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文の文 1

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文というハンドルネーム、さわむら蛍というペンネームで書いていた作文をブラッシュアップしてまとめています。
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#スケッチ

スケッチ1

スケッチ1

花金夜10時のJR。男が二人腰かけている。

ともに背広姿に短髪。若い方の男のネクタイや膝の上に置いている鞄があたらしい。ああ、新卒か。

隣の男は年上といっても30歳前後、左手薬指にリングが光っている。かつてはなにかのスポーツでグラウンドを駆けていたような爽やかさがその表情に見える。

今日は歓迎会でもあったのか、先輩の顔が赤い。少々くたびれた鞄を足元において足を組みリラックスしている。

その

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スケッチ2

スケッチ2

キオスクでのど飴を買った。朝の込み合う時間だった。

そばに男が立った。染めた髪の根元に白髪が伸び始めている。見かけより年を重ねているらしい。

サラリーマンだろう。眼鏡をかけた真面目そうな感じ。霞ヶ関とかで不祥事が起こったときに、街頭でインタビューされて、表情も変えずそそくさと歩み去るような感じといえば近いだろうか。

その男がゆったりとした口調で「たばこ」と言った。

たばこったっていろいろあ

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叩く。

叩く。

夕刻近く、電車を降りた人たちが構内のエスカレーターへ向かう。

その人波にもまれながら、唐突に、ひとりの中年の女が前を行く人の背中を叩いた。

女はすっとひとの後ろにまわり、何気ない顔をして一撃突くようにして叩く。そして何事もなかった顔をして、そばを離れる。

離れたところでまた何人かの背を叩いた。男性も女性も叩かれた。どのひともきちんとしたみなりのひとだった。

叩かれたひとは、何事が起こったの

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スケッチ3

スケッチ3

蒲田駅から男性が乗ってきて、わたしのひとつおいた隣の座席に座った。

そのひとはなにやらぶつぶつと独り言を言っている。車内の視線は一瞬そのひとにあつまり、何事かを納得して、おのおの気まずそうに散っていく。

そのひとの力のないひっそりとした声が空席を隔てたわたしの耳にも届いてきた。

「僕は死にます」

えっと思ってその人のほうを向くと、肉の落ちた顔のなかの丸い目が木の室のように虚ろだった。上を向

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スケッチ4

スケッチ4

台湾の地下鉄の水色のプラスティックの座席に座った。

隣では若い女性が新聞を読んでいた。きりっとした顔立ちできびきびした感じだ。なんだか気になってついつい盗み見た。

新聞はむろん漢字ばかりだが、なんとなくわかるところもある。そのひとは経済のページをしげしげと見ていたが、その裏には美容欄とか家庭欄とかもある。

本の紹介の欄に漫画本のランキングがあり、そこに日本の漫画家である井上雄彦さんと弘兼憲史

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バスドライバー

バスドライバー

のどかな昼下がりのことだった。客のまばらなバスに黒いジャンパー姿のどこか落ち着かない感じのする中年の男が乗ってきた。

サンダル履きで、手入れされていない長めの髪が痩せた顔を縁取っていた。

前のりのワンマンバスだった。タラップの上でこの男が見せた定期ではこの系統のバスには乗れないと気づいた運転手が「お客さん」と声をかけたが、男は知らん顔して乗りこみ、一番後ろの座席に腰を下ろした。

まだ若い運転

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