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29年越しの展開に嗚咽/ドラマ『不適切にもほどがある!』第5話

(ドラマの内容を含みますので、視聴後にお読みください)

山城新伍と花園ひろみネタ(なんであんなに離婚、結婚を繰り返すのか謎だったもんね)、三原じゅん子とコアラネタにクスクス笑い、いつの間にかレギュラーを獲得し、番組を盛り上げるために密かにけん玉を特訓する八嶋さんに爆笑しながら観ていた。

渚は小川の孫。2人は、やはり血縁関係にあった。ああ、純子ちゃん……。過去に、渚は母親が亡くなっていることを小川に語っている。秋津くんの言う通り、渚が純子の娘だと分かったとき、小川は純子について悟ったはず。渚とゆずるの嘘につき合ったのは、半分信じたくなかったからではないだろうか。普段ズケズケと昭和の価値観でモノ申す彼が、ゆずるのテーラーへ行くまでの気持ちを考えると堪らなかった。

小川は純子とゆずるの結婚に反対し、孫が生まれてからも一家の住む兵庫へ行くことを拒否。しかし迎えに来た純子に説得されて、ようやく向かうことになった。孫を抱き、写真を撮って食卓を囲む。そこには、普通の幸せな一日があった。

続くはずだった普通の幸せは、突然壊れる。

私たちは、実際何度もそれを見てきた。時代が変わっても同じ。平安でも江戸でも明治でも同じだろう。

飲み明かした彼らに起きたできごと。

小川は今生きていれば米寿、88歳である。これまでその点について、本人が「もうひとりの小川市郎がいるはずでは?」と考えていたことから、令和の世の自身についてうっすら気づいていただろう。

「兵庫」「神戸」というワード、写真の日付け。
おおよそ察しがついていた。
だけどまさか。まさか、まさか。
純子だけじゃなかったなんて。

あの日の早朝、私はリアルにラジオから流れるニュースを聞いていた。当時、目覚まし代わりにラジオをタイマーでセットしていたからだ。あの中に、2人が含まれていたなんて。

前回のラストで「お義父さん」と感極まって泣く古田さんの姿に、「義父に再会して、そんなに号泣する?」と少し違和感があったのは、そういうことだったのだ。

突然厳しい現実を突きつけられて、私も茫然。

クドカンは、『あまちゃん』『いだてん』『不適切にもほどがある!』と、三度震災を描いたことになる。ユイちゃんの夢、シマちゃんの未来、そして小川父娘の幸せを奪った震災。コロナ禍の中で描かれた『俺の家の話』でもそうだ。受け入れなければいけない現実。それでも生きていく人間の強さ。生と死と愛を、緩急つけて描く。この第5話では、改めてクドカンのすごさを体感した。脳内どうなってんの? 小ネタ満載、面白おかしく物語を紡ぐのは、もしかすると彼の照れ隠しなのかもしれない。その奥に、しっかり人への愛がある。

***

「ちゃんと打ち解けて、仲直りして、酒飲んだり、孫抱っこしたり、そういうの、ひと通りあるんだ。楽しみだ」

小川よ(嗚咽)。サダヲちゃんの演技に涙。

テーラーでのやり取りは、小川の人間性がもっとも描かれたシーンだと思う。

そして、ゆずる。ちゃんと背広を仕立てていたのが泣ける。おそらく今まで、哀しみと後悔に苛まれて生きてきたのだろう。29年の時を超えて渡すことができた背広。すべてを知り、背広を着こなしてテーラーから出てきた小川が、煙草を一本吸う姿がかっこ良すぎる。

自分と純子の未来を知った彼は、昭和に戻ってどう過ごすのか。知ってしまった私たちは、これまでと違う気持ちで小川父娘の物語を見ることになる。小川が自分の未来を受け入れても、娘の未来をこのまま受け入れるだろうか。タイムパラドックスはあっても、純子だけは助けたいと思うのではないか。

よく考えたら、小川と高校生だった井上のバック・トゥ・ザ・フューチャーのやり取りだって、小川が一度タイムスリップしたからあの会話になったんじゃなかったっけ? 「お前ならできる」と言われたから、井上はがんばってバスを開発した。その時点で未来は変わってしまったのでは?という疑問が残る。あの会話がなくても、井上はバスを開発しただろうか。

まだまだ何か隠れている気がする。
第6話が待ちきれない。

クドカンと同じ時代に生きられて、本当によかった。

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