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必要な人は不思議とつながっていく/小説「ツナグ 想い人の心得」

年齢的なものと診断された飛蚊症の目が、先週ぶどう膜炎になった。えー。考えた末、しばらく仕事を休むことに。春からダラダラ続いていた本業案件が終わったばかりだし、バイトも月後半は募集がない模様。個人事業主、ダイレクトに生活が脅かされる。でもこれは休みなさいという意味だと捉えて、通院以外はこの数ヵ月できなかったことをやることにした。

せっかくなので本を読もうと思い立つ。今月文庫本になったばかりの「ツナグ 想い人の心得」(辻村深月著)が目に入った。

約一年前に読んだ「ツナグ」の続編である。

(以下、一部内容を含みます)

主人公は、祖母のアイ子から使者ツナグを継承した渋谷歩美。「ツナグ」とは、一生に一度だけ死者との面会を叶えてくれる者。死者も生者に会うことは一度きり。誰かに一度会ってしまえば、その後はもう誰にも会えない。

一見とてもファンタジーのようだが、主人公の成長と依頼人たちの切実な想いが、繊細な描写によってリアルに感じられる作品だ。人間の弱さと強さ。そこに不思議な“縁”が加わる。

使者ツナグの見習いだった高校生の歩美は、7年経って社会人になっている。祖母がいた頃とは違う、新たな物語が紡がれるのだろうと思っていた。だが第一章「プロポーズの心得」は、現在から遡り、見習い時代の彼とつながっていた。あれから7年経過したという事実が、フィクションなのにじわじわ実感できる。そういった感覚は、他の章でも随所に感じられる。

この本では、歩美がかつて祖母から教えられたことがたびたび登場する。

 本当だったら永遠に実現するはずのないその面会の依頼を受け、死者と交渉し、場を設定する使者ツナグの仕事は、知る人ぞ知る存在で、その存在まで辿れるかどうかはすべて“ご縁”による。
 どれだけ探しても辿り着けない人もいる一方で、必要な人は不思議と繋がるようになっている。

(辻村深月著「ツナグ  想い人の心得」より)

これは作品の中だけではなく、現実に今を生きている自分にも言えることだ。

「そんなのは偶然だよ」と思う人もいるだろう。でも、私はそうは思わない。思えない。いろいろな“ご縁”を感じながら生きてきた。弱い人間だからかもしれない。できごとを縁だと思い込むことで、強くあろうとしているのかもしれない。普段は鈍感なのに、そういう面だけは敏感だったりする。

そう自分を分析する反面、これまであった不思議な縁を思い返し、やはり偶然は必然なのではないかと考えている。

今回登場する依頼人は、娘を亡くした母親や歴史上の人物に会いたいと願う男性など。なかでも、最後の章「想い人の心得」に登場する蜂谷茂のことばや行動には胸を打たれる。

「同じ時代に生きられるということはね、尊いです」

「── 想い人や、大事な人たちと、同じ時間に存在できるということは、どれぐらい尊いことか」

(辻村深月著「ツナグ  想い人の心得」より)

文を目で追っただけなのに、読み終えて一日経っても蜂谷のひとり言のようなこのことばが、齢八十五のしわがれ声で耳に残る。

昨日から、このことばを何度も反芻している。

私たちは尊い時間を共有している。互いの存在を認め、同じ時間を生きている。それもまた、つながっているのだと思う。不思議だけれど、つながっているのだと思う。

この本を偶然目にして、手に取ったことも。
今、読んでよかった。

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