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内宮 春のスナップ

今日、4月1日から新年度を迎える方も多いでしょう。職場や学校など新しい環境での皆さんの生活が素晴らしいものであることをお祈りしつつ、春を迎えた伊勢神宮の様子を共有したいと思います。
毎月、1日、11日、21日は、伊勢神宮の内宮と外宮で「神馬牽参」(しんめ・けんさん)という儀式が行われます。朝8時ごろに神馬が正宮(本殿)前で参拝を行うもので、厩舎から神職に導かれて参道を歩き、神前できちんとお祈りする(ように頭を下げる仕草をする)のは何とも健気です。

神宮司庁付近から入場
参拝を終えて参道を引き返すところ(周りには実はカメラを向ける大勢の参拝者がいます)

今日の神馬は「本勇号」(もといさむごう)でした。
この2月に皇室から贈られた、アングロアラブ種8歳の栗毛の雄馬です。

かつては有力な神社に馬が献上されることは全国的によくあったようですが、伊勢神宮では明治時代から皇室馬が定期的に贈られる習慣があります。この本勇号も、昨年に別の神馬が死んだために、その後継として栃木県の宮内庁御料牧場から奉納されたそうです。

さて、神馬牽参に出会ってトクした気分で帰路に就くと、境内ではまだ満開ではないけれど、ちらほら桜が咲き始めています。
こちらは宇治橋鳥居前の大きな桜の木。

また、宇治橋の上から神路山を見渡すと、ところどころ桜の木が見えました。

このブログは仏都伊勢、つまり、伊勢神宮と仏教との深いかかわりをテーマにしているので、最後に内宮おはらい町にある祭主宿舎の桜も載せておきます。これもまだ満開ではありませんが。

この建物は、明治初期に廃仏毀釈が断行されるまでは慶光院(けいこういん)という仏教寺院でした。
15世紀から16世紀にかけての戦国時代、伊勢神宮も他の神社仏閣と同様に、戦乱の中で経済的にも困窮し、20年に一度社殿や付属建物、鳥居などをすべて新しく作り変える式年遷宮が長らく中断に追い込まれていました。
その嘆き荒廃ぶりを嘆き、伊勢神宮に代わって全国から式年遷宮のための募金(勧進)を行ったのが、慶光院の僧尼たちだったのです。

古来から伊勢神宮では仏教を忌避する伝統が強く、それが春日大社や出雲大社など仏教との習合が進んでいた全国の他の神社と大きく異なる特長でした。
そうした状況の中で、仏教者(ただし、正確には慶光院の僧尼たちは「熊野比丘尼」であり、奈良や京都に拠点を持つ大寺院出身の尼というより、神仏習合の修験道に近い立ち位置だったと考えられています)であり、しかも女性だったこともあって、戦乱の時代の勧進活動には幾多の困難があったでしょう。
結果的に慶光院の僧尼たちは宇治橋の架け替えや式年遷宮に成功するのですが、その話はまたの機会にしたいと思います。

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