仏都伊勢を行く ~神と仏の伊勢神宮~

一般の観光案内や参拝ガイドではめったに語られない伊勢神宮、そして宇治山田(現在の伊勢市…

仏都伊勢を行く ~神と仏の伊勢神宮~

一般の観光案内や参拝ガイドではめったに語られない伊勢神宮、そして宇治山田(現在の伊勢市)のことを、やや斜め上からつづっていきたいと思います。

最近の記事

伊勢神宮と熊野古道(その2)

今年で指定20周年となるユネスコ世界遺産の「紀伊山地の霊場と参詣道」に関しては、熊野三山と伊勢神宮がセットで語られる場面を多く見ます。しかし両者の関係は良好だったわけではありません。 今回はその続きで、まず伊勢神宮(宇治山田)と熊野衆の武力衝突事例です。治承5年(養和元年、1181年)、熊野三山の社僧・湛増が率いる僧兵団が志摩国菜切島(三重県志摩市波切)を襲撃しました。これは、全国的な戦乱となっていた平氏と源氏の争いの一環であり、伊勢国を本拠地としていた平氏と、源氏方であっ

    • 伊勢神宮と熊野古道(その1)

      平成16年(2004年)7月、ユネスコが「紀伊山地の霊場と参詣道」を世界遺産に登録しました。紀伊山地には、熊野三山、高野山、吉野・大峯という、神道、仏教と、この2つが習合した修験道の霊場があって、日本独特の信仰が根付いています。これらの霊場と、道者(修行者や参拝者)が歩く参詣道が世界的に価値のある文化資産と認められたのです。 これは誇るべきことですし、今年は指定から20周年にあたることから、地元や関係者の間では、熊野古道の価値を再発信するチャンスとして期待が高まっているようで

      • 伊勢神宮 式年遷宮 の準備始まる・・・しかし費用は?

        4月9日、三重県内の各マスコミが一斉に、伊勢神宮で令和15年(2033年)に斎行予定の第63回式年遷宮の準備が始まったとのニュースを報じました。 式年遷宮は伊勢神宮にとって最も重要な、20年に一度、社殿や鳥居、神宝などをすべて新しく作り替える神事であり、約1300年も昔から営々と続けられている、まさしく日本の誇るべき行事と言えると思います。 創設当時の伊勢神宮は皇室の宗廟であったので、当然ながら式年遷宮は朝廷が財政負担して行われました。 次第に時代が下り律令制が衰退すると、

        • 伊勢の隠れた桜の名所・旧豊宮崎文庫

          伊勢神宮・外宮からぶらぶら歩いて10分ほどの旧豊宮崎文庫(とよみやざきぶんこ)に行ってきました。伊勢(宇治山田)で春の桜の名所と言えば、地元の方なら宮川堤、観光客なら五十鈴川沿い、などを思い浮かべられることでしょう。しかし、かつてもっとも有名だった場所は、ここ豊宮崎文庫でした。 豊宮崎文庫とは、江戸時代の慶安元年(1648)に外宮に設立された、いわば図書館のような施設です。外宮に伝えられた書籍や史料は膨大であり、それを適正に整理保管する必要があったため、外宮の権禰宜で神道学

        伊勢神宮と熊野古道(その2)

          二見浦にあった謎の伊勢神宮寺(廃寺を行く4)

          伊勢神宮は長い歴史を有しており、仏教と深く融合していた時代もありました。その嚆矢となったのが、平安時代末期に東大寺の大仏殿再建祈願のため伊勢神宮で法楽を行った、東大寺大勧進の重源(ちょうげん)です。 源平合戦による平家焼き討ちにより、東大寺の大仏は大仏殿もろとも灰燼に帰しました。それを憂いた朝廷は、唐への留学経験があり、そこで得た建築知識で全国の寺院を再興した実績があった重源に再建を命じたのです。このとき61歳。 しかしいかに重源とはいえ、また、各地から多くの寄進を集めたと

