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伊勢の隠れた桜の名所・旧豊宮崎文庫

伊勢神宮・外宮からぶらぶら歩いて10分ほどの旧豊宮崎文庫(とよみやざきぶんこ)に行ってきました。伊勢(宇治山田)で春の桜の名所と言えば、地元の方なら宮川堤、観光客なら五十鈴川沿い、などを思い浮かべられることでしょう。しかし、かつてもっとも有名だった場所は、ここ豊宮崎文庫でした。

豊宮崎文庫とは、江戸時代の慶安元年(1648)に外宮に設立された、いわば図書館のような施設です。外宮に伝えられた書籍や史料は膨大であり、それを適正に整理保管する必要があったため、外宮の権禰宜で神道学者でもあった出口延佳が中心となって作られました。その後、徳川幕府(山田奉行)の援助もあって施設は充実し、主に外宮神官の子弟を教育する場として幕末まで存続します。広く神典等の講義も行われたそうなので、今の大学に近いイメージだったのかもしれません。
ちなみに、江戸時代当時、内宮と外宮は今とは違い、お互いが独立していて覇を競っている状態でした。このため内宮には「林崎文庫」という別の図書館がありました。(これらは明治時代に統一されて「神宮文庫」となり、豊宮崎文庫は廃止されました。)

神宮文庫所蔵「伊勢参宮春賑」に描かれた豊宮崎文庫

この絵は伊勢市のパンフレットから引用した江戸時代末期の豊宮崎文庫の風景ですが、甍の建ち並ぶ中に満開の桜が描かれています。
豊宮崎文庫を有名な桜の名所にしたのが、オヤネザクラでした。伊勢神宮の社殿は茅葺きであるため、年数を経ると、風で飛んできたものか、植物が屋根の茅に自生しているのをしばしば見かけます。オヤネザクラもこの類で、外宮正宮の屋根に自生した桜とも、出口延佳の屋敷の屋根に自生した桜とも言われており、それがこの地に移植されたものだそうです。

旧豊宮崎文庫全景
オヤネザクラ(現存する2本のうちの1つ)
オヤネザクラ(もう1つのほう)

このオヤネザクラはずっと時代が下り、昭和に入ってから山桜の新種であることがわかり(昭和3年)、昭和61年には伊勢市の天然記念物に指定されました。ただ、素人目にはどこがどう違うのか、正直言ってよくわかりません・・・

このように昭和初期までは桜の名所として知られた旧豊宮崎文庫でしたが、戦後になって外宮と内宮を結ぶ道路(真珠王の御木本幸吉が建設費を寄付したため「御木本道路」と通称される県道)を拡幅するため、敷地の多くが道路敷に収容されてしまいます。現在はやや中途半端な形と面積で残っており、通常は閉鎖されていますが、桜の季節だけは無料開放され、多くの市民でにぎわっています。

せっかく伊勢に来られたら、ぜひこうしたあまり有名ではないけど歴史のある場所にも訪れていただければと思います。




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