。

みんなが、それぞれがいまいるところがあなたの

居場所だと思えますように。

そして同時にわたしが思えますようにと、

神様ではなくて、ちょっといま余白のまま暮らして

いるだれかに言葉を放ちたくなっていた。

いないひと さっきいたのに もういないひと
ことばじり どこにつなごう 空の果てまで

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