          二見浦にあった謎の伊勢神宮寺(廃寺を行く4)

          内宮 春のスナップ

          今日、4月1日から新年度を迎える方も多いでしょう。職場や学校など新しい環境での皆さんの生活が素晴らしいものであることをお祈りしつつ、春を迎えた伊勢神宮の様子を共有したいと思います。 毎月、1日、11日、21日は、伊勢神宮の内宮と外宮で「神馬牽参」(しんめ・けんさん)という儀式が行われます。朝8時ごろに神馬が正宮(本殿)前で参拝を行うもので、厩舎から神職に導かれて参道を歩き、神前できちんとお祈りする(ように頭を下げる仕草をする)のは何とも健気です。 今日の神馬は「本勇号」(も

          伊勢神宮にあった国宝級大仏(廃寺を行く3)

          伊勢神宮が成立したのは、神話は別として、史実としては5世紀から7世紀ごろという見方が多いようです。「続日本記」によれば、天平神護2年(766)に朝廷が伊勢大神宮寺のために丈六仏像を造立させたという記述があり、「太神宮諸雑事記」によればその翌年の神護景雲1年(767)に称徳天皇が”逢鹿瀬寺(おうかせでら)を大神宮寺とする”宣旨を下されたという記述も見えます。 この話は、奈良時代の皇室の仏教への崇敬は深く、神仏隔離だった伊勢神宮にも仏教の影響が及んできた証左として有名です。 そ

          伊勢神宮にあった国宝級大仏(廃寺を行く3)

          斎宮跡発掘説明会に行ってみた

          伊勢神宮に詳しい方なら、斎宮(さいくう)についてもよくご存じかも知れません。 現在の伊勢神宮は「日本の総氏神」として一般大衆が多く参拝に押し寄せる観光地のようなイメージですが、飛鳥時代の7世紀から鎌倉時代の14世紀ごろまでは全くそうではありませんでした。天照大神の神威を恐れた崇神天皇が、皇居から遠ざけるために伊勢(宇治山田)の地に祀ったのが伊勢神宮・内宮なのですから、天照大神の御霊を鎮め、この世に災いがもたらされないようにすること、皇室が安泰であることを、ただひたすら祈る場が

          犬がお伊勢参りに来た(伊勢神宮と犬 その3/了)

          伊勢神宮は明治時代に国家神道化してから、それまでの伝統ではあったものの、やや呪術的とも思えるような禁忌は多くが廃止されました。ペットが家族の一員のように扱われる21世紀の今から見れば、伊勢神宮の犬に対する強い禁忌の伝統はやや理解しがたいほどです。 三重大学の塚本明先生による「近世伊勢神宮における動物の穢れと生類憐み」という論文を参考に読み解いてみたいと思います。 そもそも伊勢神宮で動物、特に犬を忌み嫌うのはなぜだったのでしょうか。昭和初期の「宇治山田市史資料」によれば ・・

          犬がお伊勢参りに来た(伊勢神宮と犬 その3/了)

          犬がお伊勢参りに来た(伊勢神宮と犬 その2)

          江戸時代を通じて全国からの参詣者が伊勢神宮に来るようになり、その中には犬や牛も参宮に来たことが記録に残っています。第1回目では18世紀末の記録に残る参宮犬(おかげ犬)について書きましたが、その約60年後、文政13年に(1830年)に出版された御陰参宮文政神異記に書かれた参宮犬を紹介します。 前年に伊勢神宮の式年遷宮があった文政13年は、前回の明和8年(1771年)のお蔭参りからほぼ60年後に当たっていました。江戸時代を通じて、全国から参詣者が殺到し、一種の無秩序、パニック状

          犬がお伊勢参りに来た(伊勢神宮と犬 その2)

          犬がお伊勢参りに来た(伊勢神宮と犬 その1)

