記憶
偶然両方中村保男さんの訳。
「非A」の方は加藤直之さんの表紙だったんだね~。
よく見ると緻密だし、作中の円錐の塔や、リアルゲームものの象徴であるチェスのモチーフも描かれている。
先日読み始めた「変数人間」にヴァン·ヴォークトの影響があるということで、ヴォークトを持ち出して来ました。
この本には個人的な思い出があります。といっても大したものではなく、コレを初読のときに、自分がドコにいたかを覚えているだけなんですが……。
当時ほくは高校生で電車通学をしていた。学校は県庁所在地にあり、片道一時間以上電車(プラス、ディーゼル車)に乗っていた。
その車内は専ら読書に費やされるので、今までの人生で一番本を読んでいた時期かもしれない。
この本の記憶は、学校側の最寄り駅のベンチで読んでいた記憶がある。
その駅はJRの古い駅で、混んでいる時間帯でなければ、駅舎とプラットホームに自分一人、みたいな無人駅チックになる場合もある、といった駅だった。
その無人駅チックなときに、一人ベンチに座って読んでいた記憶があるのだ。
鉄道会社のポスターなので各地の観光地が印刷されていた。そういうもので、旅情を刺激されていた。まだ見ぬ世界を思った。「旅への誘い」だ。
そして、ホームに置かれたプランターに植えられた、日だまりの中のささやかな花々が、色とりどりで美しかった。
本の内容の「意味論」とか「記号論」とかはサッパリわからなかったが、それでも、「SFっぽいSFだなぁ」と楽しんで読んでいた。(でも結局読了出来なかったと思うが……)
その駅に関しては、今でも覚えていることとして、プラットホームとプラットホームを結んでいるのが地下道であったということがある。
地下道には、JR関係のポスターが貼ってあった。
昔から地下道とか地下街が好きなので、
この駅の記憶とその地下道が結びついているのだろうが、
「非A」という小説にも、この駅とその地下道の情景が結びついている。
まぁ、そういった、ドコで読んでいたとかは、ごく私的なことであって、「非Aの世界」とは全然関係ないけど、小林秀雄の「モオツァルト」に出てくる道頓堀みたいなもので、モノを書く人間というのは、「そこでそういうことがあった」、というロケーションのことをなぜか書きたくなる生き物なのだ。
「非Aの世界」と共に、その駅から学校までの、通学路の記憶すらよみがえる……途中にあった本屋……古本屋でもないのに、商品の入れ替えがあまりないらしいので、昔の文庫が読めたりした……。
そのたたたずまい……昭和……。
コリン·ウィルソンの「アウトサイダー」は、あの時代に読めば勿論恐ろしくハマっていたと思う。
でも、今読むのも悪くない。
サルトルの「嘔吐」のいう「不潔漢(サロー)」ではない自覚はある。