          伊勢神宮は内宮、外宮とも、犬や猫を連れて参拝することはできません。伊勢神宮公式ウエブサイトの「よくあるご質問」にあるように、ペットは入り口近くにある衛士見張所で預かってもらう必要があります。衛士見張所での預かり料は無料ですが、内宮の近くには有料のペットホテルもあります。 なぜペットがダメなのか、明確な説明は書かれていませんが、歴史的に、特に犬の場合、境内でオシッコをしたりと神聖を汚す動物であるため禁忌とされていたのは事実で、おそらく今もその考え方が踏襲されているのだと思います

          犬がお伊勢参りに来た(伊勢神宮と犬 その1)

          南朝の拠点だった宇治山田(石水博物館「結城神社の至宝」展を見る)

          今ちょうど、石水博物館(せきすいはくぶつかん)で開催されている「結城神社の至宝」展に行ってきました。ただし、全国の多くの方は、石水博物館も、結城神社も、よくご存じないかもしれません。 これら2つは三重県津市にあります。かつては安濃津(あのつ)と呼ばれ、伊勢湾の海上交通の要衝であり、また、全国から伊勢神宮を目指す伊勢街道の結節点に位置する土地。江戸時代には藤堂藩32万石の城下町として、明治期以降は三重県の県庁所在地として繁栄してきました。 この津市で創業されたのが地方銀行であ

          南朝の拠点だった宇治山田(石水博物館「結城神社の至宝」展を見る)

          伊勢神宮の寺 常明寺(廃寺を行く2)

          前回、日蓮宗の開祖である日蓮が伊勢神宮を参拝して三大発願のために参篭し、神からの啓示を得たことを書きました。 しかし、古来から伊勢神宮は「神仏隔離」を貫いており、直接その神前で僧尼が参拝したり読経したりすることは認められていませんでした、このことは、神仏習合が進んでいた京都や奈良を始めとする全国の神社と伊勢神宮との大きな違いの一つと言われています。 ただ、仏教思想は伊勢神宮にも急速に浸透し、末法思想が時代思潮となった平安時代になると、伊勢神宮の上層部、すなわち、天皇の名代

          伊勢神宮の寺 常明寺(廃寺を行く2)

          日蓮と伊勢神宮(廃寺を行く1)

          日蓮宗の開祖である日蓮上人は、言わずと知れた日本仏教界の偉人ですが、伊勢神宮とも深い関係があります。 鎌倉や比叡山などで修業した日蓮は、法華経の教えこそ釈迦の教えの神髄であることを悟り、建長2年(1250年)に伊勢神宮を訪れ、外宮の度会神官の氏寺であり法楽寺院でもあった常明寺に100日間参籠しました。 このとき、  我 日本の柱とならん  我 日本の眼目とならん  我 日本の大船とならん という三つの誓いを立て、それを内宮に誓願しました。 日蓮宗の「本化別頭高祖伝」という記録

          日蓮と伊勢神宮(廃寺を行く1)

          Buddhists should come to Ise Jingu

          "Shinto" is an ancient, traditional religion of Japan, and "Ise Jingu" (Ise Grand Shrine)is the center of the Shinto world. Amaterasu Omikami, the sun deity and the ancestor of Japan's imperial family is said to be enshrined there. For this

          伊勢神宮周辺はかつてお寺だらけだった(その4/了)

          (承前)伊勢神宮周辺はかつてお寺だらけだった(その3) 室町時代に伊勢神宮周辺に多くあらわれ、天皇はじめ公家や武家の絶大な信頼を得ていた法楽寺院でしたが、応仁の乱に始まる全国的な戦乱により隆盛に陰りが見え始めます。京都が主戦場になったことで、法楽寺院を支えていた朝廷や足利将軍家を始め、醍醐寺といった法楽寺院の本山にあたる有力寺院も、遠い伊勢の地にある伽藍を支えることが難しくなってきます。火災や戦乱で焼失したり、寺勢が衰退する法楽寺院が相次ぎ、これと同じ理由で伊勢神宮そのもの

          伊勢神宮周辺はかつてお寺だらけだった(その4/了)